塩沢 兼人(しおざわ かねと、1954年1月28日 - 2000年5月10日)は、日本の男性声優、俳優、ナレーター。妻は元声優の馬場はるみ。血液型はA型。少年時代から役者に憧れ、中学生時代には自ら演劇部を結成して、部長を務めた。日本大学第二高等学校を経て、日本大学芸術学部演劇科で本格的に芝居を学ぶ。高校の選択も、日本大学芸術学部演劇科への進学も踏まえてのものであった。大学在学中に『タイムボカン』の端役でデビュー。『一発貫太くん』の戸馳二郎は最初のレギュラー役出演。その後に『機動戦士ガンダム』のマ・クベ、『伝説巨神イデオン』の主要キャラクターの一人、イラ・ジョリバや『宇宙戦士バルディオス』の主役マリン・レイガンを演じ、人気を獲得。TBS系列所属の俳優だったが、次第に声を主体とした芝居のオファーが増える。アニメ作品のみならず、『スター・ウォーズ』『シザーハンズ』他、外国映画の吹替えでも活躍した。2000年5月9日午後4時頃、自宅の階段から転落。その際に目立った外傷はほとんど無く、本人も「大丈夫だ」と言っていたが、午後10時頃になって容体が急変。意識不明になり、東京・西新宿の東京医科大学病院へ搬送される。翌日午前0時54分、脳挫傷によりこの世を去った。。葬儀は中野区の宝仙寺で執り行われた。戒名は碧海院法優日敏信士。独特の悪役演技の形成について、本人は『機動戦士ガンダム』のマ・クベ役が大きなきっかけになったと述べている。同時に「実はマ・クベを演じるまでは悪役を演じること自体に抵抗があった」とも。その反面、「幼稚園児の時に幼稚園の窓ガラスを割ったりする乱暴な一面もあった」とも述べている。その貴族的な声質から美形、二枚目役を務めることが多く、そのため『銀河旋風ブライガー』のブラスター・キッド役を演じた際には戸惑いを覚えたが、おかげでギャグ的な演技に慣れた、と語っている。一方では「美形が持ち役」と言われることは、自分は同じ芝居をしてると思われるため、代表作に3枚目の役を入れることもあったと語る。『うる星やつら 完結篇』、『1ポンドの福音』、『らんま1/2 中国寝崑崙大決戦! 掟やぶりの激闘篇!!』など、高橋留美子原作のアニメ作品に数多く出演した声優の一人であった。いずれの役柄も「ヒロインを巡って、主人公と戦う恋敵役」または「主人公と敵対するポジションにある敵役」としての出演が多かった。『ハイスクール!奇面組』の物星大のような「おかま」の役も多く演じたが、自身は「そういう役ばかり来た時期もあって、一時はやや困惑していたこともある」と回想している。OVA『間の楔』など、黎明期のボーイズラブ系作品でも大きな足跡を残した。『銀河英雄伝説』のパウル・フォン・オーベルシュタインについては、原作者の田中芳樹も適役と評している。しかし最初のアニメ化である劇場版『わが征くは星の大海』に関しては、ひとこと台詞があるだけの端役に過ぎなかったため、原作小説では主要人物だと知らなかった塩沢は、不満めいた発言を残している。1990年代の声優ブームの頃、夏をテーマにしたソング集を当時の人気声優たちが歌うCDアルバムが発売され、塩沢も参加している。しかし、塩沢本人は歌は苦手と語っている。その時、夏に関する思い出を訊かれ「最悪です」と答えている。理由は過去に海に遊びに行ったところ、誰か遊泳していると思ったら水死体で、言葉にできぬ程恐怖した記憶があるからだという。「もう、海は見るのも嫌だなぁ」とコメントした塩沢だが、スキューバダイビングを趣味にしており一緒に潜る先輩に柴田秀勝の名前を挙げている。またサザエやアワビといった、いわゆる海の幸が好物でもあった。酒が大好きである。特に日本酒が好みで、高級な大吟醸よりも辛口の二級酒派であった。鈴置洋孝はよい飲み友達であり、「独特の声は酒好きに所以するのでは?」との意見が、自他の両方から出ていた。また、共演作の多い(『北斗の拳』や『名探偵コナン』など)神谷明とも親交が深かった。他に会えば飲む仲間として島田敏、二又一成、龍田直樹、森功至、山口健の名前を挙げている。中原茂はとある飲み会の三次会が終わった後に、「もう(電車もなく)家に帰れないだろう?うちに来て付き合ってよ」と言われてお邪魔したことがあると自身のホームページで語っている。実際に訪ねることになり、当時飲めなかった中原は酒を飲まなかったが、塩沢は好きな日本酒を飲み、二人でとりとめのない会話をしたという。声優になってからの芝居(舞台)の出演もいくつかあり、1987年にはその話題を矢尾一樹がパーソナリティを務めるラジオ『アニメ情報局ラジオマガジン』のドデスカ電話コーナー内で触れられ、「何を血迷ったかやることになってしまいまして」と発言していた。また同ラジオ内では当時自らの持ちキャラクターだった『聖闘士星矢』の牡羊座のムウのことを「別に二枚目でもなんでもない」、「ヘンに世の中を超越した役」と述べている。生前ラジオ『プリンセス倶楽部』にゲストとして出演した際、死亡時と同様に酔って階段から転落したと発言していた。その際は恥骨を骨折しただけで済み、「階段に手摺を付けた」と話していたが、パーソナリティーの鈴木真仁に「でも酔っていたら意味無いですよね?」と危惧され、皮肉にもその通りになってしまった。早くに両親を失くし祖母に育てられているが、「祖母が確か『誕生日が違ったはず』と言っていた」と本人が語っている。後輩声優である緑川光は、目標としている役者に塩沢を挙げている。実力も知名度も高く、多数のレギュラーを抱え、声優として脂の乗り切った時期の突然の死は、各界に衝撃を与えた。塩沢と親交があった先輩声優の柴田秀勝は、後輩の若すぎる死に、弔辞の中で「馬鹿野郎」と怒りを交えて嘆いた。没後、持ち役の一部は様々な声優に引き継がれた。特に、山崎たくみは声質が似ていることもあり、比較的多くの役を引き継いでいる。しかし、ドラマCD『ドクター×ボクサー』シリーズなど、原作者や制作スタッフの意向により、塩沢が演じたキャラクターを再登場させない、もしくは登場しても喋らせない作品もある。ゲーム『スーパーロボット大戦シリーズ』では塩沢の死から約2週間後に発売された『スーパーロボット大戦α』が最後の収録作品となった。その後のシリーズ作品において『機動戦士ガンダム』のマ・クベ、クランプ、『伝説巨神イデオン』のイラ・ジョリバ、『戦国魔神ゴーショーグン』のレオナルド・メディチ・ブンドル、『超獣機神ダンクーガ』の司馬亮、『蒼き流星SPTレイズナー』のル・カインなどの声は、現在に至るまで生前の塩沢が録音したもののみが使われており、その方針は逝去もしくは引退した他の声優にも適用されている。ジョリバやル・カインのように登場作品が長い間隔を挟んで音声付きの作品に再登場することで久々に再使用された例もある。特に司馬亮の場合、亮の声に他の登場人物の声を合わせたり、亮の台詞の前後に新録の音声を組み合わせてパイロット同士の掛け合いをさせるなどかなり徹底している。当時開発途中だったゲーム『メタルギアソリッド2』にて、監督・小島秀夫は、自身の作品である『スナッチャー』や『ポリスノーツ』などに出演した塩沢の死を深く悼み、追悼の意味を込めて本来ならば作品に入れる予定の無かった前作『メタルギアソリッド』に出演した際の声を、デジタル編集して再登場させたというエピソードがある。後に『メタルギアソリッド4』の回想シーンでも登場させている。『メタルギアソリッド』が『大乱闘スマッシュブラザーズX』にはゲスト出演した際、ソリッド・スネークと共に、アシストフィギュアとしてサイボーグ忍者が登場。同作で収録していた声が使われている。塩沢の死から半年後に発売されたゲーム『テイルズ オブ エターニア』では、前々作『ファンタジア』にてダオスを演じた塩沢への追悼の意を込め、ダオスに酷似したキャラクター「ゼクンドゥス」を急遽登場させた。ボイスは全てダオスのものが流用されており、使用する技もほぼ共通しているほか、特定の条件を満たすと『ファンタジア』のオープニングの一幕が再現される。格闘ゲーム『GUILTY GEARシリーズ』では、暗殺者ザトー=ONEを演じたが、第2作『ギルティギア・ゼクス』の制作中に亡くなったため、キャストテロップに「(LATE)」(日本語で言う「故-」のこと)の表記が追加され、エンディングもザトーが自らその身に取り込んだ禁獣・エディによって衰弱死するものに急遽差し替えられた(本来は禁獣・エディの支配から逃れ、ザトーとして今後戦うようになるエンディングだったと開発者から明かされている)。アニメ『ゲートキーパーズ』で塩沢がゲスト出演した第8話のWOWOW初回放送日直前に死去したため、当回の放送開始前には故人を偲ぶメッセージが流された。ドゥサーニュ役でレギュラー出演していたアニメ『星界の戦旗』の収録途中に死去したため、第9話以降はCDドラマ版の音声流用による出演となった。なお、翌2001年に放映された続編『星界の戦旗II』でも同じ措置がとられている。親交が深かった神谷明は、当時のアニメ雑誌アニメディアでの連載コーナー「声優ですよ!」でも通常の質問コーナーを差し替えて塩沢の追悼企画を組み、故人を偲ぶメッセージを述べていた。このページには塩沢との最後の飲み会の写真も掲載されていた(『アニメディア』2000年5月号)。2000年5月15日に放送された『名探偵コナン』第190話「命がけの復活 第三の選択」の冒頭では追悼テロップが流された。塩沢の死後、持ち役を引き継いだ人物は以下の通り。なお、役を引き継いでいるわけではないが、賢プロダクション所属の吉開清人は、『宇宙戦艦ヤマト2199』にライル・ゲットー役で出演した際、共演者から「塩沢に声色が似ている」と言われていた。※太字は主役・メインキャラクター。1975年1976年1977年1978年1979年1980年1981年1982年1983年1984年1985年1986年1987年1988年1989年1990年1991年1992年1993年1994年1995年1996年1997年1998年1999年2000年2001年1984年1985年1986年1987年1988年1989年1990年1991年1992年1993年1994年1995年1996年1997年1998年1999年2000年1980年1981年1982年1983年1984年1985年1986年 1987年1988年1989年1990年1991年1992年1994年 1996年1997年1998年1999年2000年1989年1991年1992年1993年1994年1995年1996年1997年1998年1999年2000年2001年2002年2003年2004年2005年2006年2007年2008年2011年2012年2013年2014年1981年1983年1984年1986年1987年1988年1989年1990年1991年1992年1993年1994年1995年1996年1997年1998年1999年2000年2001年2002年
出典:wikipedia
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