上田交通株式会社(うえだこうつう、)は、長野県上田市で不動産事業などを運営する企業である。本稿では、上田交通グループの各子会社についても取り扱う。本社は長野県上田市天神1丁目2-1にある。略名は、旧名の上田電鉄 (初代)・上田丸子電鉄に由来する上電(じょうでん)である。東京急行電鉄(東急)の系列会社で、社紋も東急とは文字が異なるだけである(上田電鉄の分社後の社紋は五七の桐の中央の「七」の部分にかつての上田丸子電鉄社紋のうち円形の「上田」部分〔初代上田電鉄の社紋と同様〕をあしらったもの。上田交通に社名変更後、東急グループ統一CIが実施されるまでは、中央の「子」をあしらった部分を「交」の漢字に置き換えたものを使用していた)。以前は鉄道やバスも直営していた。しかしバス事業は1999年に上電バスとして分社化し、その後2009年に上田バスとしてグループ離脱。かつては西丸子線や真田傍陽線など最盛期で4路線48.0kmの路線網を擁していた鉄道事業も、別所線11.6kmだけの運営となった上、2005年に上田電鉄 (2代)として分社化した。なお、東京急行電鉄創業者である五島慶太の出身地は小県郡青木村で、青木線の沿線である。当社では不動産業を主力とし、それ以外にも駐車場業や広告業などを営んでいる。宿泊業では、子会社の上田東急REIホテルとは別に、直営でホテル上田ステイを運営している。こちらは1997年(平成9年)に上田東急インが上田駅温泉口に移転した後、同年旧上田東急インの上田東急ビルを改装し長期滞在型ホテルとして営業を開始した。上田ステイへの変更の際、東急イン時代にロビーや式場・レストランなどであった場所を大幅に改装し、上田交通・上田電鉄・上田電鉄タクシー(現在の上田タクシー)・ハーレスキーリゾート(現在は移転)の上田交通グループ各社の本社オフィスに転用している。また、上田駅お城口から徒歩0分の好立地であることから、1階のコンビニ・郵便局や地階の飲食店など数多くのテナントが入居している。このほかの事業としては、カーピット109という、上田市常田の上田バス上田営業所に隣接する上田交通直営の自動車整備工場を運営している。この整備場は民間車検工場として一般ユーザーからの点検・車検を受け付けているほか大型のピットを有しており、かつてグループだった上田バス・上田タクシーの営業用車両の点検・修理も行っている。2005年に上田交通の子会社として設立された鉄道事業者で、同年より上田交通の鉄道事業を継承して営業している。なお、前述したとおり上田交通の前身企業にも上田電鉄があり、当社は2代目である。廃止はすべて上田交通時代以前。前身会社のものも含む。リンク先の項目名に使用している社名は廃止時点のもの。上田丸子電鉄時代の1950年に、電車、電気機関車の車番の付番方法を下記の通り定め、1986年の別所線昇圧まで適用されていた。形式称号はこれに電車の場合はモハ・クハ・サハ、電気機関車の場合はEB・EDが前に付く。電気機関車と電動制御車(モハ)は電動機・制御器があるため4桁、制御車(クハ)は制御器があるため3桁、付随車(サハ)は2桁となる。なお、東急からの譲受車のうちデハ3300形・クハ3660形・クハ3770形は当初貸与扱いだったためか適用対象から外れている。また、他にも適用されていても実際の区分と異なる例がある。旧称は上田東急イン。上田駅温泉口ロータリーに面して立地するシティホテルを運営し、上田交通グループの株式会社上田東急REIホテルとして東急ホテルズにフランチャイズ加盟している。上田交通真田傍陽線の廃線後、電鉄上田駅跡(現在の上田駅お城口側)に建物の建設を開始し、1973年(昭和48年)6月にはホテル運営会社として「上交開発株式会社」を設立。同年10月7日に開業。1997年(平成9年)11月1日に上田駅温泉口に新築移転し、運営会社商号を株式会社上田東急インに変更した。全国展開に至った「東急イン」であるが、上田が第1号店であり、その響きの良さから東京急行電鉄のビジネスホテルチェーン名として採用された。東急ホテルズの会員制度「コンフォートメンバーズ」や早期予約割引の早割15などの制度を利用することにより正規料金より割安で利用することができる。2015年4月1日、東急ホテルズチェーンの東急インとホテル東急ビズフォートが統合され、新ブランド「東急REIホテル」に名称変更。当ホテルも「上田東急REIホテル」と改称。運営会社商号も株式会社上田東急REIホテルとなった。以下の2社は2009年10月に株式をジェイ・ウィル・パートナーズへ譲渡、グループから離脱している。いずれも詳細は各記事を参照。
出典:wikipedia
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