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稲葉光雄

稲葉 光雄(いなば みつお、1948年10月2日 - 2012年8月11日)は、静岡県静岡市清水区出身のプロ野球選手(投手)、野球指導者、野球解説者。静岡県立清水工業高等学校から日本軽金属へ入社、児玉好弘の控え投手だったが、将来性を買われ1968年のドラフトで広島東洋カープから6位で指名される。しかしプロ入りせずに残留。1970年の都市対抗には大昭和製紙の補強選手として出場、チームの優勝に貢献した。1970年のドラフト2位で中日ドラゴンズに入団、いきなりエースナンバー18が与えられる(ただし、一般的にはプロ野球のおけるエースナンバーは18とされているが、中日ドラゴンズにおけるエースナンバーは、杉下茂、権藤博、星野仙一、小松辰雄らがつけた20であるとされる)。スピンの効いた落差の大きなカーブを武器に活躍し、1972年には20勝をマーク。しかし、その後は低迷して、1976年オフに、戸田善紀・森本潔・大石弥太郎・小松健二との3対4の大型トレードにより、島谷金二・大隅正人と共に阪急ブレーブスへ移籍。300勝投手の米田哲也がつけていたエースナンバー18を受け継ぐ。移籍1年目の1977年に17勝6敗で最高勝率のタイトルを獲得。1984年に阪神タイガースへ移籍、一軍登板はなく同年限りで引退。中日時代は、「巨人キラー」として知られていた。プロ初勝利、初完封も巨人戦であり、特に1972年には20勝中3完封を含む6勝を挙げた。対巨人戦は通算13勝9敗で中日時代に挙げた46勝中13勝は最多である。また、長嶋茂雄、王貞治の『ON砲』がいずれも苦手にしていた投手として知られている。この時期は、他にも「巨人キラー」「長嶋キラー」「王キラー」のピッチャーはそれぞれいたものの、平松政次は巨人戦から多く勝ち星を奪い、かつ長嶋に対しても抑えていたものの、王に対しては苦手意識を持っていた。また、安田猛は長嶋、王はいずれも抑えてはいたものの、対巨人の通算成績は16勝20敗と負け越していた。そのような状況の中で、巨人戦に強く、長嶋、王に対しても抑えていた数少ないピッチャーだったと言える。長嶋は現役最晩年だったとはいえ、4年間で62打数11安打で打率.177、本塁打はわずかに1本に抑え、初奪三振も長嶋から奪ったものである。(但し、この本塁打1本は1973年7月16日の長嶋が通算2000試合出場を達成した試合である。この試合は、8回まで2安打無失点と好投していたものの、味方打線も新浦壽夫、倉田誠の前に援護できず、迎えた9回裏1死一塁の場面でサヨナラ本塁打を浴びた。前日まで首位から7.5ゲーム差の5位と低迷していた巨人は、この試合をきっかけに息を吹き返し、シーズン最終戦の阪神タイガース戦に勝利してV9を達成、一方、稲葉はその後スランプに陥り、1976年オフの阪急移籍まで低迷してしまう。)また、王に対しても69打数14安打で打率.203、本塁打5本に抑えた。また、1971年10月3日の巨人のシーズン最終戦は、既に巨人の7年連続優勝が決まり消化試合であった一方、それまでの129試合で39本塁打の王が9年連続40本塁打以上がかかった試合であったが、これに立ちはだかったのがこの日先発した稲葉で王に対して真っ向勝負で3打数無安打1四球と抑え込んで、王の9年連続40本塁打記録を阻止した。ちなみにこの試合は稲葉がプロ初完封勝利を挙げた試合でもある。王と長嶋には両者を合わせると6年間で打率.191しか打たせなかった。ちなみに、巨人とは阪急移籍後の1977年10月26日の1977年の日本シリーズ第4戦でも対戦しており、5回1失点の内容であった。王に対しては第一打席では四球を与えたが、第二打席では前打者の土井正三に先制二塁打を打たれ、なおも1死二塁のピンチの場面でライトフライに打ち取っている(長嶋は1974年で引退し、監督に就任)。引退後は1年間東海ラジオの野球解説者を務めた後、1986年から1996年まで中日二軍投手コーチ、1997年は中日育成チーフコーチ、1998年から2001年までは日本ハムの投手コーチを務めた。2002年から2008年までテレビ愛知・東海ラジオ解説者を務め、2009年に再び中日の投手コーチとして復帰。若手投手の育成に力を注ぎ、吉見一起や山内壮馬やマキシモ・ネルソンなど多くの投手を育て、就任前年に低迷した投手陣の再建と球団史上初の連覇に大きく貢献した。2012年8月11日、ウエスタン・リーグの広島戦(ナゴヤ球場)の試合中にネット裏で「手がしびれる」と体調不良を訴え、名古屋市内の病院に搬送されたが、脳内出血のため20時39分に死去した。63歳没。7月に心臓カテーテル検査を受けたばかりだった。「理論派」として知られ、若手育成には定評があり、数多くの投手を育て上げた。

出典:wikipedia

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