ナタリー・ポートマン(Natalie Portman, , 本名:Natalie Hershlag, , ナタリー・ヘルシュラグ、1981年6月9日 - )は、主にアメリカ合衆国で活躍するイスラエル出身の女優。イスラエルの首都エルサレムにて、ナタリー・ヘルシュラグ(Natalie Hershlag、ヘブライ語:נטלי הרשלג )として生まれる。父アブネル・ヘルシュラグはイスラエル人の産婦人科医、母シュリー・スティーヴンスはユダヤ系アメリカ人の元アーティスト(現在はナタリーのエージェント)。ひとりっ子。父方はポーランド・ルーマニア系からの、母方はロシア・オーストリア系からのユダヤ人の血を引く。ルーマニア出身の父方の曾祖母は第二次世界大戦中、イギリスのスパイを務めていた。また父方の祖父母はアウシュビッツ強制収容所で死亡している。芸名のポートマン(Portman)は母方の祖母の旧姓。3歳の時にアメリカのワシントンD.C.に移住。1988年からはコネチカット州で、1990年からはニューヨーク州ロングアイランドで育つ。インタビューで「私はアメリカを愛しているけど、気持ちはエルサレムにある。そこが本当の家だと思っているから。」と答えている。ヘブライ語と英語を習ったのち、ニューヨーク州グレンコーブにあるユダヤ人の小学校に入学する。本人曰く、高校時代は、試験では常に平均90点以上を維持し続け、成績はオールAだった。また、高校生の時の化学実験が論文になっている[1]。これはJournal of Chemical Educationという雑誌に掲載されており、糖の酵素による分解時の水素発生を視覚化するといった内容である。また高校の最終試験を受けるため、『スター・ウォーズ エピソード1/ファントム・メナス』のワールド・プレミアには欠席している。その後、ハーバード大学とイェール大学に現役合格。1999年にハーバードへ進学しに入寮する。心理学を専攻し、心理学研究所ではのアシスタントも務めた。また、ハーバード大学法学部生が学生新聞に寄稿したイスラエル人の入植を批難する記事に対し、反論記事を寄せている。2003年に卒業。2004年春にはヘブライ大学大学院にて中東問題の研究に参加。2006年にはコロンビア大学にてテロリズムと対テロ作戦について、ゲストとして講義を行った。4歳からダンスレッスンを始める。10歳の時にロング・アイランドのピザレストランで、化粧品会社レヴロンのモデルとしてスカウトされる。当初モデルに興味は無かったがスカウトの「パトリック・スウェイジにも会える」との言葉に惹きつけられたという。モデルよりも演技に興味を持ち、俳優を目指す。1994年にオフ・ブロードウェイでの舞台『"Ruthless!!"』でデビューする。同年公開のリュック・ベッソン監督の『レオン』で2000人以上の候補者からマチルダ役に選ばれて映画デビューを果たし、国際的に称賛され、ハリウッド・リポーター誌が後援するヤング・スター賞のドラマ部門最優秀女優賞を受賞。1996年公開の『ビューティフル・ガールズ』でも批評家に絶賛された。一気に注目を集めたものの、『ロリータ』のロリータ役を拒否するなど、ロリータ的イメージやラブシーンを敬遠する。1997年には『アンネの日記』を、1995年刊行の新版を基に新たな視点で描いた舞台で主役のアンネを演じる。1999年公開の『スター・ウォーズ』新三部作でヒロインのパドメ・アミダラを演じ、上品な美貌と確かな演技力で人気を不動のものにする。この作品で、ナタリー=強く賢い男勝りの美人というイメージが印象づけられた。同年公開の『地上より何処かで』ではスーザン・サランドンの娘役を演じ、ゴールデングローブ賞 助演女優賞にノミネートされた。大学在学中は学業を優先していたため、映画の出演は少ない。2001年にマイク・ニコルズが演出した舞台『かもめ』に出演し、メリル・ストリープ、ケヴィン・クライン、フィリップ・シーモア・ホフマンと共演した。2003年には小さい役ながら『コールド マウンテン』に出演。2004年に俳優ザック・ブラフの初監督作品『終わりで始まりの4日間』に出演。同年公開の『クローサー』でのストリッパー役でゴールデングローブ賞 助演女優賞を受賞し、アカデミー助演女優賞にもノミネートされた。2005年には『Vフォー・ヴェンデッタ』で役柄に合わせて髪型をスキンヘッドにし、この姿で第58回カンヌ国際映画祭での『スター・ウォーズ エピソード3/シスの復讐』のワールドプレミアに出席した。同年4月に出演したテレビ番組『サタデー・ナイト・ライブ』では自身の自虐的なラップ・ビデオのパロディに出演。2008年公開の『ブーリン家の姉妹』ではアン・ブーリンを演じ、同年開催の第61回カンヌ国際映画祭では審査員を務めた。同年、映画製作に興味を持っていることから、映画製作会社(Handsomecharlie Films)を設立。自身初の監督作品である短編映画『"Eve"』、ホラー映画『サスペリア』のリメイク、自身が主演する『"17 Photos of Isabel"』を手がける。また、ブラッド・ピットと共演予定の『"Important Artifacts and Personal Property from the Collection of Lenore Doolan and Harold Morris,Including Books,Street Fashion,and Jewelry"』の映画化作品の企画も進めている。 2009年にクリスティン・アイルワードと共に映画サイト(makingof.com)を開設した。2010年に公開されたダーレン・アロノフスキー監督作の主演映画『ブラック・スワン』では、次第に精神が壊れていくバレリーナ役を9キロ減量して演じ、第83回アカデミー主演女優賞をはじめとするさまざまな賞を受賞。批評面、興行収入面の両方で成功した。この受賞が大きな話題となり、2011年の日本での公開時には、それまでの出演作品の中では『スター・ウォーズ』シリーズ以来の大ヒットとなった。2011年1月には主演映画『抱きたいカンケイ』が全米で公開され、週末興行収入初登場1位を獲得。ラブコメで新境地を開いた。自身のキャリアで最も長期間演じたこともあり、『スター・ウォーズ 』シリーズのパドメ役には最も愛着があるという。それだけに、『エピソード3/シスの復讐』では前二作に比べ、シリーズ完結作にも拘らず出番が少ない(実際は出番が予定されていたが完成した作品では大幅にカットされた)ことがやや不満だったという。キーラ・ナイトレイと容姿が似ており、キーラはその理由で『スター・ウォーズ エピソード1/ファントム・メナス』のパドメの影武者(侍女サーベ)役に抜擢されている。以降共演はないが、後にキーラは『パイレーツ・オブ・カリビアン』3部作を撮り終えた後、「今度ナタリーに会ったら3部作やり遂げたわねって握手しなきゃ」と語っている。4歳からダンスレッスンを始めており、小学生の頃から腹筋が割れていた。アクションシーンの撮影の際に殺陣師から「アスリートでも成功しただろう」と言われたほど運動能力が高い。『スター・ウォーズ エピソード2/クローンの攻撃』ではモンスターに腕を掴まれて投げ飛ばされる、3メートル近い高さから落ちて転がり気絶するなどのアクションシーンを代役なしで演じている。『ブラック・スワン』ではバレリーナ役を演じるために約1年間特訓し、ほぼ全てのバレエシーンを自身で演じた。8歳の頃からベジタリアンであり、食肉そのものはもちろん、加工品やゼラチンも食さない。菜食主義について、「9歳の時に見た鶏のレーザー手術のドキュメンタリーを観て以来、肉も魚も口にしていない。ただ動物が好きだから価値観に従うまでです。絶対に食しません。」と語る。非常に礼儀正しいことで知られ、共演者や撮影スタッフ、裏方にまで挨拶を欠かさない。中東女性特有の端整な顔立ちは正統派美人と呼ばれ、女性からの人気も高い。女性誌に登場する際は身長はやや低いが健康的で引き締まった腹筋や肢体が美しいと評されている他、「世界の最も美しい顔」2002年、2008年で1位に選ばれている。以後も常に上位にランクインしている。ハリウッド女優では珍しく極度の貧乳である。『ブーリン家の姉妹』でグラマーで知られるスカーレット・ヨハンソンと共演した際、ほぼ同じ身長にもかかわらずあまりのサイズの違いにショックを受けた。また、スカーレットに初めて会うと同時にいたずら好きな彼女に後ろから胸を揉まれてしまい、「噂通り本当に(胸が)ないのね。発育不足ね」と言われてしまった。これがきっかけでスカーレットと仲良くなり、後に「着替えている際中に彼女が部屋にそっと入ってきて、いきなり後ろから下着姿の私の胸をぎゅっと『触診』したのよ。じっくりと大きさを確かめられたの。いろんなところをつままれたわよ。」と自虐ネタにしている。胸のサイズは彼女いわく「手のひらで包めるほど」で、そのため男と間違われたエピソードは多い。高校時代に空港で身体検査に引っかかり、ナタリーが思わずうめき声を出してしまうほど職員に思いっきり胸を触られてしまうが、それでも女だと気づかれなかった。また、中学生や高校生になっても全く大きくならないので親に心配されていた。6ヶ国語に精通している。英語とヘブライ語(後者は若干なまりがあると言われる)が母語で、それ以外にもフランス語、ドイツ語を独学、アラビア語も学んでおり、流暢に話せる。また、米トークショー『レイト・ショー・ウィズ・デイヴィッド・レターマン』において、同番組へゲスト出演する少し前にごく短い期間ではあるが学生として日本に留学しており、日常会話程度なら日本語も話せることを語っている。2013年の来日時にはさらに日本語に上達が見られた。2008年の大統領選挙(民主党内の予備選挙)においてヒラリー・クリントンを支持していたが、「オバマも好き」とも発言している。恋多き女性であり、1999年にはルーカス・ハースと、その後モービーと、2003年から2004年まではガエル・ガルシア・ベルナルと交際。その後もジェイク・ギレンホール、ヘイデン・クリステンセン、マルーン5のアダム・レヴィーン等 と交際、2005年にイスラエル人俳優リロン・レボと、2007年にはファッションブランド「Rag & Bone」の創始者のひとりで元モデルのネイサン・ボーグルと交際、2008年3月頃からはプロモーションビデオで共演したミュージシャンのデヴェンドラ・バンハートと交際を始めたが、同年9月には破局と報道された。2010年12月、『ブラック・スワン』で共演したフランス人振付師の(Benjamin Millepied)との婚約・妊娠を発表。2011年6月14日に男児を出産し、2012年8月に結婚した。2016年9月に第2子を妊娠中であることが明らかになった。喫煙者だったが、妊娠を契機に2010年12月31日付で卒煙を決意し、2011年以降は非喫煙者である。好きな映画は『ダーティ・ダンシング』で、主演のパトリック・スウェイジのファン。他に好きな俳優はベン・キングズレー。『ダークナイト ライジング』ではキーラ・ナイトレイやナオミ・ワッツと共にキャットウーマン役の最有力候補に挙げられていたが後に辞退していた。最終的にアン・ハサウェイが選ばれた。※日本で放送されたもののみ記載他多数[1] Portman, N.; Hurley, I.; Woodward, J. J. Chem. Edu. 1998, 75, 1270.
出典:wikipedia
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