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西武百貨店

西武百貨店(せいぶひゃっかてん)は、セブン&アイ・ホールディングス傘下の株式会社そごう・西武が運営する百貨店の旧称。現在は西武(せいぶ)。また、株式会社西武百貨店は、2009年7月31日までこれを運営していた企業である(法人としては解散)。2009年8月1日に、株式会社西武百貨店が、株式会社ミレニアムリテイリングと株式会社そごうと3社合併したことで、現在の運営会社になっている。合併前の株式会社西武百貨店は、かつての総合流通グループセゾングループの中核企業で、以前は旧第一勧銀グループ(現:みずほグループ)の一員でもあった。もともとは西武鉄道と同一のグループであったが、西武鉄道創業者堤康次郎の死後、現在の西武グループとセゾングループに分裂した。辻井喬のペンネームを持った小説家でもある堤清二は、日本の百貨店で、最初にパリにオフィスを構え、エルメス、イヴサンローラン、1962年にはピエール・カルダンと並ぶコンチネンタル・ルックの旗手としてパリで人気を博していたテッド・ラピドスと提携、1975年 - 1976年にかけての第一次アルマーニブームや欧米の高級ブランドをいち早く取り入れ、時をほぼ同じくしてヨーロッパの高級DCブランドを次々に導入。1984年にはついに、海外や国内の高級ブランドを一手に取り扱う専門商社「大沢商会」を傘下に収めたことで、事実上、国内高級ブランドのホールセールを独占。ファッションの総合商社「西武百貨店」が完成する。こうして西武は、日本一ブランド力のある百貨店の名をほしいままにした。ソニア・リキエル、、ジャンフランコ・フェレ、などの日本代理店になり、ケンゾー、イッセイミヤケ、タケオキクチ(メンズビギ)などを最初に導入したのも西武である。シブヤ西武(現:西武渋谷店)には、幻のショップ「カプセル」を設置し、デビュー間もない川久保玲(コム・デ・ギャルソン)、山本寛斎、イッセイミヤケ、タケオキクチら、新手のデザイナーらを後押しした。プライベートブランドの開発でも当時、日本ではまだ無名であったラルフローレンと契約し、メジャーブランドに育てた。また、時代を先取りし過ぎていたために閉館した「SEED館」の試みは、現在では一般的であるセレクト型編集売場の先駆けでもあった。ちなみに、エルメス・ジャポンとラルフローレン・ジャパンの筆頭株主は西武百貨店であった。また「イメージ戦略」を打ち出し、「おいしい生活」、「不思議大好き」など糸井重里らによる名キャッチコピーでも知られた。更にはパルコ、ロフト、無印良品、コンラン卿と提携した家具・インテリア専門館「ハビタ館」、世界中のレコードが入手できるといわれた「WAVE」、西武が設立に関わったFMラジオ局「J-WAVE」、大型書店「リブロ」、洋書や近代思想、コンテンポラリーアートの画集などを幅広く手掛け、青山ブックセンターと並び称された「アール・ヴィヴァン」、高級スーパー「ザ・ガーデン自由ヶ丘」、日本初の総合スポーツ専門館「西武スポーツ館」、リボン館、PAO館などの異業態を次々に起こし、セゾン美術館、銀座セゾン劇場、渋谷パルコ劇場、パルコ・クアトロ、東京テアトル、パルコ出版など、メセナ・ソフト事業も幅広く手掛けた。それは、セゾン文化と呼ばれ一世を風靡し、西武百貨店のブランド力を強固なものにすることに貢献した。ブランド力を生かして店舗網を拡大。また、同じセゾングループの西友が西武百貨店のブランド力を生かし「西武」を名乗った百貨店型店舗を運営し、全国に西武網が拡大した(西友運営の「西武」は1998 - 2000年にかけてLIVINに改称)。一方、日本百貨店経営協議会(JMA)事務局により地方百貨店の系列化も目指した。1992年、和田繁明が会長に就任。堤清二のもと管理機能が不在となり、あらゆる弊害が顕在化している現状を痛烈に批判した『西武百貨店白書』を公表。この中で「百貨店は構造不況」だと指摘している。バブル崩壊に伴う過去の不動産への過剰投資が重荷となり、パルコ等セゾン文化の中で養われた独自ブランドを手放し、更に最大の収益力を誇る池袋本店を不動産投資信託化して1000億以上の資金を調達するなどして再建に取り組んだ。しかし1999年、銀行側との折り合いが悪くなり和田は突如退任し完全に身を引いた。しかしながら、銀行からの要請もあり、2000年に民事再生法の適用を申請し経営破綻したそごうに特別顧問(のち社長)として和田が就任。和田は、西武百貨店の経営手法を多く取り入れる手法で(しかし、西武百貨店とそごうとの資本提携は行わずに)そごうの経営再建を進めた。このことがはからずも、後年西武百貨店とそごうが経営統合するにいたる大きなきっかけとなった。西武百貨店の再建に明るい兆しが見えて来た所で、西洋環境開発の不良債権処理をめぐりセゾングループの経営危機が表面化。傘下にあった西武百貨店にも再び経営不安がささやかれた。このとき、西武百貨店を救済したのが、西武百貨店の経営手法を取り入れて経営再建したばかりのそごうを傘下に収めていた「株式会社十合」であった。2003年から2004年にかけ後藤高志らの支援で十合が西武百貨店の第三者割当増資を段階的に引き受け、さらに株式交換を行う形で西武百貨店を完全子会社化し、株式会社十合がミレニアムリテイリングに商号変更したことで、そごうと西武百貨店の経営統合が実現。高島屋に次ぐ国内2位の巨大百貨店グループが誕生することになった。この事業持株会社方式の経営統合が、双方ののれん(屋号)を維持しながら経営の合理化を実現した点で、のちに行われた大手百貨店どうしの経営統合に少なからず影響を与えている。なお、関西地区(東海=愛三岐も含む)の西武百貨店は1976年(昭和51年)に開店した大津店を皮切りに西武百貨店関西によって運営されていたが、業績不振により西武百貨店(本社)へと統合された。しかし、その後も関西地区での業績は伸びず、関西の西武百貨店のシンボル的存在でイトマン事件の舞台になった「つかしん(塚新)店」(現グンゼタウンセンター つかしん、尼崎市、1985年開店)が2004年5月9日に閉鎖される遠因ともなった。その後、再建を確かなものとするためにミレニアムリテイリングは野村プリンシパル・ファイナンスなどを引受先とする増資を行い、事業持株会社として株式上場を目指していたが、野村プリンシパル・ファイナンスと西武百貨店の間で上場時期を巡る意見の対立が顕在化したことに加え、敵対的買収防衛策の観点から、2005年12月にミレニアムリテイリングの代表であった和田がセブン&アイ・ホールディングスの傘下入りを決めた(自らは2007年健康上の問題が理由として引退)。この結果、かつてのセゾングループに匹敵する、国内最大の流通グループが誕生した。2006年6月にセブン&アイ・ホールディングスがミレニアムリテイリングを買収、完全子会社(百貨店事業の中間持株会社化)となり、西武百貨店とそごうはセブン&アイグループの一員となった。セブン&アイグループ入り後しばらくは、そごうとともに独立色が保たれていたが、2009年2月には、百貨店では極めて珍しいイトーヨーカ堂・セブン-イレブンで扱われているプライベートブランド(PB商品)「セブンプレミアム」が池袋本店の食品売り場(デパ地下)に導入された。最終的に両社の全店舗に導入される予定である。日経によると、百貨店の売上不振の原因が高額商品に偏りすぎているため、日常的なアイテムであるPB商品を導入して品揃えを増やして、売り上げを高めるためと報じている。同年8月1日、そごうがミレニアムリテイリングと西武百貨店を吸収し、「そごう・西武」が発足。そごうとの提携開始から9年目で一社化となった。2006年2月期の西武百貨店全店における、国内百貨店事業単体の営業利益率は、4.18%で百貨店業界2位。ちなみに1位が大丸の4.4%、3位が阪急百貨店の4.06%である。西武百貨店池袋本店の年間来店客数は東京ディズニーリゾート(約2600万人)を上回る7000万人で日本第1位。2011年10月から展開を開始したセレクトショップ。同じセブン&アイグループのイトーヨーカ堂店内に、西武のサテライトショップを設けることによって、従来百貨店でしか扱っていなかったブランドを、より身近な場所で購入できるよう顧客の便宜を図った。また、アリオ仙台泉出店時からは新戦略として「SEIBU KIREI」も導入。こちらもまた百貨店でしか扱えなかったブランド化粧品をコンサルティング販売する。イセタンミラーが首都圏の駅ビル中心なのに対し、地方都市郊外店からスタートさせた。しかし不採算を理由に、旧沼津店の代替として営業している三島ショップを除いて、2017年中に閉店する方針である。なお、「西武・そごう」名義の小型店(武蔵小杉、柏)はそれぞれ「規模が大きいかつ川崎市に百貨店がない」「2016年9月に閉店するそごう柏店の代替」を理由に存続するため、そごう・西武の小型店は西武三島、西武・そごう武蔵小杉、西武・そごう柏の3店舗のみになる予定である。以下は、過去に存在した西武百貨店の店舗である(△は現在建物が解体された店舗)。1971年、高槻出店に際し「株式会社西武百貨店関西」を設立。1990年代に吸収合併した。1988年、セゾングループの再編にともない、「五番館西武」と「函館西武」、「旭川西武」の3店により「株式会社西武北海道」を設立。1997年、吸収合併。1988年、セゾングループの再編にともない、「だるま屋西武」、富山西武、小松西武の3店により「株式会社西武北陸」を設立。1993年、吸収合併。西武百貨店と同じ意匠や包装紙などを使用していたものの、店舗営業や商品の仕入れ自体は「西友」の管轄店舗であった。厳密には百貨店ではないため、百貨店を抜いた「西武」の名称のみを使用。「西武」を名乗っていた店舗では、ローマ字タイプの「SE■I■BU」の「■I■」部分のロゴの配色も異なり、緑色を使用(西武百貨店は赤・青色)。

出典:wikipedia

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