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美濃長谷川藩

美濃長谷川藩(みのはせがわはん)は、美濃国に存在した藩。藩の場所など、詳しいことは不明である。長谷川宗仁の子・長谷川守知は織田信長、豊臣秀吉に仕えた。慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いでは西軍に与して石田三成の居城である佐和山城に籠もっていたが、9月15日の本戦で西軍が壊滅し、東軍の小早川秀秋を主力とした軍勢が佐和山城に迫ると、守知は秀秋に内応して小早川軍を城内に招きいれ、石田一族を滅亡に追い込んだ。大坂の陣でも徳川方として活躍した守知は、元和3年(1617年)に美濃国内や摂津・伊勢国内などにおいて1万石の所領を与えられたことにより、諸侯に列した。守知の死後、家督は子の正尚が継いだ。しかし正尚は弟の長谷川守勝に3110石ほどを分与したため、長谷川家は2家の旗本家に、美濃長谷川藩は消滅して旗本領になった。ちなみに長谷川家は正尚の死後に跡を継いだ守俊(守知の四男)の早世により断絶した。1万石。外様。

出典:wikipedia

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