福井県立若狭高等学校(ふくいけんりつ わかさこうとうがっこう)は、福井県小浜市千種一丁目にある県立高等学校。小浜藩校「順造館」を前身に、若狭地方で中学教育が始められたことをルーツとしている。藩校成立は18世紀に遡り、県内でも有数の歴史を持つ。通称は「若高」(じゃっこう)。中学校令(一府県一校)により一時廃止され、福井中学の分校を経て、1897年(明治30年)に小浜尋常中学となった。1895年(明治28年)に福井県簡易農学校分校として小浜に水産科が設置され、のちに福井県立小浜水産学校となる。1905年(明治38年)には私立稚桜女学校が設立され、これが福井県立小浜高等女学校に発展した。1948年(昭和23年)の学制改革により、小浜中学、小浜高女、小浜水産を合併し、福井県立小浜高等学校が設立された。翌年、遠敷高等学校を合併し、福井県立若狭高等学校となった。設立当初は、普通科、商業科、家庭科、農業科、水産科および定時制からなった。のち、農業科は若狭農林高等学校(現、若狭東高等学校)、水産科は小浜水産高等学校に分割(2013年に再統合)し、今日に至っている。2011年(平成23年)から5年間文部科学省よりスーパーサイエンスハイスクール(SSH)指定校となった。2013年(平成25年)小浜水産高等学校が同校の海洋科学科となる。2014年(平成26年)東京大学海洋アライアンス海洋教育促進研究センターと、海洋教育促進拠点としての連携に関する協定を結ぶ。「異質なものに対する理解と寛容」の精神を養い、教養豊かな社会人の育成を目指す。同校は福井県立小浜中学校、福井県立小浜高等女学校および福井県立小浜水産学校をその母体としているが、現在に至るまで多くの変遷を経ている。「順造館」の遺構である順造門が、2016年現在も若狭高等学校正門として使用されている。1949年(昭和24年)から1994年3月まで縦割りホームルーム制を行っていた。縦割りホームルーム制とは、学科や学年の枠を取り払ったホームルームを編成し、学校生活の中心にするものである。旧制小浜中学、旧制小浜高女、旧制小浜水産、新制遠敷高校の4校を統合して発足した故に発生した生徒間の対立を緩和することが、縦割りホームルーム制導入の目的であった。導入初年度の1949年(昭和24年)は、普通科・家庭科・商業科の全生徒と水産科・農業科の1年生によって各ホームルームが編成されたが、翌年から校舎の離れている水産科・農業科の生徒は対象外となった。1つのホームルームには30 - 32名程度が所属し、導入当初は30のホームルームがあった。生徒・教師とも当初は縦割りホームルーム制の導入に戸惑い、定着後も存廃についてしばしば論争が起きた。ホームルームの団結を深めるための行事として、1950年(昭和25年)にホームキャンプと球技大会、1951年(昭和26年)に文化祭におけるホームデコレーションが行われるようになり、「ホーム雑誌」なるものも発行されるようになった。しかし、45年間続いた縦割りホームルーム制は1994年(平成6年)に職員会議で廃止が決定し、その歴史に幕を下ろした。山本和夫作詞/山田耕筰作曲1969年創部。全国高校ラグビーには、第74回大会(1993年)で初出場を果たした。その後80回大会(2000年)で再度代表になり、第95回大会(2015年)までに10度出場している。全国大会での初勝利は第82回大会(2002年)一回戦の富山工業高校戦(31-26)。福井県は全国大会予選への参加校自体が少なく、第77回大会(1997年)以降は同校と福井県立若狭東高等学校のいずれかが代表となる状態が続いている。春3回、夏7回甲子園に出場し、プロ野球に在籍した選手も多数いた。中でも、川藤幸三(元阪神)がOBとして著名である。1968年(昭和43年)に乗替寿好投手(元西鉄 - 広島)を擁し福井国体優勝、1973年(昭和48年)には内藤投手を擁し明治神宮大会優勝と2回の全国制覇を果たしている。春の選抜は1974年(昭和49年)、選手権大会は1969年(昭和44年)に甲子園でベスト4に入って以来、同大会への出場を果たしていない。2004年の国体で、松本啓典が800mで全国制覇を果たしている。
出典:wikipedia
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