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サクラローレル

サクラローレル () とは日本の元競走馬(持込馬)、元種牡馬である。1996年のJRA賞年度代表馬、JRA賞最優秀5歳以上牡馬(部門名は当時)。※以降、馬齢はすべて旧表記を用いる。サクラローレルは1994年1月、中山でデビュー。3戦目の未勝利戦で勝ち上がった。皐月賞は同期・同馬主のサクラスーパーオーが出走し、サクラローレルは日本ダービーを目指すこととなった。ダービートライアルの青葉賞でエアダブリンの3着に入り、ダービーの優先出走権を取るものの、直前で右後脚の球節炎によりダービー出走を断念せざるを得なかった。秋はセントライト記念から復帰したが8着と大敗して菊花賞には出られなかった。その後、900万下と1500万下の条件戦を連勝してオープン馬になったものの、同期の三冠馬ナリタブライアンとはクラシックで対戦できずに終わった。翌年、古馬になったサクラローレルは年明けの中山で行われた金杯に勝ち、重賞初制覇を飾った。しかし、続く目黒記念ではハギノリアルキングの2着に敗れた。目黒記念後、サクラローレルは天皇賞(春)を目指して調教されたが、栗東に遠征しての追い切りで両前脚深管を骨折する重傷を負ってしまう。一時は安楽死処分が検討されるほどだったが、関係者の努力により治療が行われることになり、長期の休養に入ることとなった。のちに明らかになった話として、調教師の境は金杯の直後に海外遠征を考えていたものの、「GIIIを勝ったばかりのサクラローレルで海外に行くといったら笑われる気がして言い出せなかった」として断念したという話がある。境はのちに井崎脩五郎に対し「あの時に行っていれば、海外でGIを勝っていたと思う。このヘボ調教師がチャンスの芽を摘んじゃったのさ。ローレルに悪いことをしたと、ずっと頭から離れないよ」と語ったことを、境の死後に井崎が明らかにしている。ケガから復帰したサクラローレルは、これまで主戦騎手を務めていた小島太の引退→調教師転身により、新たに主戦となった横山典弘との新コンビで中山記念に挑んだ。骨折からの長期休養明けということで9番人気という低評価であったが、最後の直線で1番人気のジェニュイン以下を差し切り優勝した。この勝利で完全に復活したサクラローレルは天皇賞(春)に挑むことになった。天皇賞(春)では、単勝1.7倍の1番人気に推されたナリタブライアンと2.8倍の2番人気に支持された1歳下のマヤノトップガンの2頭の一騎討ちムードの中、サクラローレルは3番人気に推された。そして、レースでは直線で力強い末脚を見せて、先に先頭に立っていたナリタブライアンを差し切って優勝。初のGI勝利となった。(このレースの詳細は第113回天皇賞を参照)遂にGI馬になったサクラローレルは、この年から7月に施行時期が変更になった宝塚記念を回避し、秋に備えた。休養明けのオールカマーでは、人気を二分したマヤノトップガンを相手に快勝、目標とする天皇賞(秋)に出走した。天皇賞(秋)では1番人気に支持されたものの、スタートで出遅れて後ろからの競馬になった上、直線で馬群の間に進路を取った結果、窮屈なところに閉じ込められてしまい、優勝したバブルガムフェローどころかマヤノトップガンにも先着を許して3着に敗れた。これは鞍上の横山も「最高に下手に乗った」と自戒し、境からも大目玉を食らった。天皇賞後、サクラローレルはジャパンカップを回避して有馬記念に出走。1番人気に応えてマーベラスサンデー以下を下し、GI2勝目を挙げた。数々の大レースを制してきた境にとっても、有馬記念はこれまで縁がなかった。その上、調教師生活通算700勝目をこの有馬記念で飾ったので、翌年2月での調教師勇退に最高の餞となった。GI2勝を挙げたサクラローレルは1996年のJRA賞年度代表馬、最優秀5歳以上牡馬を受賞した。年が明けた1997年、軽度の骨折の影響でサクラローレルは有馬記念からぶっつけで天皇賞(春)連覇を狙うことになった。が、3分14秒4と従来の記録を2秒7更新するレコードタイムで駆け抜けたマヤノトップガンの2着に敗れ、連覇を逃した。(このレースの詳細は第115回天皇賞を参照)小島が後日語った内容によると、この時、横山がスランプに陥っていると判断し、海外遠征経験の豊富さからも予定されていた凱旋門賞挑戦に関しては、最初はフランスの名手フレディー・ヘッドに騎乗を依頼していた。ところが、ヘッドの回答が「突然の現役引退宣言」だったため、急遽武豊に乗り替わることになった。だが、凱旋門賞を目指して渡仏するも、前哨戦のフォワ賞でレース中に右前脚に屈腱不全断裂を発症し、最下位8着に敗れた。また、この海外遠征に際し、日本で普段担当していた装蹄師を帯同せずに現地の装蹄師が担当したことと馬場が固かったことが、もともと脚元に不安のあったサクラローレルの故障の原因になったと言われている。故障の2日後の9月16日、サクラローレルは引退した。現役時に総額11億9000万円のシンジケートを組まれ、引退後は種牡馬となり静内スタリオンステーションで供用された。初年度産駒からローマンエンパイア(2002年京成杯)を出した。ほかにはサクラセンチュリー(2004年鳴尾記念、2005年日経新春杯、アルゼンチン共和国杯)がいる。初年度から芝の重賞勝ち馬を出してはいるが、産駒にはスタミナ豊富なダート巧者が多い。静内スタリオンステーションの閉鎖に伴い、2005年から2009年まではアロースタッドで供用されていた。2010年からは新和牧場で供用された。2012年に種牡馬を引退した後も引き続き新和牧場で繋養されている。

出典:wikipedia

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