フランソワ・クープラン(クプラン、François Couperin, 1668年11月10日 パリ - 1733年9月11日 同地)は、バロック時代のフランスの作曲家。多くの音楽家を輩出したクープラン家の中でも特に有名な人物であり、「大クープラン "Couperin le Grand "」として知られる。日本では、特に断ることなくクープランという場合、ふつうはフランソワ・クープランのことを指している。クープランは最初に父親から音楽教育を受け、1685年に、かつて伯父のルイ・クープランがついたポストであるサン=ジェルヴェ教会オルガニストに就任する。1693年にヴェルサイユ宮殿礼拝堂のオルガニストとなり、この頃から週ごとにルイ14世のために御前演奏を行なった。この演奏会(concerts)は、ヴァイオリンやヴィオール、オーボエ、ファゴット、クラヴサンのための室内楽であり、クープランの作曲したコンセール(Concerts)とは、合奏曲用に書かれた組曲にほかならない。ルイ14世の死後1717年には宮廷のシャンブルの音楽家に任命された。クープランの作品の中で主要な位置を占める、4巻のクラヴサン曲集は、230曲以上の小品がオルドルと称する組曲を構成しており、これらはアルマンドやクーラントといった組曲の代表的舞曲よりはむしろ、人名、風俗、自然、感情といった種類の優雅で象徴的な題名を持つ描写的な作品が多くを占めている。彼の有名な著書『クラヴサン奏法"L'Art de toucher le clavecin" 』(1717年出版)は、運指や打鍵、装飾などの鍵盤楽器演奏の実例を取り上げており、当時の演奏習慣に関する重要な資料ともなっている。クープランはコレッリに敬意を示し、そのトリオ・ソナタ様式をフランス音楽に導入した。クープランの有名なトリオ・ソナタの大作は、《コレッリ賛("L'Apothéose de Corelli")》と題されている。イタリア様式とフランス様式の混合を試みた曲集に、クープランは「趣味の融合"les Goûts réunis" 」という副題を与えている。ブラームスは、フランス音楽嫌いとして通っていたが、サン=サーンスとビゼーのほかに、クープランには例外的に興味を持っていた。自筆、写稿で残されたものの他、散逸したものも多い。
出典:wikipedia
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