取組(とりくみ)は相撲の試合のことをいい、大相撲では割と言ったほうが通りがいい。大相撲の取組は、審判部が取組編成会議を開いて決定する。取組編成会議の構成委員は、審判部長1名、審判部副部長2名、審判委員20名、副理事3名の合計26名で、これに行司5名程度が書記として出席する(2013年3月場所現在)。幕内の取組編成は、初日、2日目の分は初日の2日前に、3日目以降の分は前日の午前に決定して発表する。また、千秋楽の分は14日目の夕方に編成される。十両の取組編成は、初日の分は2日前に、2日目以降の分は取組とほぼ同時進行で編成される。また幕下以下の取組編成は、2日に1度まとめて編成し、13日目以降の分は12日目に3日分をまとめて決める。取組編成における決まりは、取組編成要領(1971年(昭和46年)7月施行)に表記されている(以下、原文のまま)。幕内の取組編成は、幕内前半に対戦する下位力士は初日は同地位の力士と対戦するように組む。逆に幕内後半に対戦する上位力士は、千秋楽に同地位の力士と対戦することを慣例としている。十両でも初日には幕内前半の力士と同様に同地位の力士と対戦するように組む。すなわち、最上位の東横綱は千秋楽が西横綱、14日目が東大関、13日目が西大関という具合になる。横綱対役力士、大関同士の対戦は原則として組まれることになっているが、幕内下位の力士が好成績を挙げる展開になった時には「割を壊す(崩す)」といい、対戦相手が一部、通常とは変更になることがある。開催日が土日となる初日、7日目、8日目には注目の取組が組まれることが多く、初日の取組では、東横綱は小結、西横綱は前頭筆頭あたりが対戦相手として選ばれることが多い。大関同士の取組や横綱-大関戦は、通常は早くても中日(8日目)以降に割が組まれるが、横綱・大関の人数が多いときなどは7日目以前に組まれることもある。1972年(昭和47年)1月場所から翌1973年(昭和48年)11月場所まで、横綱-大関戦および大関同士の取組が毎場所、序盤戦5日目までに19番も組まれたことがある(エピソードの項参照)。幕下以下の力士は、15日間毎日取組のある十両以上の力士とは異なり、通常1場所7番しか相撲を取らない。原則として、初日か2日目に1番相撲、3日目か4日目に2番相撲を取り、12日目まで同様に6番相撲までを取り、7番相撲は13日目か14日目か千秋楽に取る。全勝力士を多く出さないようにするため、幕下以下の取組編成は、原則としてスイス式トーナメント方式を取り入れている。1番相撲は東西の同地位の力士同士を対戦させ、初日は奇数枚目同士(幕下東筆頭vs幕下西筆頭、幕下東3枚目vs幕下西3枚目、…)、2日目は偶数枚目(幕下東2枚目vs幕下西2枚目、幕下東4枚目vs幕下西4枚目、…)を原則としている。2番相撲以降は、原則として互いに番付の近い相星(同成績)の力士同士を対戦させる。即ち、2番相撲は1勝同士、1敗同士が対戦する。3番相撲は、2勝同士、1勝1敗同士、2敗同士が対戦する。4番相撲は、3勝同士、2勝1敗同士、1勝2敗同士、3敗同士が対戦する(5番相撲、6番相撲、7番相撲も同様)。ただし休場者・部屋などの関係でその原則に合わない取組が組まれることがある。これにより全勝力士の人数が番数消化に連れて半数ずつ減って行き、最終的に全勝力士(7戦全勝)は各段毎に1人前後に収まり、当該力士がその場所の各段優勝、若しくは優勝同点となる。ただし、全勝者の番付が離れ過ぎている場合には、星違いの対戦を組むこともある。ほぼ毎場所7戦全勝力士が複数出る三段目や序二段より枚数が少ない幕下や序ノ口では、全勝力士が消え、6勝1敗の多人数(幕下では7〜9人程度、序ノ口では3〜5人程度)で優勝決定戦を行うことも稀にある。優勝決定戦の有無は千秋楽の進行に影響を与えるため、6番相撲を終えて優勝の可能性がある力士の7番相撲は全て13日目に組まれる(但し、平成に入ってから一時期6戦全勝力士の7番相撲を13日目、14日目、千秋楽に分散させていたことがあった)。休場者の発生により幕内の出場力士が奇数となったときの穴埋めや、いわゆる入れ替え戦などで、幕内対十両(上位力士)の取組が組まれることがあり、これは幕内の取組として扱われる。また同様の理由で、十両対幕下(上位力士)の取組が組まれることがあり、これは十両の取組として扱われる。十両対幕下の場合、十両力士と対戦する幕下力士は番数が1番前倒しになることがある。幕下以下でも同様に、幕下対三段目、三段目対序二段、序二段対序ノ口の取組があり、いずれの場合も上の方の地位の取組として扱われる。全出場者が奇数になった場合は、幕下上位や序ノ口下位で対戦する日をずらしたり、八番相撲を取らせたりして調整する。1965年(昭和40年)1月場所以降は部屋別総当たり制となっているため、同部屋の力士は本割では対戦が組まれない。部屋が異なる場合でも兄弟・従兄弟・叔父と甥などの血縁者同士の場合は、本割では対戦が組まれない。1962年(昭和37年)11月場所12日目、幕下最後の一番で3勝2敗同士の長谷川(西2枚目・佐渡ヶ嶽部屋)-四季の花(西6枚目・宮城野部屋)戦が組まれていたが、叔父と甥の血縁関係(四季の花の姉が長谷川の母親)に当たるという理由でこの取組が削除されるという出来事があった。両力士の6番相撲は14日目に、それぞれ別の力士と組まれた。ちなみに、以前より宮城野(第43代横綱吉葉山)から2人を対戦させないように審判部に申し入れが出されていたものの、両者は2回対戦している(1回目は1961年(昭和36年)9月場所初日、2回目は1962年(昭和37年)3月場所3日目。結果は四季の花の2戦2勝)。従って、「血縁者同士は対戦しない」という不文律はこの取組を境に定着したものと推察される。これまで不文律とされていたが、2009年(平成21年)1月29日の理事会において4親等以内の力士同士での本割取組を行わないことを決定し、取組編成要領に明文化されることになった。また従来は審判部の内規で、入門時の申請に基づいて兄弟などの取組は回避してきたが、2009年1月場所において光龍と翔天狼が互いに親戚関係だと訴え、追跡調査をする事例が発生したことから、入門時点で親戚関係も明記させることになった。なお優勝決定戦においては現行通り、4親等以内でも対戦させる。その後光龍と翔天狼は2010年1月場所で対戦している。優勝決定戦における同部屋・兄弟による優勝決定戦の代表的な例としては、1995年(平成7年)11月場所の大関3代若乃花-横綱貴乃花がある。奇数日は東が上位、偶数日は西が上位となっている。呼出による力士の呼び上げも、奇数日は東方から、偶数日は西方から呼び上げる。横綱土俵入りの後中入りの時間を利用して、「顔触れ言上」といって土俵上で立行司または三役格行司が、翌日の取組が一枚毎に半紙に書かれた「触れ」を観客に示しながら読み上げる。なお十両以下で取り直しの相撲などで取組進行が遅くなった場合は省略することもある。地方巡業などでは、勧進元や観客の要望に応える形で組まれる取組も多く、こうした取組は「お好み」と呼ばれる。本場所で見ることのできない同部屋対戦や、地元出身の注目力士と横綱、大関との取組などが好まれる。意味合いは違うが、昭和天皇が威勢の良い相撲を好んだためもあり、昭和の天覧相撲では、1975年(昭和50年)5月場所8日目の前頭筆頭富士櫻-小結麒麟児(現・北陣)戦など激しい突っ張り合いが期待される取組を組むことが恒例になっていた。
出典:wikipedia
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