精神外科(せいしんげか)とは、かつて散発的に流行した、脳に外科的手術を行うことにより、精神疾患の治療が行えるとした医療分野であった。代表的なものにロボトミーがある。後に、脳神経外科学。当時の標準的なロボトミーの術式は、前側頭部の頭蓋骨に小さい孔を開け、ロイコトームと呼ばれたメスを脳に差し込み、円を描くように動かして切開するというものであった。前頭前野と他の部位(辺縁系や前頭前野以外の皮質)との連絡線維を切断していたと考えられる。前頭前野は、意志、学習、言語、類推、計画性、衝動の抑制、社会性などヒトをヒトたらしめている高次機能の主座である。1935年、ジョン・フルトン(John Fulton)とカーライル・ヤコブセン(Carlyle Jacobsen)がチンパンジーにおいて前頭葉切断を行ったところ、性格が穏やかになったと報告したのを受け、同年、ポルトガルの神経科医エガス・モニスがリスボンのサンタマルタ病院で外科医のペドロ・アルメイダ・リマ(Pedro Almeida Lima)と組んで、初めてヒトにおいて前頭葉切裁術(前頭葉を脳のその他の部分から切り離す手術)を行った。その後、1936年9月14日ワシントンDCのジョージ・ワシントン大学でも、ウォルター・フリーマン (Walter Jackson Freeman II) 博士の手によって、米国で初めてのロボトミー手術が激越性うつ病患者(63歳の女性)におこなわれた。当時に於いて治療が不可能と思われた精神的疾病が外科的手術である程度は抑制できるという結果は注目に値するものであって世界各地で追試され、成功例も含まれたものの、特にうつ病の患者の6%は手術から生還することはなかった。また生還したとしても、しばしばてんかん発作、人格変化、無気力、抑制の欠如、衝動性などの重大かつ不可逆的な副作用が起こっていた。しかし、フリーマンとジェームズ・ワッツ (James W. Watts) により術式が「発展」されたこともあり、難治性の精神疾患患者に対して熱心に施術された。1949年にはモニスにノーベル生理学・医学賞が与えられた。しかし、その後、抗精神病薬の発明と飛躍的な発展がされたことと、ロボトミーの副作用の大きさと相まって規模は縮小し、脳神経学では禁忌とまでにされて追い込まれる事になる。また、モニス自身もロボトミー手術を行った患者に銃撃され重傷を負い、諸々の施術が(当時としては)人体実験に近かった事も含め、槍玉に挙げられ廃れる事になる。日本精神神経学会が1975年(昭和50年)に、『精神外科』を否定する決議を採択し、ロボトミー手術の廃止を宣言した事から、現在日本の精神科において、精神疾患に対してロボトミー手術を行うことは、精神医学上禁忌である。しかし、精神障害者患者会の一つ、全国「精神病」者集団の声明(2002年9月1日)では『厚生省の「精神科の治療指針」(昭和42年改定)はロボトミーなど精神外科手術を掲げており、この通知はいまだ廃止されていない。』と主張している。人を「ロボット (robot)」 のようにしてしまうからロボトミー、という誤解が日本において一部ある。ロボトミー(lobotomy)は、肺や脳などで臓器を構成する大きな単位である「葉(lobe)」を一塊に切除することを意味する外科分野の術語である。ロベクトミー(lobectomy, 葉切除)と同義である当項目のロボトミーでは「前頭葉切除」を意味し、「大脳葉にある神経路を1つ以上分断すること」と定義される。肺がんなどのため肺の一部を葉ごと切除(例:肺下葉切除)することもロボトミーの一種であるが、臨床ではロベクトミーの方が用いられる。日本では1942年(昭和17年)、新潟医科大学(後の新潟大学医学部)の中田瑞穂によって初めて行われ、第二次世界大戦中および戦後しばらく、主に統合失調症患者を対象として各地で施行された。日本では、1975年(昭和50年)に、「精神外科を否定する決議」が日本精神神経学会で可決され、それ以降は行われていない。日本では、このロボトミー手術を受けた患者が、同意のないまま手術を行なった医師の家族を、復讐と称して殺害した事件がある(ロボトミー殺人事件)。名古屋大学医学部精神医学教室でのロボトミーを受けた患者の解剖では、前頭葉全体が空洞化されており、スカスカだったという。当時解剖した患者で一番多かったのはアルコール依存症であった。なお、同教室の医師が他の医師と手術の統計をまとめようとしたところ、手術記録がどこにもみあたらなかったという。これは前出のロボトミー否定の学会決議を受け、病院側が隠蔽したものと見られている。
出典:wikipedia
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