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ラ・セーヌの星

『ラ・セーヌの星』(ラ・セーヌのほし)は、1975年4月4日から同年12月26日までフジテレビ系列で放送されたテレビアニメ。制作はフジテレビ/ユニマックス/創映社(現・サンライズ)。全39話。1789年に勃発したフランス革命の頃のパリを舞台とし、美少女剣士の活躍を描く。主人公はシテ島で花屋の娘として育った美しい少女シモーヌで、変装して「ラ・セーヌの星」を名乗り戦う。シモーヌはオーストリア女帝マリア・テレジアの夫フランツ1世とオペラ座の歌姫を両親に持ち、ルイ16世の王妃マリー・アントワネットの異母妹であるという設定である。放送と同時にアニメを元にした漫画が小学館の学年別学習雑誌に連載された。連載はすずき真弓、藤原栄子らによるもので、学年別に作者が違った。単行本は唯一、森村あすか版がKKベストブック社より刊行された。この森村版の復刻版コミックが2013年から2014年にかけて復刊ドットコムより上下巻で発売される。当時ポピー社の着せ替え人形、セイカの学習ノートなどキャラクター商品も発売された。もともとは当時連載中だった人気漫画『ベルサイユのばら』のアニメ化企画だったがオリジナル企画になり、『ベルサイユのばら』に加えて、手塚治虫の『リボンの騎士』の要素の入った作品となった。金子満が設立したエムケイの初作品である。基本的に全てフィクションであるが、モーツァルトやモンゴルフィエ兄弟、オルレアン公とその私邸パレ・ロワイヤル、ナポレオンなど実在の人物・建物が登場すること、革命前夜から「バスティーユ牢獄(以下、作中の表現に従いバスチーユと表記)の襲撃」「国王・王妃の処刑」に至るまでの情勢の流れや、数々の史実・歴史的事件を物語の基盤としており、放送当時話題を呼んだ。「ラ・セーヌ」は“"La Seine"”でセーヌ川のことである。同じくフランス革命をテーマにした『ベルサイユのばら』が、どちらかと言えば貴族の側から見た革命を中心に描いたのに対し、本作品では主に民衆の側から描かれ、終盤で王妃側に視点が転換されて両者の生活事情・心情が深く詳細にわたり描写されている。シモーヌの幼馴染ミランは貴族を憎み、階級差別のない世の中を作ろうと反乱を起こそうとして囚われる。彼はシモーヌとロベールの助けを受け一度はアメリカに渡るが、帰国後に革命の主導者となり、ラストシーンではさらなる激化・暗い時代の到来を予言する。弾圧を受ける民衆、立ち上がる革命家たちの象徴的存在だった。全体的に荒唐無稽なフィクションでありながら、歴史への考察は深い。前・中盤では典型的な勧善懲悪の時代劇ドラマに限りなく近い手法で革命前夜のフランスにおける国王の絶対的権力や、貴族と平民、宗教と科学、“保守派や官憲”(ザラールに代表される愚直なまでに王政への忠誠を尽くした警察隊ら)と“新しいものや自由を求め挑戦する若者たち”(科学者・芸術家など様々な姿で現される)の対立といった構図を平易に表現した。「悪者」は一目でそれとわかる姿で描かれ、容赦なく斬り捨てられ、子供向けアニメとしてはショッキングなシーンが連続する。終盤、権謀術数に長けた黒幕が現れ、また革命で貴族と民衆の力が逆転することにより価値観が覆る。王妃も単なる我が儘から贅沢した訳ではなく、国民の平穏な生活を望み、子を持つ母親として心を痛める姿が描かれる。その中で「ラ・セーヌの星」と「黒いチューリップ」は義賊であり、常に弱者に救いの手を差し延べる存在であり続ける。そのため、当初は救いの手を差し伸べた民衆がエゴを剥き出しにマリー王妃の幼い子供たちという弱者を虐げる存在に変わり果てたことで彼らと敵対することになる。シモーヌは普段おとなしく控えめな少女で従順そのものな淑女然としているのに対し、一度「ラ・セーヌの星」の姿になると一変、相手を問わず凛として雄々しく毅然とした強い態度を貫く。重厚なドレスからでも瞬時に戦闘時の衣装へ(その逆もある)早変わりする。なお、挿入歌「剣士のシャシャシャ」に手袋を投げるというくだりがあり。これは決闘開始の合図として手袋を投げるのに基いているが、「ラ・セーヌの星」は手袋を着けていない。また、「ラ・セーヌの星」が乗る白馬は最初ロベールから与えられたが、何処から現れて何処へ去っていくのかは謎である。常に「ラ・セーヌの星」に献身的に仕えている健気な馬であるにも関わらず、何故か名前はつけられていない。因みに、シモーヌが手懐けていたふくろうはコロー、ロバはタンタンという名である。細かい考証としては、シモーヌがド・フォルジュ公爵に見出された時の年齢が15歳を過ぎたばかりの頃、その時渡米したミランが帰国するのが3年後、それから約5年後の最終回までシモーヌは大人びた表情にはなるが容貌がほとんど変わらないのに対し、実の父フランツ1世(作中ではロートリンゲン公と称す)の没年から国王・王妃の処刑までの年数、また開始から数年(シモーヌが修道院で何年を過ごしたかも不明。第5話では3年間学ぶと説明を受けてはいる)のちの物語に登場するモンゴルフィエ兄弟による気球の公開実験、モーツァルトの交響曲第31番「パリ」の作曲時期などと照らし合わせると大きな矛盾が生じる。第27話以降では各歴史的事件の詳しい年代・日付が明確に示され、フランス革命の流れに完全に沿った形になった。最終回、内容は明かされてはいないが、マリー・アントワネットが獄中で誰に託すこともなく手紙を書き残している。ルイ16世の妹エリザベート王女に宛てた書簡「マリー・アントワネット最後の手紙」は実在し、今日も保管されている。花屋の看板娘であったシモーヌは、貴族ド・フォルジュ公爵の目にとまり、フェンシングの訓練を受け剣術を叩き込まれる。ある日、王妃マリー・アントワネットは嘗てフランス王妃候補だったことから事ある毎に衝突を繰り返すカトリーヌ夫人との何度目かになるカバリュース邸での舞踏会で競うドレスに飾るために入手困難な「サン・ファの黒バラ」をシモーヌの両親(実は養父母)が営む花屋に大量に注文する。パリ中の花問屋の協力により無事に花は集まるが、屈辱を受けた夫人の配下にシモーヌの両親は命を奪われ、死に際の父ポールから実の娘ではないこととベルサイユ宮殿にいる姉に会うようにと告げられ孤児となったシモーヌはパンテモン修道院に入る。ある夜、幼馴染のミランが政治犯としてバスチーユへ送られそうになる。その時、「黒いチューリップ」(ド・フォルジュ公爵の息子ロベール)はド・フォルジュ公爵に正義の精神と剣を教えられたシモーヌに戦うよう勧める。シモーヌは公爵から譲り受けた「正義の剣」を持ち、白馬を駆って「ラ・セーヌの星」として戦うことを決意する。公爵が裏切り者の手にかかって死を遂げる直前にシモーヌは出生に重大な秘密があることを告げられ、ド・フォルジュ家の養女となる。この秘密を知り、シモーヌの抹殺を計画、また金や権力のため利用することを企む者が現れる。「ラ・セーヌの星」は宮殿内にいる貴族の姉への思いを秘めながら「黒いチューリップ」と共に、パリで暗躍していた強盗やザラール隊長を筆頭とする横暴な治安警察と戦う。シモーヌは修道院を卒業した日の夜、ロベールに伴われ、兄妹として初めてベルサイユ宮殿での舞踏会に出席する。この時、国王の命を狙う者がいた。射撃の名手で昔ロベールの訴えによってベルサイユを追放されたならず者シャルル・ド・バイエが送り込まれており、仕掛け花火の騒ぎに紛れて国王を射殺しようとする。ロベールは直前に気づきこれを阻止するが、敵の罠に嵌まって国王暗殺未遂の罪を着せられ、公爵の称号を剥奪される。「ラ・セーヌの星」となったシモーヌはシャルルをパレ・ロワイヤルまで追い詰めるが、シャルルはその場で狙撃され絶命、真相は闇の中となる。ド・フォルジュ家の領地は没収されて国外追放となり、シモーヌは元のシテ島に戻り、再び花屋として生きることになる。花売り娘に戻ったシモーヌだが、離れ離れになった義兄ロベールを慕う想いは強くなる。国王・王妃は贅の限りを尽くし、その命令は絶対であり、逆らう者は容赦なく弾圧を受けた。圧政の下、民衆は貧窮に陥ってゆく。混乱に乗じて私腹を肥やそうとする者や、ノートルダム寺院を乗っ取ろうとする悪党までが現れるようになった。権力に屈することなく自由を求め熱気球の研究を続ける兄弟や音楽に情熱を傾ける若者、命懸けで家族を守ろうとする父親たちとの触れ合いを通じて、シモーヌはパリ市民の実情をより深く理解するようになる。奇怪な技を使う敵が次々に現れ戦いは続く。しかし、「ラ・セーヌの星」が絶体絶命のピンチに陥った時には何処からともなく「黒いチューリップ」が幾度も救いに現れた(第16話と第18話)。やがてシモーヌは「黒いチューリップ」の正体がロベールであることを知る(第16話)。時は過ぎ、国外追放されていたロベールが秘密裏にパリへ戻った。無実の罪、ド・フォルジュ家の汚名をすすぐため着々と準備を進めていたロベールは、やっと実行犯シャルルの従者ラルゴの手がかりを掴んだ。しかし、屋敷に戻ったところでザラールに捕われ、バスチーユへ護送されそうになる。その寸前、シモーヌの働きでラルゴの身柄がベルサイユの衛兵の手に渡り、自白によってロベールへの疑いは晴れた。国王暗殺首謀者は国王の従兄弟オルレアン公であることも白日の下となる。だが、それは更なる陰謀の始まりに過ぎなかった。事態は急転へと向かう。ド・フォルジュ家は再興するが、貴族の影の部分を知ったシモーヌは花屋での生活を選ぶ。ベルサイユではオルレアン公の審理が行われる。実はオルレアン公を陥れ、他の貴族を思いのままにしようと企んだ真の黒幕は国王の側近く仕えるド・モラール侯だったが、オルレアン公を演じた最後の証人ギボンが殺害され、オルレアン公の無実は明らかになるも真相は闇に葬られたまま終わる。一方、パリ市民はさらなる重税に苦しみ、その怒りは王政への信頼を失わせ、警官隊や軍隊を相手に暴動を起こすまでになっていた。折しもその頃、アメリカで人民による議会政治を学んだミランが帰国する。ザラールは反抗分子として一度は捕らえたミランが不穏な市民を主導することを危惧し、抹殺しようとするが、またも「ラ・セーヌの星」に阻止される。やがて三部会議会が召集され、ミランはド・モラールが送り込んだ対立候補を破って市民の代表として出席するが、貴族と僧侶が市民代表を無視したため、国王に抗議を唱え逮捕・バスチーユに投獄される。人々の怒りは爆発し、遂に武器をとり市民軍として監獄へ押しかける。「ラ・セーヌの星」の決死の救出もありバスチーユは陥落、とうとうフランス革命が始まる。一方、ザラールは「ラ・セーヌの星」と対決を重ねる内、その正体がシモーヌではないかとの疑惑を深め、ド・モラールと結託してミラン暗殺計画を漏らすことで「ラ・セーヌの星」をおびき出す。だが、ド・モラールの真の目的はロベールが「ラ・セーヌの星」と通じているのを確かめ、反逆の罪を着せ捕らえる事だった。真摯なロベールに篤く信頼を寄せていたマリー・アントワネットはその真意を知りたい一心で、自ら危険を冒して牢獄へ潜入して彼を救出する。遂に、王妃の間において「ラ・セーヌの星」シモーヌはロートリンゲン公の娘・マリーの異母妹であることが明かされる。真実を知ったシモーヌは国民の敵と憎む王妃が姉という事実を受け入れ難く感じるが、夫として妻を姉と呼んでやって欲しいと告げる国王ルイ16世の説得もあってマリーの孤独を知り、彼女を守れるのは自分だけだと覚悟を決める。ド・モラールはスイス兵を擁して暴動の鎮圧と王一族の逃亡を計画するが、それは国民の怒りを増幅させるだけだった。「ラ・セーヌの星」は保身のために王家を利用したド・モラール、最後まで眼前に立ちはだかったザラールの両者との決着をつけるが、マリー王妃のように高貴な人物が処刑されるなど我慢がならないとフェルゼンによって国王一家の亡命は実行されてしまう(ヴァレンヌ事件)。ミランもシモーヌの出生の秘密を知って心を痛めるが、もはや指導者一人の意思では抑えられぬまでに革命の勢いは増していた。死刑が決まった国王と王妃は「ラ・セーヌの星」の救出を拒み、最後まで誇りを捨てず断頭台に立つ。シモーヌとロベールはマリー王妃に託された国王夫妻の遺児マリー・テレーズとルイ・シャルルを救い出し、新しい親子としてフランスを去った。オープニングは、断頭台に立つ王妃と群がる民衆の画にナレーションを重ね、「マリーを殺せ!」という叫びの後、燃えあがる炎とともにタイトルとラ・セーヌの星が現れ、アレーヌが「Etoir La Seine」(題名のフランス語表記)とコールする(第1・2話は除く)という、当時としては衝撃的なものである。フランスを舞台にしたアニメであり、日本コロムビアの木村英俊の発案で歌もフランス人の女性歌手アレーヌが担当した。駐日フランス大使館とフランス観光協会の協力により、パリでオーディションを実施。8人の応募者の中からアレーヌが選ばれ、3日間の日本語の特訓を経て、現地で録音された。放送開始1ヶ月後にアレーヌは来日して、関東中心に6ヶ所でイベントが開催された。堀江美都子は、適切なフランス人歌手が見つからなかった場合に備えた存在だった。実際にアレーヌの録音が間に合わず、放送では第1話・第2話のみ堀江版のオープニングとエンディング曲が使用されている。この堀江バージョンは当時は朝日ソノラマから発売され、後年コロムビア「堀江美都子 歌のあゆみ2」に収録された。堀江版オープニングは後年まで再放送で使用されていたが、現在のCS放送やDVD版ではアレーヌ版に差し替えられている。日本コロムビアより1975年6月に発売された。全作曲・編曲は菊池俊輔が担当。後年(昭和50年代)ドラマ編というLPレコードが発売された。収録曲目は1975年に発売されたLPレコードと同一。デジタル・リマスタリング5,000枚完全生産限定盤。本作はフジテレビでは伊勢丹の一社提供番組であり、同局の本放送ではオープニングの途中に伊勢丹のロゴが表示された。なお、もともとこの時間帯はローカルセールス枠であり、関西地区の系列局である関西テレビではこの時間、コメディNo.1(坂田利夫・前田五郎)他吉本興業所属芸人による自社制作バラエティスタジオ番組「爆笑寄席」~「爆笑家族」が放映されていたことに加え、親会社・阪急電鉄の宝塚歌劇団が直前に同趣旨の『ベルサイユのばら』を上演していたためか、『ラ・セーヌの星』の同時ネットはなかった。関西での初放映はしばらくたってから独立UHF局(KBS京都・サンテレビ)で行われ、その後、1980年代に読売テレビ(日本テレビ系)で再放送されている。ちなみに、伊勢丹の店舗は関西では1997年に完成した京都駅ビルに伊勢丹とJR西日本との共同出資会社であるジェイアール西日本伊勢丹により『ジェイアール京都伊勢丹』が出店するまで存在しなかった。なお、関西テレビ・阪急電鉄・宝塚歌劇団のと同系(阪急東宝グループ)の阪急百貨店が後年の1996年から2007年まで伊勢丹と業務提携関係にあった。東海地方の系列局である東海テレビも丸栄が筆頭スポンサーでローカルクイズ番組が放映されたため、『ラ・セーヌの星』の同時ネットはなかった。東海での初放映はしばらくたってからテレビ愛知(テレビ東京系)で放送されている。ちなみに、東海地方では三越伊勢丹ホールディングス(東海地方では三越名古屋栄本店、星が丘店の2店舗、いずれも旧・オリエンタル中村百貨店)が設立、名鉄百貨店が業務提携するまで存在していなかった。広島県の系列局だった広島テレビも、当時は日本テレビ系とのクロスネットだったため、金曜19時00分台は『サザエさん』(東芝のスポンサードネットによる日曜本放送版)を遅れネットしていた関係上、同時ネットされていなかった他、同局の編成から外れたフジテレビ系の番組を放送していた広島ホームテレビ(NETテレビ系)や中国放送(TBS系)への放映移譲も行われなかった。なお、放送期間中にテレビ新広島が開局しているが、同局では本放送終了後に再放送枠で全話放送された。福岡県の基幹局であるテレビ西日本では、1975年10月から、半年遅れで開始された。過去、Yahoo! 動画(現・GyaO!ストア)において有料オンライン配信された事があった。

出典:wikipedia

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