津島線(つしません)は、愛知県清須市の須ヶ口駅から愛知県津島市の津島駅までを結ぶ名古屋鉄道(名鉄)の鉄道路線。名古屋鉄道の前身である名古屋電気鉄道が最初期に建設した名古屋市郊外路線(「郡部線」)の一つで、津島街道に沿って津島市に至る通勤通学路線である。沿線は海抜ゼロメートル地帯を擁する低湿地帯であり、伊勢湾台風や東海豪雨といった水害を何度も経験している。一方で、伊勢湾台風罹災後の復興で沿線のベッドタウン化が進行し、津島線も通勤通学路線としての色彩が濃くなった。通勤対策として投入された6000系電車の出発式も津島線で行われている。運賃計算区分はB(運賃計算に用いる距離は営業キロの1.15倍)。すべての駅でmanacaなどの交通系ICカード全国相互利用サービス対応カードが使用できる。東海地震に関する警戒宣言が発令された場合、津島線では地震防災対策強化地域にあたる須ヶ口駅 - 津島駅間の全区間で列車の運行が休止されることになっている。名古屋から尾張西部へ鉄道を敷設しようとする運動は鉄道黎明期から存在し、名古屋から津島を経て桑名に至る「尾勢電気鉄道」計画が1889年(明治22年)6月に出願されているが、当時の電気鉄道の技術は未成熟で、実現は困難であるとして却下されている。その後、この地方初の私鉄として関西鉄道が開業したが、同社線は津島を経由しなかった。折しも時勢は第二次鉄道ブームの真っ只中であり、この地域でも津島街道・佐屋街道沿いで名古屋と津島とを結ぶ鉄道計画が多数出願されてはいた。しかしこれらは関西鉄道との競合を理由に全て却下され、結局この時期に開業に至ったのは関西鉄道と競合しない尾西鉄道(弥富駅 - 一宮間)だけであった。その後も名古屋 - 津島間の鉄道敷設の模索は続いた。1900年代後半になると、電気鉄道技術の発展に伴う全国的な鉄道建設ブーム(第一次電鉄ブーム)が再び到来し、阪神電気鉄道などのように、(私設鉄道法による「鉄道」ではなく)軌道条例による「軌道」とすることで特許を手中に収めるケースも増えてきた。名古屋周辺でも同様の動きがあり、1906年(明治39年)11月になると「尾張電気鉄道」「津島電気鉄道」「名古屋電気鉄道」の三社が名古屋 - 津島間の鉄道計画を申請している。同区間の特許は競合の末名古屋電鉄が敷設権を勝ち取り、1907年(明治40年)には軌道条例による特許が下付された(電車・貨車連結運転のため後に軽便鉄道法による軽便鉄道に変更した)。名古屋電鉄の計画路線は津島街道経由のルートを取っていた。これは同社「郡部線」の拠点となる押切町駅から庄内川を渡った枇杷島橋駅(現・枇杷島分岐点)から枝分かれするルートを選択したためで、佐屋街道経由と比べると遠回りであった。そのため、名古屋電鉄のように郊外進出を目論んだ名古屋土地(後の中村電気軌道)や名古屋電鉄の津島進出に対抗したい尾西鉄道など、名古屋電鉄が津島線の特許を得た後も数社が佐屋街道経由ルートでの鉄道建設に名乗りを上げたが、いずれの計画も特許・免許が得られず未成に終わっている。津島線は申請の段階では他の郡部線計画より先行していたが、用地買収と橋梁材製作に手間取ったことから、建設の段階では他線の後れを取った。測量は1910年(明治43年)10月頃より開始し、1912年(大正元年)12月には津島方面から工事に着手した。河川が多い沿線では鉄道による河川の分断について上流側と下流側とで意見が分かれており、名古屋電鉄や地元自治体は意見調整に奔走した(最終的には愛知県に調停を求め、1913年(大正2年)6月頃解決した)。路線は1914年(大正3年)1月に完成し、同23日に開業した。当時は枇杷島橋駅 - 新津島駅間が津島線で、6の停車場(西枇杷島、須ヶ口、甚目寺、木田、勝幡、新津島)と4の停留場(新川橋、七宝、青塚、藤浪)が設けられた。既に1913年11月より押切町駅から柳橋駅への市内線乗り入れが実施されていたため、津島線の列車も柳橋駅発着となった。津島線の開業が尾西鉄道に与えた影響は大きく、同社は名古屋電鉄に対抗するため中村線(現在の名古屋本線の一部)の建設など様々な策を講じたが、1925年(大正14年)には名古屋鉄道に鉄道事業を譲り渡すことになる。これにより津島駅も名鉄の駅となったため、新津島駅から100mほど枇杷島橋方に構内乗換場を設けて乗換の便宜を図った。その後、新津島・津島間の乗換問題は1931年(昭和6年)に両駅を統合することで抜本的な解決を見た。一方、名古屋鉄道は名古屋 - 岐阜間の都市間連絡鉄道を求めて美濃電気軌道を合併し、名岐鉄道となった。既存の路線を繋ぎ合わせる新線が建設され、須ヶ口駅から分岐していた清洲線は国府宮駅 - 丸ノ内駅間の開業により一部区間が名岐線に編入された。そして愛知電気鉄道との合併を経た1941年(昭和16年)、東西連絡線のうち東枇杷島信号所 - 新名古屋駅(現・名鉄名古屋駅)間が開通。開通区間および一宮線東枇杷島信号所 - 枇杷島橋駅間、津島線枇杷島橋駅 - 須ヶ口駅間が名岐線に編入され、津島線は須ヶ口駅 - 津島駅間となった。津島線内で完結する列車は数本しかなく、津島側では大半の列車が尾西線弥富方面へ直通し、須ヶ口側では半数以上の列車が名古屋本線へ直通している。また、名古屋本線では岐阜方面の普通列車が須ヶ口駅発着となっているため、名古屋本線に編入された旧・津島線区間(枇杷島分岐点 - 須ヶ口間)のローカル運用は現在でも津島線直通列車が担っている。パターンダイヤは時間帯によって以下のように変化する。基本パターンおよび平日夕方のパターンは2008年12月27日改正以降のもので、平日昼間帯のパターンは2011年3月26日改正で基本パターンから変更されたものである。図のように上りと下りとで優等列車の設定本数に差異があり、普通停車駅では(基本パターンでは)日中毎時下り6本・上り4本と乗車機会が異なっている。最大編成は下り、上り共に8両であるが、高架化された藤浪駅を除く中間駅は、下り6両・上り8両とホームの長さが異なることが特徴である(下りの8両は後部2両ドアカット。全区間の所要時間は優等列車が12 - 13分、普通列車が16 - 17分となっている。直通先の名古屋本線は犬山線など他線区からの直通もあって線路容量が限界に近いため、津島線の輸送力増加策は専ら増発ではなく車両の増結によって対処されてきた。そのため津島線の線路容量は名古屋本線と比べると余裕があり、かつてはその余裕分を使って新川工場(須ヶ口駅構内に所在)で整備された新車や修理車両の試運転を行っていた。これまで津島線に設定された特急は大きく分けて4つの時期に分けられる。2008年12月改正でそれまで快速急行(2005年1月改正以前は急行)として運行されていた西尾線直通系統が準急に変更されたため、津島線内を急行として運行するのは平日の下り朝1本(741列車)、上り夜2本(2148列車、2242列車)のみとなっている。このうち741列車は3500系・3700系・3300系のいずれかによる8両編成で運転され(佐屋駅では増結ができないため上り列車への送り込みを兼ねて8両編成になっている)、当線内では始発の須ヶ口駅と津島駅以外は6両ホームのため(尾西線の日比野駅は6両、佐屋駅は8両)、名古屋寄り2両はドアカットを行う。過去に存在した急行列車は基本的に名古屋本線直通列車で直通先も優等運用を行っていたが、2005年1月白紙改正で増発した上り急行(毎時1本)は尾西線・津島線内のみ急行運転し、直通先では普通列車に種別変更していた。この列車は2005年1月白紙改正で廃止された昼間帯の特急を補完する形で設定されたもので、現行パターンに整理される2008年12月改正まで設定されていた。平日の夕方ラッシュ時間帯および土休日の朝から夕方までの時間帯の上りに設定され、尾西線佐屋駅 - 西尾線吉良吉田駅間に毎時2本運行されている(名鉄名古屋駅から先は急行、一部時間帯は西尾線内準急)。同じ系統の下り列車は須ヶ口駅から普通になるため、津島線内を準急で走る下り列車は存在しない(この系統が下りのみ普通に種別変更するようになったのは1998年4月改正以降)。以前は平日も土休日同様に終日運転されていたが、2011年3月改正で豊明駅発着系統が削減されたため、代替としてこの系統が神宮前駅(下り。上りは名鉄名古屋駅) - 弥富駅間の普通列車を担うようになり、それに伴い当該時間帯の準急運転が無くなった。津島線の名古屋本線直通列車は1982年3月改正で一旦大半が普通(名古屋本線内は準急)のみとなったが、翌1983年3月改正で急行が復活し、1985年3月改正からは再び西尾・蒲郡線系統と統合した。下り方面が普通に変更される1998年4月改正までは蒲郡線蒲郡駅 - 尾西線佐屋駅間の運行だったが、同改正で佐屋駅 - 西尾駅間に縮小された(2005年1月白紙改正からは「快速急行」に変更されたが、津島線内の停車駅は同じ)。2008年6月改正で同じ経路を辿っていた全車特別車特急が廃止されると、代替として快速急行を毎時1本から毎時2本に増発し、運行区間も吉良吉田駅 - 佐屋駅間に拡大した。その後、同年12月改正で種別を準急に改めて現在に至る。現在の準急は急行・特急と同じ停車駅だが、1990年10月改正以前に存在した準急は現在の停車駅に加えて青塚駅にも停車していた(1980年4月改正で準急停車駅に昇格)。晩年の準急列車は平日の上り1本(844A列車)と下り2本(749B列車と741列車)の計3本しかなく、これら3本の列車は準急廃止後(急行化後)も青塚駅に特別停車していた。上下線とも、須ヶ口駅で名古屋本線の急行に連絡するダイヤが基本となっている。現行ダイヤではいずれのパターンでも、須ヶ口駅 - 佐屋駅(弥富駅)間(毎時2本)の列車と名古屋本線直通列車(毎時2本、平日昼以外の下りは毎時4本)とを組み合わせたダイヤとなっている。前述の通り、平日昼間帯以外のパターンは2008年12月改正で組み立てられ、平日昼間帯のみ2011年3月改正で変更(削減)されたものである。平日昼間帯を除き、基本的に同じ系統への折り返しは無く、吉良吉田駅→佐屋駅→須ヶ口駅→弥富駅→豊明駅→佐屋駅→吉良吉田駅というサイクルで運転されることが多い(須ヶ口駅または豊明駅で出入庫となる列車もある)。佐屋駅(弥富駅) - 豊明駅間の系統は元・三河線直通列車で、2005年白紙改正で三河線への直通が廃止された。同改正から2008年12月改正までは弥富駅 - 知立駅間(2006年4月改正からは、平日夕方以降の上りを除き東岡崎駅発着に延長、須ヶ口駅 - 前後駅間は準急)として運行されていた。2008年12月改正以前は昼間帯に津島線・尾西線内で完結する列車は少なく、常滑線(河和・内海)方面直通の普通列車と名古屋本線内は優等に種別変更する普通列車がそれぞれ毎時2本運転されていた。過去には尾西線森上方面と行き来する列車も多数存在した(特急節および尾西線の運行形態参照)が、現在では平日朝ラッシュ時にのみ名鉄一宮駅発の直通列車が3本あるのみである(3762列車、3764列車、3842列車。津島駅でそれぞれ762列車、764列車、842列車に併結する)。ほとんど4両編成で運転されるが、平日の朝ラッシュピーク時の上りは6000・6500・6800系や3500・3700・3300系の8両編成により、約10分間隔で運転され、須ヶ口駅で急行や準急に種別変更するパターンとなっている。これらへの送り込みのため設定されている下りの8両編成の列車は、須ヶ口駅、藤浪駅、津島駅を除き、6両ホームのため、名古屋方2両はドアカットを行う。
出典:wikipedia
LINEスタンプ制作に興味がある場合は、
下記よりスタンプファクトリーのホームページをご覧ください。