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北の国から

『北の国から』(きたのくにから)は、フジテレビ系で放送された日本のテレビドラマ。主演は田中邦衛。1981年10月9日から1982年3月26日まで毎週金曜日22:00 - 22:54に、「金曜劇場」枠で連続ドラマが、1983年から2002年までドラマスペシャルが放送された。北海道富良野市(主に麓郷地区)が舞台。東京から故郷の北海道に帰郷して、大自然の中で暮らす一家の姿を描く。脚本は倉本聰で、北海道の雄大な自然の中で繰り広げられる。連続ドラマ放送後、8編に及ぶドラマスペシャルが放映された。主題歌の作曲・スキャットは、さだまさし。映画『キタキツネ物語』と『アドベンチャーファミリー』の大ヒットにより、似たようなものが出来ないかと、フジテレビから倉本に話が持ち込まれたことから企画が始まる。コンセプトは、アメリカ合衆国のテレビドラマシリーズ『大草原の小さな家』をヒントにしたものと言われる。或いは、40年前に倉本が富良野に移住した際「大みそかに夜逃げしたと思われる朽ち果てた農家の廃屋を発見したことが原点」とも発言している。最初の放送からドラマスペシャルが21年間に渡って放送されたが、制作スタッフの高齢化による定年退職や、長期ロケによる高額な制作費により、続編の制作が困難になった事から、『2002遺言』をもってシリーズの歴史に幕を下ろした。フジテレビ系列局である北海道文化放送が連続ドラマ版を開局10周年記念番組として位置付けて番組制作に協力し、その後のドラマスペシャル版でも制作協力をしており、毎回長期に渡る北海道ロケによって制作された。美しい自然や祭りなど、富良野市は日本中に知られるようになり、過疎の村だった麓郷地区には第1作放送直後から、休日になると数百人の観光客が見物に訪れることとなった。最終作が放送された2002年度には249万人が訪れている。富良野は北海道の観光名所となり、ドラマに使われた丸太小屋が再現された他、富良野市農業協同組合駅前4号倉庫を改造した「北の国から資料館」が設けられた。連続ドラマ第1話、黒板親子が降り立った布部駅の入口脇には、倉本の筆による「北の国 此処に始る」と書かれた碑が建てられるなどした。新富良野プリンスホテルの敷地内には『北の国から』をはじめとする富良野を舞台にしたドラマグッズを販売する『富良野・ドラマ館』があり、ここでは黒板五郎のニット帽子やジャンバー等のオリジナルグッズが購入できる。なお、この建物は倉本の意向により昭和17年当時の富良野駅をモデルに建てられており、店内にはだるまストーブなどがあり、冬季は今でも使われている。舞台を麓郷とする着想は、富良野に移住した倉本が麓郷で林業を営んでいた人物と出会ったことがその始まりであった。ドラマに登場する中畑和夫はこの人物をモチーフとしたキャラクターである。この人物は妻とともにロケ地の提供や撮影への協力を献身的におこないドラマを支えた。倉本は彼を「『北の国から』の全作品を通しての最大の功労者」「彼がいなかったら出来ていない」と記している。また、彼をはじめとする富良野で出会った人々についてはエッセイ『北の人名録』(新潮文庫)に詳しく記されている。全24話。テレビ大賞受賞作品。異例の1年2か月間に及ぶ長期ロケを敢行。スタート当初は視聴率も一時は1桁台に落ちたものの尻上がりに上昇し最終回には20%を突破、平均視聴率は14.8%を記録した。また最終回放送日には各新聞朝刊にお礼広告を出稿。視聴者から寄せられた投書も1万通を超えた。主役の黒板五郎役は大御所俳優からは高倉健・田中邦衛・仲代達矢・菅原文太・北島三郎。演技派のベテラン俳優からは緒形拳。二枚目の銀幕スターからは藤竜也などの候補者がいたが、最終的には情けなさそうな人物の父親像ということで田中邦衛を抜擢した。なお、菅原文太は『北の国から'92巣立ち』に特別出演している。純による東京のガールフレンドに語りかけるナレーションが、物語の語り手となっている。「今日僕は…なわけで」「…しており」「…と思われ」などの特徴的な口調は、同じ倉本脚本のドラマ『前略おふくろ様』で主役を演じる萩原健一によるナレーション手法を転用したものである。倉本は『前略おふくろ様』で初めてこの手法を使用した際に口調は山下清から流用したが、本作でもそのまま使われる形になった。後のスペシャル化後はガールフレンドに語りかける設定はなくなったが、このスタイルは踏襲された。制作費予算は総額約6億円で1話あたり約2,500万円。ただし、倉本によると実際には1話あたり5,000万円近くかかり、放送前の時点で赤字が積み上がったため中村敏夫プロデューサーが心痛から急病で入院することになったという。連続ドラマでは東京の場面が多いが、これは東京と地方の対比を描きたかったことと前述の番組予算問題のためである。連続ドラマの好評を受け、10年単位で子役の成長を追う大河ドラマというコンセプトで、当初から長期シリーズとする予定で開始。ドラマスペシャルでは常時視聴率20%超えを記録した。全ての作品がビデオ化されている。第1話は喫茶店の中で流れる、スメタナ『我が祖国』の第2曲『ヴルタヴァ(モルダウ)』の旋律で始まる。メインテーマ以外にもドラマで使用されたギターサウンドは、当時さだまさしツアーのメンバーだったギタリストの坂元昭二が手掛けている。さだ担当のサウンドトラックとは別に多数の楽曲が使用された。ジャンルは、クラシック音楽やフュージョン、J-POP、演歌と幅広く、連続ドラマ時代には比較的中島みゆきの楽曲が多く使用されていた。あくまでもドラマが続いた場合の倉本聰の構想であり、映像化並びに活字出版化されている訳ではないので注意が必要。倉本は2011年に刊行した『獨白 2011年3月』において、新作を最近書かないかと言われたが、諸般の事情で流れたと述べている。倉本がそのとき考えかけたプランでは、2011年5月の富良野での「北の国から」広場オープンの倉本のスピーチによると、2011年8月、倉本と大根仁、BOSEのラジオでの対談によると、同年8月、BSフジ「『北の国から』放映30周年記念特別番組 今、五郎の生き方~2011夏 倉本 聰~」では、震災後の状況は同じであるが、純は福島でボランティアとして働き、同年10月富良野市新富良野ホテルで行われた倉本聰講演会及び会場設置の案内では、蛍は看護師としてボランティアを行っており、快は麓郷で五郎とともに石の家に住んでいるとしている。2012年2月に発売された雑誌『文藝春秋』2012年3月号で倉本は「頭の中の『北の国から』―2011『つなみ』」と題した現時点での登場人物の「その後」について触れた文章を寄稿した。この中では以下のような内容が記されている。倉本は2015年のインタビューで『北の国から』の続編を、福島を舞台に描く構想があると答えた。全作品のシナリオが理論社から刊行されている。倉本聰が執筆したベースのものであるため、実際の放送内容と異なる点もある。倉本は、連続ドラマの小説化を理論社から依頼されるが、これを断り、当時としては異例のシナリオ本として上下巻2巻で全話シナリオを収録、路傍の石文学賞、小学館児童出版文化賞を受賞。発行部数40万部と成功し、本作のシナリオ本が契機となり、山田太一や向田邦子ら脚本家のシナリオが書籍化される様になった。以後、本作のシナリオ本の刊行は慣例となり、小説誌『小説新潮』に『'83冬』のシナリオが掲載された事もある。1994年現在、SPドラマのシナリオ本と合計し90万部を記録している。1993年、中学2年生の国語教科書(光村図書)にシナリオが掲載された。

出典:wikipedia

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