ピアノソナタ第32番 ハ短調 作品111は、ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェンが1822年に完成した、作曲者最後のピアノソナタ。ベートーヴェン最後のピアノソナタの作曲は、第30番作品109、第31番 作品110と並行する形で進められた。1819年頃にはスケッチに着手しており、1820年9月20日の書簡ではこの曲の作曲を進めている最中であることが報告されている。その後、浄書開始の日付として譜面に1822年1月13日の日付が書き入れられており、この直後に全曲の完成に至ったと思われる。当時のベートーヴェンは『ミサ・ソレムニス』や交響曲第9番などの大作にも取り組んでおり、これら晩年の作品群は同時に生み出されていったことになる。この曲の完成をもってベートーヴェンは初期より続けてきたピアノソナタ作曲の筆を折る。この曲の後のピアノ作品には『ディアベリ変奏曲』などが続くものの、ピアノソナタが書かれることはついになかった。1822年6月5日付の書簡では次なるピアノソナタが近いうちに出来上がる旨、楽譜出版社のペータースに伝えているが、該当する作品の存在は草稿としても確認されていない。曲は対照的な2つの楽章より構成される。結果として、アレグロで対位法的書法を駆使した情熱的なハ短調のソナタ形式と、アダージョで美しいハ長調の変奏曲という、ベートーヴェンが後期ピアノソナタにおいて体現してきたすべての要素を凝縮したかのような2楽章の傑作が生まれることとなった。この両楽章の際立った対比については、「輪廻と解脱」(ハンス・フォン・ビューロー)、「此岸と彼岸」(エトヴィン・フィッシャー)、「抵抗と服従」(ヴィルヘルム・フォン・レンツ)など、過去にも様々な形容がなされてきた。ベートーヴェン自身は曲が2つの楽章で終わることについて伝記作家のアントン・シンドラーに問われた際、ただ「時間が足りなかったので」とのみ述べたとされる。しかしながら、トーマス・マンが『ファウストゥス博士』の中で作中人物の言葉として「戻ることのない終わり」「ソナタという形式との決別」と述べたように、2楽章が遥かな高みに至るのを聴くとき、聴衆はこのピアノソナタがこれ以上の楽章を必要としないことを自ずと悟るのである。楽譜は1822年にシュレジンガーから出版された。楽譜の表紙にはルドルフ大公への献辞が掲げられているが、もともとはベートーヴェンと関わりの深かったブレンターノ家のアントニー(1780年-1860年)に贈られる予定だった。しかし、被献呈者をどちらとするか両者の間で二転三転した結果、最終的にルドルフ大公へと捧げられることになった。なお、アントニーはピアノソナタ第31番の被献呈者としても名前が挙がっていたものの結局同曲は無献辞で出版されており、ようやく『ディアベリ変奏曲』に至って作品の献呈を受けることになる。他の後期ピアノソナタと同様、この作品もフーガ的要素を含み、非常に高い演奏技術をピアノ奏者に要求する。第1楽章が約9分、第2楽章が約15分である。ソナタ形式。序奏を持ち、フーガ的要素を含む。悲愴ソナタや運命交響曲などベートーヴェンのハ短調で書かれた他の作品と同じく、荒々しく熱情的な楽想を持つ。また、減七の和音を多く含む。第1楽章の冒頭、第1小節全体に広がる減七の和音はその一例である(譜例1)。譜例1
出典:wikipedia
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