阪神3000系電車(はんしん3000けいでんしゃ)は、阪神電気鉄道が保有・運用した優等列車用の通勤形電車である。7801・7901形1次車のうち、冷房改造時に大容量の110kVAのMGを搭載して3521形と組んだ3両×12本36両を、1983年から1989年にかけて界磁チョッパ制御車に改造した系列である。それまで阪神の車両は、どの車形でも連結して運行ができるようになっていたため、「系」という概念を持たず「形」のみで示していたが、本系列は同一系列だけでの編成を前提にしたことから、阪神で初めて「系」の呼称が付くようになった。以後、阪神の新形式車は1986年に3801・3901形を改造して登場した8701形・8801形・8901形・7890形を除いて「系」で呼ばれている。阪神では1970年に日本初の営業用電機子チョッパ制御車両である7001・7101形を新造し、翌1971年には3601・3701形の冷房改造時に制御装置を電機子チョッパ制御に改造したが、この改造はあくまでもメンテナンスフリーが主眼であって、コストが高く高速走行時のブレーキ特性に問題がある回生ブレーキ回路を省略して登場した。続いて1974年に登場した3801形では、西大阪線難波延長時に連続急勾配区間を走行することが予定されていたことから抑速ブレーキつきの電気制動が搭載されたため、再び抵抗制御車に戻った。1973年の第四次中東戦争と1979年のイラン革命に端を発した2度のオイルショックによって省エネルギーの重要性が叫ばれる中、阪神においても普通系車両の冷房化に伴う車両更新に際し、平均駅間距離が短くてこまめな加減速が要求される「ジェットカー」の運行特性から回生ブレーキつき電機子チョッパ制御車を採用することとなり、1980年に登場した5151・5311形の冷房改造に際して制御装置を回生ブレーキつき電機子チョッパ制御に改造、翌1981年から両形式の使用実績を踏まえて5131・5331形を新造、全営業用車両の冷房化を達成するとともに消費電力の削減にも貢献した。しかし、前述のように回生ブレーキつき電機子チョッパ制御は加減速が少ない急行系車両には向かないため、主電動機を複巻電動機に換装する必要があるものの機器構成が簡単でコストも安いことから他社でも導入が広がっていた、界磁チョッパ制御を採用することとなった。このときも普通系車両における回生ブレーキつき電機子チョッパ制御車採用の例に倣って、まずは在来車を界磁チョッパ制御車に改造することとなり、7801・7901形1次車のうち大容量の110kVAのMGを搭載した7801-7901から7912-7812までの2両×12ユニットと冷房電源の関係でこのユニットに併結していた3521形12両全車による、3両×12本を改造して新形式の3000系が登場した。また、これらの形式は経済設計のため、発電ブレーキを搭載していなかったが、制御装置の改造に併せて回生ブレーキも搭載し性能の向上・省電力化を図った。編成は梅田寄りから3101 (Mc) - 3001 (M') - 3201 (Tc) で、種車のMc-T-Mc編成とは異なり、中間車を電装改造して神戸寄り先頭車の電装を解除することでMM'ユニットを組むこととなった。このため編成中の7901形全車に電装改造を実施して中間電動車の3001形としたが、3101形と3201形については、番号の末尾が奇数の編成は7801形が、偶数の編成は3521形が大阪寄りに連結されることからこれらの車両を制御電動車3101形とし、逆に神戸寄りの先頭車となる奇数編成の3521形および偶数編成の7801形の電装を解除して制御車3201形とした。3101形と3201形の連結寄りに種車同様パンタグラフを各1基装備した。3201形にもパンタグラフが存置されたのは、回生ブレーキ作動時の離線対策のためである。また、3521形から改造された車両と、その車両と連結する3001形の連結器は、それまでのバンドン型密着連結器から棒連結器に換装されている。外観については大きな変化はなく、3521形後期車から改造された車両の外観は種車同様前面雨樋が埋め込まれているほか、車体断面や冷房装置取り付け高さも7801形および3521形前期車から改造された車両と異なっている。内装は荷物棚が網棚からパイプ製のものに交換されたほか、化粧板も当時の阪神車両の標準であった緑系の格子柄のものに張りかえられた。なお、化粧板については1987年に改造された3107Fからは当時新造中だった8000系と同じベージュ系の化粧板に変更された。主電動機は、東洋電機製造製の直流複巻式整流子電動機であるTDK-8175-Aに換装した。出力は従来7801形が搭載していたTDK-814-1Cと変わりないが、3521形が搭載していた主電動機が60kW級のTDK-818-Aであったため、MT比は2:1と変わらないものの編成あたりの出力は向上した。電動車の制動装置はHSC-Rに換装され、制御装置は三菱電機製の界磁チョッパ制御装置であるFCM-118-15MRHを3101形に装備した。補助電源装置は7901形が搭載していた110kVAのCLG-350-Mを、改造後も3001形に継続して装備し、空気圧縮機は7901形から流用したDH25-DまたはM-20-Dを3201形に2基搭載したが、3207以降はC-2000-Mに換装された。台車は種車の住友金属工業FS-341およびFS-341Tを流用、3001形は3201形になる7801形・3521形にFS-341Tを譲り、自車は逆にFS-341に換装した。7801形1次車および3521形から3000系への改番は下表の通り。3011と3012は2代目で、3011形とは無関係。本系列は、1983年9月に3101Fと3102Fの2本が竣功し、1989年7月に登場した3111Fが登場して全編成が勢揃いするまで、1年に1 - 2編成のペースで改造が行われた。登場後は阪神の急行系車両の運転区間である、阪神本線 - 神戸高速鉄道東西線 - 山陽電気鉄道本線須磨浦公園駅までの全区間において特急から準急まで全ての優等列車運用に投入された。多くの優等列車運用では本系列3両×2本で6両編成を組んで運用されていたが、当時は急行・準急運用の一部に5両編成が残っていたため、本系列に3501形2両や7801形・7861形2両を併結して5両編成を組成して運行されることもあった。7801形や7861形と併結されたときは、本系列の回生ブレーキは作動するが、抑速ノッチは作用しなかった。また、1986年から1993年にかけては7801形と7861形で3両ユニットを組んだ編成とも6両編成を組んで運用されていた。その後、本線の急行系運用が6両編成化され、7801形と7861形で3両ユニットを組んだ編成が廃車されると、以後は本系列の連番2本を連結した6両編成で運用され、実質固定編成化された。このとき中間に入った3101形および3201形は、幌を先頭車用のものから中間車用の1枚幌に換装されたほか、3102F+3101Fの編成以外は大阪寄りに奇数番号の編成+神戸寄り偶数番号の編成で6両編成を組成したことから、3102・3201の2両を除いて旧3521形改造の先頭車はすべて中間に入り、それまで先頭に立つ機会もあった旧3521形後期車改造の車両も営業運転時に先頭車として運用されることはなくなった。この他、時期は不明であるが3201 - 3206に搭載の空気圧縮機を3207以降と同じC-2000-Mに換装している。1995年1月17日に発生した阪神・淡路大震災では、3000系からも2編成が被災した。被災編成とその後の経過については以下の通り。震災後も急行系車両の主力として、当時最新鋭の9000系や8000系、同じ改造車の2000系とともに運用されていた本系列であったが、主要機器は更新されたとはいえ、7801形1次車の中でも最若番グループの車両から改造したこともあり、同系車が全車廃車された1996年以降は経年による老朽化が目立つようになってきた。1998年2月の直通特急運転開始に伴うダイヤ改正によってダイヤパターンが従来の12分ヘッドから10分ヘッドに変更され、データイムの快速急行が西宮折り返しの急行に変更されたことに伴って急行系車両の運用が減少したことから、3102F+3101Fおよび3103F+3104Fが2月16日付で5500系5505F・5507F・5509Fに置き換えられて廃車された。その後数年間廃車は発生しなかったが、2001年以降9300系の新造に伴って再び廃車が始まり、3105F+3106Fが9501Fに代替されて同年3月31日付で廃車され、3107F+3108Fが9503Fの代替新造に伴って2002年3月31日付で廃車、最後に残った3111F+3112Fも9505Fの登場により2003年3月14日の運用を最後に営業運行を終了、直後の3月16日付で廃車され、本系列は全車廃車となった。
出典:wikipedia
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