LINEスタンプ制作代行サービス・LINEスタンプの作り方!

お電話でのお問い合わせ:03-6869-8600

stampfactory大百科事典

弥彦線

弥彦線(やひこせん)とは、新潟県西蒲原郡弥彦村の弥彦駅から三条市の東三条駅を結ぶ東日本旅客鉄道(JR東日本)の鉄道路線(地方交通線)である。弥彦山の東麓から燕市の吉田地区と燕地区を経由して、三条市中心部に至る路線で、普通列車のみが運行されている。全線が旅客営業規則の定める大都市近郊区間の「新潟近郊区間」、およびIC乗車カード「Suica」の新潟エリアに含まれている。弥彦駅 - 燕三条駅間の架線には吉田駅周辺を除き、JRの路線としては数少ない低コストの直接吊架式が採用されている。これは電化当時、国鉄が慢性的な赤字に陥っていたため同じ1984年に電化された越後線共々コストダウンを求められていたことによるものである。残る燕三条駅 - 東三条駅間の大部分はシンプルカテナリー式で吊架されているが、最高速度は全線にわたって85km/hに制限されている。弥彦駅 - 吉田駅間は2005年に自動化されるまで非自動閉塞方式(スタフ閉塞式)で運行していたが、これはJRグループの電化旅客路線としては最後まで残った非自動閉塞区間であった。全線が新潟支社の管轄で、ラインカラーはパープル(紫紺)である。定期列車は、各駅に停車する普通列車のみである。吉田駅を中心とした運行体制で、全線を直通運転する列車と、吉田駅発着の列車とでダイヤが編成されている。運行本数は弥彦駅 - 吉田駅間12往復、吉田駅 - 東三条駅間14往復、昼間以降の運行間隔は弥彦駅 - 吉田駅間がおおむね2時間毎、吉田駅 - 東三条駅間がおおむね1 - 2時間毎で、朝の通勤通学時間帯には30 - 60分間隔での運行が実施される。また越後線との直通運転は柏崎駅 - 東三条駅間の下り2本、東三条駅 - 出雲崎駅(土曜・休日・学休日は寺泊駅)間の上り1本で実施している。全線においてワンマン運転が実施されている。E127系電車(V編成)とE129系電車(A編成)で運用される2両編成の列車はワンマン運転となっており、矢作駅・西燕駅・燕三条駅の3駅の発着時には、ドア扱いは進行方向側の先頭車両でのみ実施される。弥彦駅 - 吉田駅間は臨時列車を除くすべての定期列車がワンマン運転である。吉田駅 - 東三条駅間は三条・燕両市間の通勤通学時の輸送力を確保するため、一部の列車がE129系電車4両もしくは115系電車3 - 6両編成で運行され車掌が乗務する。吉田駅での越後線および東三条駅での信越本線との乗り継ぎは、下り方面、上り方面ともおおむね20分以内の乗り継ぎ時間が確保されているが、燕三条駅での上越新幹線との乗り継ぎは列車により大きなばらつきがある。定期列車のほか、臨時列車として普通列車と快速列車が運行されている。このうち一部では越後線および信越本線との直通運転が実施される。主な臨時列車は下記のとおりである。彌彦神社への二年参りおよび初詣の臨時列車として、12月31日から1月1日にかけては弥彦駅 - 東三条駅間の普通列車「弥彦二年参り号」1往復と、弥彦駅 - 吉田駅 - 新潟駅間の臨時快速「きらきら行く年・きらきら来る年」1往復、同下り列車(きらきら来る年)に接続する吉田駅 - 東三条駅間の下り普通列車1本が、1月1日から1月3日にかけての正月三が日には弥彦駅 - 東三条駅間の普通列車下り1本・上り2本と、弥彦駅 - 吉田駅 - 新潟駅間の臨時快速「初詣NO.DO.KA」1往復が運行される。4月中旬の「分水桜まつり」開催期間の平日には、分水駅 - 吉田駅 - 東三条駅 - 新潟駅間の臨時快速「分水夜桜」が1往復運行される。 11月の「彌彦神社菊まつり」開催期間の土曜・休日には、弥彦駅 - 東三条駅間で普通列車下り1本・上り2本が運行されるほか、越後線の新潟方面始発・吉田駅止まりの上り普通列車1本を弥彦駅へ延長運転している。なお、矢作駅のホームは最長4両編成までにしか対応できないため、臨時列車や延長運転などで弥彦駅 - 吉田駅間に乗り入れる5両以上の列車では、同駅でドアカットが実施される。また臨時快速はいずれも同駅を通過する。三条市東部の下田地区(当時の南蒲原郡下田村)に至る、通称「弥彦東線」と呼ばれた東三条駅 - 越後長沢駅間は1985年(昭和60年)4月1日に廃止されたが、廃止直前は1日あたり朝夕のみ5往復(土曜日は1往復増の6往復)と運行本数は僅かであった。また、2015年3月にE127系およびE129系が投入される以前は、弥彦線専用の115系電車Y編成(2両編成・ワンマン運転対応車)が運用されていた。塗色は変遷の末、後年はホワイトとイエローをベースにしたカラーリングであった。このY編成にはトイレが設置されておらず、各駅に掲出されている時刻表の、Y編成で運行される列車の備考欄には「トイレはありません」と記載されていた。なお、現行の運用車両は全てトイレが設置されている。弥彦線は、越後線とともに私鉄の越後鉄道により建設された鉄道路線である。まず弥彦駅 - 西吉田駅(現在の吉田駅)間が、越後一の宮である彌彦神社への参詣鉄道として1916年に開業し、続いて西吉田駅 - 一ノ木戸駅(現在の東三条駅)間が、現在の越後線と信越本線を連絡する目的で1922年から1925年にかけて延伸され、さらに1927年夏には南東の南蒲原郡長沢村の越後長沢駅までの区間が開業した。いずれは鹿峠村と森町村(前掲3村はいずれものちの下田村、現在の三条市)を経て福島県只見町まで路線を延伸する計画の下で建設が進められたが、越後長沢駅まで開業した同年の秋に国有化され計画は消滅した。このうち、通称「弥彦東線(やひことうせん)」と呼ばれていた東三条駅 - 越後長沢駅間は、沿線の人口密度が低かった上、終点の越後長沢駅も当時の長沢村の中心地から若干離れていたこともあり、太平洋戦争以前の段階から利用者数は低迷。長沢以東の区間は越後鉄道が森町村大字八木前まで免許を取得していたが、国有化された1927年に失効し、また太平洋戦争中の1944年10月には不要不急線として営業休止に追い込まれ、金属類回収令により軌道は撤去の上で供出された。この間、東三条駅 - 越後長沢駅 - 八木前間の貨物輸送は国営自動車(のちの国鉄バスの貨物部門)が代行する方式で実施された。東三条駅 - 越後長沢駅間は戦後に営業を再開したが通学客以外は乗客も少なく、不採算が慢性化。長沢と只見の間については戦後、新潟・福島両県と沿線自治体が中心となって国に対し、八十里越の道路整備と国鉄バスの路線開設を求める請願を提出するなどしたものの、実現には至らなかった。また東線の区間にあたる三条市中心部と下田村との間には、並行する県道(のちの国道289号)を経由する中越自動車(のちの越後交通の前身の一つ)の路線バスが運行されており、公共交通の機能が冗長化していた。さらにその後はモータリゼーションが急速に進行したこともあって利用者数は減少の一途をたどり、この区間は1968年にいわゆる赤字83線に指定された。弥彦線のうち弥彦駅から東三条駅までの区間(弥彦西線)は1984年に電化されたものの、東線は廃線が決まっていたことから電化されず、西線の電化後は新潟運転所から気動車を毎日回送して運行が継続され、翌1985年に廃止された。弥彦東線の廃線跡は市道および国道289号のバイパス道路として整備され、下田村内で五十嵐川左岸沿いの旧道を経由していた前掲の路線バスの運行経路もこのバイパスに変更された。2015年12月現在、越後交通三条営業所は旧東線に並行する形で下記の路線バス「八木ヶ鼻温泉線」を運行している。地場産センター前 - 燕三条駅三条口 - 東三条駅前 - 西大崎(越後大崎駅跡付近) - 高岡(大浦駅跡) - 長沢駅跡 - 下田庁舎前 - 笹岡中央 - 八木前 - 八木ヶ鼻温泉全駅新潟県内に所在(廃止区間も同様)。事業者名・所在地の自治体名は廃線時点のもの。弥彦線は1985年3月31日まで、国鉄全路線で唯一、起終点両方の駅で他路線との接続がない路線であった。私鉄ではこういう形態の路線は決して珍しくないが、日本全国に鉄道網を広げていた国鉄では特殊なケースであった。東三条 - 越後長沢間が廃止されたことで弥彦線はこのケースから外れた。

出典:wikipedia

LINEスタンプ制作に興味がある場合は、
下記よりスタンプファクトリーのホームページをご覧ください。