呂三十五型潜水艦(ろさんじゅうごがたせんすいかん)は、大日本帝国海軍の潜水艦の艦級。中型潜水艦、あるいは省略して中型、潜中とも呼ばれる。または海中7型と呼ぶ文献もある。海中型系列の最終型。同型艦18隻。17隻が戦没した。プロトタイプと位置付けた前型(海中6型)の戦時量産型であるが、実際の建造では設計の改正が必要となり、全長で7mほど長くなるなど別設計の艦となった。主機も変更され出力がアップしたため、速力は19.8ノットに増加している。兵装はほとんど変わらず、機銃が13mm単装から25mm連装になった程度である。局地防衛・哨戒といった様々な任務に対応でき、運動性も悪くない手頃な中型潜水艦で用兵側にも好評だった。本型は1941年(昭和16年)の戦時計画(マル臨計画)で9隻が建造され、1942年(昭和17年)から翌年に掛けてのマル急計画では12隻計画され8隻竣工、更にマル追計画では15隻が計画されたが1隻のみ竣工、結局1943年(昭和18年)から翌年にかけて18隻が竣工した。また改マル5計画では43隻の建造が計画されたが全て建造取り止めとなった。建造所は三菱神戸、佐世保工廠、三井玉野造船所で建造された。特に三井玉野では最初で最後の潜水艦建造となったが、量産効果で最終艦は1年弱で建造されている。太平洋戦争中期以降の竣工のため主に中部太平洋方面で哨戒、補給路攻撃、輸送などの任務に従事した。戦果は駆逐艦、輸送艦など数隻を撃沈した。だが、18隻中1隻を残してすべて戦没した。内海で訓練の後に第一線に投入し初陣で戦没、竣工から数ヶ月で喪失という例も多かった。
出典:wikipedia
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