穂高岳(ほたかだけ)は、中部山岳国立公園の飛騨山脈(北アルプス)にある標高3,190mの山。日本第三位の高峰。日本百名山、新日本百名山及び花の百名山に選定されている。奥穂高岳、涸沢岳、北穂高岳、前穂高岳、西穂高岳、明神岳などの峰々からなる穂高連峰の総称。前穂高岳以外は主に長野県松本市と岐阜県高山市の境界に位置している。主峰は奥穂高岳であり、長野県 (信州) と岐阜県 (飛騨) の最高峰である。北は大キレットの峻険な登降を経て、南岳、大喰岳の先の槍ヶ岳に連なっている。南は奥穂高岳より西穂高岳に至る痩せ尾根を経て、焼岳へと連なる。奥穂高岳より吊り尾根を経て、前穂高岳に至り、カール (圏谷) を下れば、上高地河童橋に至る。また、岐阜県側に穂高岳山荘から白出沢を下るか、あるいは西穂高岳からロープウェーかその下の道を下れば、新穂高温泉である。穂高岳は、剱岳、谷川岳と共に日本三大岩場に数えられている。特に、涸沢岳から南岳の稜線の飛騨側には、谷川岳一の倉沢と並ぶ有数の岩場滝谷を擁する。 滝谷は急峻なだけでなく、崩れやすい岩も多く、岩の墓場と形容される。 また、前穂高岳の東側、奥又白谷の上部も角度の高い岩壁となっている (前穂東壁と呼ばれる) 。井上靖の小説『氷壁』で魚津が遭難したのが前者で小坂が遭難したのが後者である。穂高岳登山の拠点となる涸沢は、奥穂高岳と前穂高岳に挟まれた吊り尾根よりU字型にえぐられた圏谷で、夏でも雪渓が残る。その形から祭祀用具に例えて、かつては「御幣岳」と呼ばれた。穂高の名前は、1646年(正保3年)の国絵図で「保高嶽」と記載されていた。1693年(元禄6年)に穂高神社の宮司により「穂高嶽」と記載された。穂高岳の名称は、1909年に槍ヶ岳から穂高岳に初縦走を行った鵜殿正雄の命名がきっかけであるとされている。穂高岳は主に穂高安山岩と呼ばれる溶結凝灰岩で形成されている。これは約175万年前の噴火でもたらされた火砕流(丹生川火砕流)由来で、この噴火では姶良カルデラの噴火(約2.9万年前)の約2倍、1914年(大正3年)の桜島噴火の約430倍、雲仙普賢岳の噴火(1991-1995年)の約2800倍のマグマが噴出したとされる。その噴火の後に100万年かけて2000mほど隆起し穂高岳が形成された。穂高連峰は残雪期(ゴールデンウィークなど)にもよく登られるが、下記の一般向けというのは無雪期のことである。積雪がある場合はきわめて危険、あるいは通行不可能のルートもある。徳沢よりパノラマコース経由で涸沢に至るルートは、特に屏風のコルを越えてから北側斜面となるので、8月でも残雪により道が埋まっている場合がある。鎖やザイルが設置してあるが、道幅が細く危険な箇所もある。岳沢小屋から紀美子平まで(重太郎新道)は、日本アルプス屈指の急登で、途中に水場もないため、前穂高岳と奥穂高岳を合わせて登る場合には、上高地から涸沢経由で奥穂高岳、前穂高岳の順で登るのが一般的。上記、各山間には縦走路があるが、この内、一般向けに可能なのは、涸沢岳 ― 奥穂高岳のみである。涸沢岳より北側は、概要にも記されている様に飛騨側が滝谷となっており様相を異にする。北穂高岳、奥穂高岳双方を目指す場合には、一旦、涸沢に下るのが無難である。また、奥穂高岳 ― 西穂独標は、ジャンダルム、天狗の頭、間ノ岳の難所があり、危険な道として知られている。奥穂高岳から前穂高岳への吊尾根を経て岳沢に下る重太郎新道は技術的にはさほど困難な道ではないが滑落事故発生件数が多く、不安がある場合には、涸沢に下る(ザイテングラードと呼ばれている)のが無難である。上高地や大正池周辺には、ホテルなどの宿泊施設があり、登山道の要所には多数の山小屋があり、一部を除きキャンプ指定地が併設されている。飛騨山脈(北アルプス)南部の岐阜県と長野県境の主稜線にある。前穂高岳と明神岳は長野県側に位置する。以下の源流となる河川は日本海へ流れる。
出典:wikipedia
LINEスタンプ制作に興味がある場合は、
下記よりスタンプファクトリーのホームページをご覧ください。