ジェーン・フォンダ(Jane Fonda, 本名:Jayne Seymour Fonda, 1937年12月21日 - )は、アメリカ合衆国ニューヨーク州ニューヨーク市出身の女優、作家、政治活動家。父のヘンリー・フォンダ、弟のピーター・フォンダ、姪のブリジット・フォンダも俳優である。女優になる前はヴァッサー大学で絵画を学び、パリに滞在したこともある。大学は中退し、ヴォーグのカバーを2度飾るなど、モデルとして活躍した。その後、リー・ストラスバーグのもとで演技を学ぶ。1950年代後半より舞台に立ち、1960年に『のっぽ物語』で映画デビュー。これまで7度のアカデミー賞候補にノミネートされ、1971年に『コールガール』、1978年に『帰郷』と、主演女優賞を2度受賞している。私生活では、1965年に映画監督のロジェ・ヴァディムと結婚したが、1973年に離婚。直後に社会・政治活動家のトム・ヘイドンと再婚する。1970年頃から1975年頃までベトナム戦争に対する反戦運動に傾倒し、「ハノイ・ジェーン」と呼ばれた。1982年からエアロビクスビデオ『"Jane Fonda Workout"』シリーズを発表し、ベストセラーとなる。1989年にヘイドンと離婚。1991年にCNNの創設者でケーブルテレビチャンネル・映画制作会社オーナーのテッド・ターナーと3度目の結婚をするも、2001年に離婚を迎えた。離婚の慰謝料は天文学的数字とされる。1990年代後半に一度引退したが、2005年に女優復帰した。ベトナム戦争中のアメリカでは、作家や評論家などの文化人や俳優、歌手などの芸能人による反戦運動が盛んに行われていた。フォンダは1970年のワシントンD.C.での反戦集会参加を機に反戦運動を始めた。1971年にベトナム戦争復員軍人による反戦活動VVAWの公聴会を支援し、資金集めのために全米各地で集会を開く。VVAWの活動には2004年に民主党から大統領選挙に出馬したジョン・ケリーも深く関わっており、後の大統領選で争点となった。この間、フォンダはビラ撒きや薬物所持の容疑で数回逮捕されている(薬物所持の罪状については後に取り下げられた)。1970年5月からFBI当局、CIA当局からの監視対象となり、最終的に2万ページにも及ぶジェーン・フォンダに関するファイルが作成された。1972年に北ベトナムを訪れた際、飛来したアメリカ軍機を撃墜するために設けられた高射砲に座り、北ベトナム軍のヘルメットを被ってポーズをとった。後にこの時の写真は世界中に配信され、フォンダは「祖国への裏切り行為で自分の判断の誤りだった」と釈明したものの、「ハノイ・ジェーン("Hanoi Jane")」と呼ばれ、長年に渡り保守派のベトナム退役軍人とその家族を中心に「売国奴」「裏切り者」として大きな批判を浴び続ける。2005年4月には、自叙伝のサイン会で退役軍人から唾を吐きつけられた。幼い頃、実母が父ヘンリー・フォンダの浮気を苦にして自殺したと知って以来、父との確執が始まった。父はその後も別の女性との再婚・離婚を繰り返した。ジェーンはことごとくヘンリーに背き、ヴァディムとの結婚も父に知らせないままだった。和解したのは、フランスから帰国してからだという。「フランス行きが私を自立させたのです。私は父を克服しました」とのちに語っている。アカデミー賞と無縁だったヘンリーがアカデミー特別功労賞を受賞した際、ヘンリーは「私の人生の一番のハイライトです」と語ったものの、父の本当の胸の内は「現役俳優として主演男優賞が欲しい」と願っていたことをジェーンは知っていた。ブロードウェイで人気を博した家庭劇の佳作『黄昏』の映画化権をジェーンは買い取り、主人公をヘンリー、主人公の妻役をキャサリン・ヘプバーンが演じる。夫婦愛と親子の和解がテーマであるこの作品で、ジェーンは主人公の娘役で出演。完成した『黄昏』は、アカデミー賞で主演男優・主演女優両賞を獲得した。
出典:wikipedia
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