なだぎ 武(なだぎ たけし、1970年10月9日 - )は、日本のコメディアン、お笑いタレント、漫談家、俳優である。本名、灘儀 武(読み同じ)。大阪府堺市出身。よしもとクリエイティブ・エージェンシー所属。2007年、2008年のR-1ぐらんぷりで史上初の2連覇を成し遂げた。元々はお笑いコンビスミス夫人、のちにお笑いグループザ・プラン9の元メンバーであり、現在はピン芸人。ザ・プラン9の中で最年長かつ最も芸歴が長かった。大阪府堺市に出生。著書によれば、青春時代にいじめや引きこもりを経験した。小学校低学年では活発で運動神経がよく人気者だったが、高学年に上がるにつれ同級生に違和感を感じ距離を取るようになった。卒業間際からは肥満児となり中学2年生からイジメが度を越してエスカレートし、なだぎの弁当に砂を入れる、殴る蹴るの暴行を加え、なだぎの顔をトイレの大便器に突っ込む等、常軌を逸した凄惨な内容になって行った。しかし小学生時代に塾をサボった時、父親に初めて殴られ「嘘だけはつくな」と諭された経験や、いじめをする同級生を許すことで精神的優位に立とうという気持ちから、学校を休むことはしなかった。中学3年では身長が伸び普通体型になったことやいじめの首謀者とクラスが離れたことからいじめはなくなったが、人との交流が不得手になっていたため孤独に過ごすことは変わらなかった。高校には行かずにメッキ工場に就職したが、単調な毎日と目標のない自分に葛藤を覚え、半年ちょっとで退職した。その後小学生時から憧れていたテレビの世界に入りたくて、芸能事務所のタレント募集に応募。書類審査を通過したが、面接試験には会場まで行くもあまりの緊張に逃げて帰ってきたことを契機に引きこもるようになる。引きこもりの時期は部屋にこもって、小学生時に遊んでいた大学生からもらっていた音楽や本を手当たり次第に聴いたり読んだりして、学校で学ぶものよりも重要なものを得ていると思っていた。そういった生活を親に申し訳なく思う気持ちから母親が部屋に届けてくれていた食事にも手を付けなくなり、飲み物と果物以外のものを口にしなくなった。しかし、鏡で見た痩せ細った自分の姿に驚き病院を受診すると、「このままでは死ぬよ」と言われたことや、引きこもりながら読んだジョージ秋山の漫画や吉田拓郎の歌に衝撃を受け、自分の挫折を受け入れ闇の世界からの脱却を決意する。17歳の正月に初めて観た「男はつらいよ」の主人公の車寅次郎の伸び伸びとした生活に憧れ、流れに身を任せる気になり、母親の勧めでラーメン店でアルバイトを始めた。しかし仕事中の怪我がきっかけでアルバイトも辞め、かつて観た映画の舞台である広島の尾道にひとり旅をした。その際に食中毒で倒れていたところを旅館の女将さんに助けてもらい、そこでのふれあいが人嫌いを直すきっかけになる。NSCの生徒募集を知ったなだぎは一人で受験する自信がなく、幼なじみでかろうじて付き合いのあった松村博司の履歴書を勝手に書き申し込んだ。書類審査を通過してから何とか松村を説得し、NSCへ入学。しかし授業のネタ見せでは全然笑いが取れず、同期のFUJIWARAや千原兄弟、バッファロー吾郎といった圧倒的な才能の前に、プロの芸人になる自信は持てなかったが、引きこもりから脱却する経験として一年間を過ごすことにする。しかしその頃知り合い恋心を抱くようになった女性に、「灘儀くんが芸人になったら、私みたいな醒めた人間でも笑かすんやろね……」と言われた横顔を見てお笑いに対して夢を抱いた。その女性が実は緑内障で失明する可能性もあるため、実家の高知に帰り治療を受けると聞かされ、「……治ったその目で、俺が芸人になった姿をいつか見てほしい……」と言い、自分の目の前のものに全力で向き合うことを決意した。1989年の4月、当時18歳だったなだぎは、大阪NSCの8期生として加入し、同年8月に同期の松村博司とスミス夫人を結成した(当時は本名のまま活動)。このコンビ名はヒッチコックの数少ないコメディ作品『スミス夫妻(Mr. and Mrs. Smith)』(1941年)からつけられたものである。コンビ当時は「自分の顔をプリントしたTシャツを着て現れる」などといった変人キャラを演じる松村に対してなだぎが容赦なくツッコミを入れるが、松村はそれを無視するかのように延々とボケ続けるというスタイルのコントが多かった。シュールで奇天烈なキャラの松村とマシンガンのようなツッコミを繰り出すなだぎのコントラストが受けていたが、うめだ花月での大スベリをきっかけに劇場の出演が減り、2001年に解散した。なだぎはこの解散について後にナインティナインの番組「99プラス」(2008年3月25日放送)にて、「自分から松村へ(解散を)切り出した」と公言した。一旦は芸人引退を考えたがケンドーコバヤシやバッファロー吾郎や中川家に説得されてピン芸人で活動することを決意する。同じくザ・プラン9のメンバーである浅越ゴエとは1997年12月のオールザッツ漫才の一回戦で、お互いに当時組んでいたコンビ同士で対戦した経験がある(浅越は当時「デモしかし」というコンビを組んでいた)。コンビ解散から1年後の2002年、ザ・プラン9にヤナギブソンと共に追加メンバーとして加入した。加入当初はナギナギオという芸名で活動していたがヤナギブソンと名前を間違えられる事が多くなったことで2003年に本名の灘儀武に戻すも、読みやすいようにとのことで2005年6月に再び改名しなだぎ武になった。ザ・プラン9の結成が2001年であることや遅咲きであることから、一年後輩のナインティナイン、同期の千原兄弟やFUJIWARAなどが中堅芸人として扱われる一方若手芸人の扱いを受けることが多い。また、ブレイクした時期で考えるとお笑い第五世代の芸人に分類されているため、第五世代の芸人の中で最も芸歴が長い。プラン9本公演では主役や物語を大きく動かす役が多い。2015年5月17日に脱退を発表。なだぎの活動が東京中心となり、大阪で活躍する他メンバーとのスケジュール調整が困難になったため。ケンカ別れではなく、ザ・プラン9の公演やコントに参加することもある。2002年(第1回)は1回戦敗退、2003年(第2回)は2回戦敗退、2004年(第3回)は準決勝敗退となかなか芽が出なかった。特に第3回、東京会場での準決勝では大スベリ。その後も準決勝までいくも敗退、という結果が続いたが、そこでの過程で「1人コントにはカツラが重要だ」と認識するようになる。そこから後述のディランのキャラクターに磨きがかかるようになっていった。2007年では決勝戦に駒を進め友近などと戦った。最終結果発表ではチュートリアルの徳井義実と同点の456点になった末、審査員による史上初の決選投票が行われ、なだぎに4票、徳井に1票という結果が出てなだぎが見事R-1王者となった。翌年の2008年のR-1ぐらんぷりでは2回戦の開始直前「あほ高校生」の会心作ができたことで参戦を決意し、出場。チュートリアルの徳井、友近らが準決勝で敗退するという波乱の展開の中で決勝戦に進出。決勝戦では、「文化祭の出し物を決める高校生」を扮してコントを披露。持ち前のオーバーリアクションの芸風もそのまま活かし、ファミコンのツーコンのマイクを利用したカラオケや狂言師の野村萬斎のパロディで「ややこしや〜」(元ネタはNHK教育『にほんごであそぼ』の狂言コーナーより)を披露した。。最終結果発表では昨年に続き再び上位2人の発表まで残されたため、「また同点じゃないでしょうね?」と不安がっていた。また、その後、1位に自らの名が挙がっているのを目にした途端、大号泣。。2010年は2年ぶりに出場し決勝進出を果たした。。2009年には宮本亜門演出の舞台「ドロウジー・シャペロン」への出演が決定。人生初のミュージカルに挑戦することとなった。この舞台に起用されたキッカケは、宮本が爆笑レッドカーペットに審査員として出演した際になだぎ武の藤岡弘、の物まねを見た事に始まる。。2008年11月17日の「R-1ぐらんぷり2009」の開催発表会見で、「ドロウジー・シャペロン」の出演日程が重なりスケジュール調整がつかなかったとの理由で、R-1出場回避を表明。会場でなだぎは、「ぜひとも3連覇を目指してネタを作っていたんですが、準決勝の日に藤原紀香とダンスしているので、今回は残念ながらリタイアのRとなりました」とコメントした。2006年12月19日に友近との熱愛が週刊誌に報じられ、交際は両人とも認め合っていた。2010年3月頃破局するも、引き続き共演は続いており関係は良好である。ディラン(ディラン・マッケイ)は、なだぎが演じる外国人キャラクター。元ネタはビバリーヒルズ高校白書シリーズの同名の登場人物。2005年のオールザッツ漫才でテレビ初登場。ディランのキャラは、もともと「ビバリーヒルズ青春白書」の日本語吹き替え版でディランの声を担当している小杉十郎太の真似がなだぎの持ちネタであったことと、当時の彼女が「ビバリーヒルズ青春白書」を見ていた事から発想された。さらには、ホフディランのシングル「キミのカオ」において、「ビバリーヒルズ青春白書」をパロディにした小杉のナレーションにも感銘を受けたと語っている。当初は楽屋で「ビバリーヒルズ青春白書」を知る芸人仲間等へ観せていたという。海外ドラマ特有の「大げさなセリフ回し」や「アメリカンジョーク」、「アテレコによる独特の空気感」をデフォルメした芸風だが、ビバヒルファンの今田耕司も認める激似ぶりである(最近では今田も言い回しを真似する事がある)。前述の2005年「オールザッツ漫才」において「レイザーラモンHGに続くキャラを探せ」という企画で披露され、これがこのネタのブレイクの最初の切っ掛けとなった。なおこのネタは本人曰く「元々このオールザッツ漫才のためだけにつくってきたものだった。」2006年からは本家「ビバリーヒルズ青春白書」には登場していない新キャラとして相棒のキャサリンが登場、2007年2月10日には2人で「ディラン&キャサリン〜難問続出!?恋の数式大パニック〜」というイベントを開催した。なだぎは「R-1ぐらんぷり」でもディランネタで参加。2006年は準決勝で敗退したが、2007年は徳井義実(チュートリアル)と共に最高得点を記録し、審査員5人による決選投票で勝利し優勝を果たし、ザ・プラン9のメンバーにおいて2人目のチャンピオンとなった(1人目は浅越ゴエ)。2007年、ドラマで本物のディランを演じたルーク・ペリーや、日本語吹替えを担当した小杉十郎太との共演がそれぞれ実現している。2007年10月には"ディラン&キャサリン"としてCD「フンダリー ケッタリー」を発売。同曲はアニメ『ケロロ軍曹』のオープニング曲に使用された。また、同キャラクターで「ビバリーヒルズ晴天白書」なるコントDVDも発売している。2007年11月、ホフディランのシングル「カミさま カミさま ホトケさま」のジャケットにディランを演じるなだぎが起用されたが、ビバリーヒルズ高校白書の権利関係者からこのジャケットが同番組のパロディに当たるとのクレームが入り協議を行ったところ、発売直前になり同シングルの発売は延期され、ジャケットが差し替えられることとなった。千葉 拳(ちばけん)は、なだぎが演じるキャラクター。R-1ぐらんぷり2008にはこのネタで参加。キャラクター設定は「なだぎの妄想で実在はしない。神奈川県出身、血液型A型、性格几帳面。好きなタイプは昔は古風な叶和貴子であったが、BoAが登場して以来、BoAが好きになった」と、2008年3月3日放送「めざましテレビ」内コーナー「メディア見たもん勝ち! 広人苑II」で語っている。警察24時は、なだぎが演じる交通ルールを乱す若者を、本物のようにして行うコントである。R-1グランプリ2010にはこのネタで参加、ファーストラウンドで披露し、1位になる。また、S-1バトルにもこのネタを投稿し、2月月間チャンピオンを獲得した。なだぎが演じる若者はコロコロ変わるが、共通するのは「目線のようなものを目につけている」・「声はあらかじめ録音してあるボイスチェンジャーがかかったもので、声に合わせて動く」ということである。R-1グランプリで演じたのは「ミッキーマウスの格好をして原付に乗り、東京ディズニーランドに向かう若者」であった。クレームは、なだぎが孫の誕生日のために「ぼく ドラえもん」という名前の目覚まし時計を通販で買ったのだが、きた品物はどう見てもドラえもんには見えない品物であったために、なだぎがクレームをするコントである。R-1ぐらんぷり2010の最終決戦で披露したネタはこれである。届いたという設定のドラえもんの目覚まし時計はかなりツッコミどころの多い代物であるため、披露する度にクレームをつけるポイントは違う。また、なだぎが「届いてすぐにクレームの電話をしている」パターンと、「クレームのためにメーカーまで押しかけてきている」パターンがある。前者ではなだぎが未確認なことがある上、電話であるために相手に姿が見えないのをいいことになだぎは好き勝手やったりするが、後者ではなだぎがクレームをつけるポイントを決めている上、相手の前で不審な行動はしないために、ウケがいいのは前者となっている。ピンとしての出演を記載。ザ・プラン9、ディラン&キャサリンとしては各ページを参照。
出典:wikipedia
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