マッシモ・オッド(Massimo Oddo, 1976年6月14日 - )は、イタリア、アブルッツォ州チッタ・サンタンジェロ出身の元同国代表サッカー選手、現サッカー指導者。現役時代のポジションはDF (RSB)。セリエA屈指のスピードを武器とした元イタリア代表右サイドバック。いわゆる遅咲きの部類に入る選手で、イタリア代表に至っては2003年以降に定着した。イタリア屈指のリゴリスタ(PK職人)でもある。父親のフランチェスコ・オッドは元サッカー指導者。ACミランの育成組織出身。トップチーム昇格後も2シーズンをベンチ要因として過ごし、出場機会を求めてレンタル移籍の形でセリエBやセリエCのチームを転々とする。2000年にエラス・ヴェローナFCに完全移籍し、セリエAデビューを果たす。ここでの活躍が目に留まり、2002年にSSラツィオへの移籍が決まる。4シーズン半を過ごしたラツィオではUEFAチャンピオンズリーグやUEFAカップでヨーロッパの舞台でプレーする機会を得た。ラツィオでの3年目にあたる2003-04シーズンにはコッパ・イタリアを獲得し、自身初のタイトルを経験した。2006-07シーズンにはファビオ・リヴェラーニの後任としてキャプテンに任命された。2007年1月、移籍金750万ユーロ(約11億6千万円)とパスクアーレ・フォッジャとの交換で、実に12年ぶりに古巣ACミランへの復帰が決まった。移籍から数カ月後のチャンピオンズ・リーグ決勝では右サイドバックとして先発フル出場し、チームの優勝に貢献。しかし、翌シーズンは好不調の波が激しく、クロスの精度を欠くこともあり、チームも低迷する。2008年夏にはイタリア代表で同じポジションのジャンルカ・ザンブロッタがチームに加入し、控えにまわることが噂されたが、入れ替わる形でバイエルン・ミュンヘンへレンタル移籍した(故障離脱中のウィリー・サニョルの代役)。翌2009-10シーズンにミラン復帰後は、左サイドにポジションを移したザンブロッタに代わり、若手のイグナツィオ・アバテと右サイドバックのポジションを争うことになった。2010年10月21日には残りの契約を1年間延長し、2012年6月30日までミランでプレーすることになった。なお、同時期にザンブロッタも契約を延長している。しかし、2010-11シーズンのリーグ戦出場はわずか7試合とチームの構想外となり、2011年夏にはUSレッチェへレンタル移籍。2011-12シーズン終了後に現役引退を発表したプリマヴェーラでの指導を経て、2015年5月16日、成績不振で解任されたマルコ・バローニ監督の後任としてデルフィーノ・ペスカーラ1936の監督に就任した。2002年にデビューを飾り、UEFA EURO 2004予選では7試合に出場した。2006年ドイツW杯では、ザンブロッタの控えとして優勝メンバーの一員となった。
出典:wikipedia
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