ヒシアケボノは、アメリカで産まれ日本で調教された競走馬・種牡馬。体重550キログラムを超える大型馬で、短距離路線で活躍した。半弟にアグネスワールド、甥に2003年クイーンアンステークス勝ち馬のDubai Destinationがいる。主戦騎手は角田晃一。1994年秋の東京競馬でデビュー。1995年7月に初勝利をあげるまでに6戦を要したが、そこから4連勝で一気にオープン入りを果たした。その後京王杯オータムハンデキャップ、交流重賞の東京盃ではそれぞれ3着、6着に終わったものの、スワンステークス(芝1400m)を1分19秒8の日本レコードで勝利。続くマイルチャンピオンシップは人気を集めたが3着に終わった。しかし次走のスプリンターズステークスでは1番人気に応えてGIレースで初の勝利を収め、1995年の最優秀短距離馬に輝いた。この時の馬体重は560キロで、JRA史上最高馬体重でのGI勝利である(2016年現在も破られていない)。1996年は高松宮杯でスプリントGIレースの連勝を目指したが、フラワーパークに敗れ3着に終わった。安田記念では12番人気と大きく評価を落としたが、逃げ戦法を取り、トロットサンダーの3着に入った。夏に休養を取った後、スワンステークスに出走したが、レース当日の馬体重は30キロ増の580キロで、11着に終わった。続くマイルチャンピオンシップで馬体重はさらに2キロ増の582キロで、15着に終わった。連覇を狙ったスプリンターズステークスでは566キロまで落として出走したが、レースでは出遅れて4着に終わった。1997年はバーデンバーデンカップ(オープン特別)で61kgの斤量を背負いながら5着に入ったが、後は凡走の連続であった。この年のスプリンターズステークスを最後に引退し、種牡馬となった。現役時代は最重量級の大型馬であった。当時の大相撲横綱・曙太郎に掛けて「アケボノは今回何キロ増なのか」と競馬ファンの注目を集め、競馬場や場外馬券売場での馬体重発表時にはしばしばどよめきや喚声が起こった。千葉県印旛郡のJBBA日本軽種馬協会下総種馬場に繋養されていたが、2007年8月27日に茨城県の東京大学農学部付属牧場へと移動した。種牡馬登録されたまま移動しているため、同地でも種付けを行っていた。2008年10月より体調を崩し、11月17日に検査のためJRA競走馬総合研究所に移送、2日後の11月19日に病死した。種牡馬としてはあまり活躍馬は出せなかったが、1999年に誕生したヒシアスカの第3仔であるクラウンロゼ(父:ロサード)が2013年のフェアリーステークスを制し、母父として初の重賞制覇となった。
出典:wikipedia
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