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上田耕一郎

上田 耕一郎(うえだ こういちろう、1927年(昭和2年)3月9日 - 2008年(平成20年)10月30日)は、日本の政治家。日本共産党中央委員会名誉役員。長く参議院議員として活動するとともに、党宣伝局長、政策委員長、副委員長などを歴任した。日本共産党前議長の不破哲三(本名・上田建二郎)は実弟。1927年(昭和2年)3月9日、教育評論家の上田庄三郎の長男として神奈川県茅ヶ崎市に生まれる。府立六中(現東京都立新宿高等学校)を経て、1946年(昭和21年)旧制一高在学中に日本共産党に入党する。1951年(昭和26年)東京大学経済学部を卒業する。東大における日本共産党細胞一期生であり、大学卒業後、『中野新報』の記者として地域のオルグ活動に取り組み、いわゆる「中野懇談会」を足場に活躍。1956年(昭和31年)『戦後革命論争史』で左派論壇にデビューし、構造改革派とも見なされてきたが、宮本顕治を中心に進められた綱領論争の中で第8回党大会で確定した反帝反独占の民主主義革命の現綱領の立場に立ち、かつての著書『戦後革命論争史』を絶版にし、いわゆる「自己批判」し、以後この路線の中心的担い手として活動した。1973年(昭和48年)には「民主連合政府綱領」を提案し、独自路線を主張する日本共産党中央幹部の中では、比較的、他党との関係を模索する立場をうかがわせている。その後党中央機関紙『しんぶん赤旗』編集長、宣伝局長、政策委員長を経て、副委員長を歴任した。1974年の第10回参議院議員通常選挙で東京地方区から当選、その後連続4期務め、1998年(平成10年)参院選には不出馬、議員を引退した。後継は井上美代。議員引退後も2006年まで党副委員長を続けた。名誉役員となり、党の一線から退いたあとも、講演会講師や演説会弁士などとして活動を続けていた。ちなみに、バラエティ番組「浅草橋ヤング洋品店」で日本共産党が取り上げられたときにはメインゲストとして出演し、この出演がきっかけでテリー伊藤との交流が始まり、後にテリーの著書「お笑い革命・日本共産党」が刊行されるきっかけとなった。1962年、ソビエト連邦による核実験の支持と、核兵器全面禁止運動は矛盾しないとする論文を発表した。との趣旨である。演説などで、独特の節回しがあり「上田節」として親しまれた。

出典:wikipedia

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