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三ツ沢公園球技場

三ツ沢公園球技場(みつざわこうえん きゅうぎじょう)は、神奈川県横浜市神奈川区の三ツ沢公園内にある球技場である。横浜市の中心市街地を見下ろす丘陵地に整備された緑地・運動公園の一部となっている。なお、横浜市に本社を置く自動車部品メーカーの日本発条が命名権(ネーミングライツ)を取得しており、2008年3月より「ニッパツ三ツ沢球技場」(ニッパツみつざわきゅうぎじょう)の呼称を用いている(後述)。日本プロサッカーリーグ(Jリーグ)、ジャパンラグビートップリーグや全国高等学校サッカー選手権大会やその神奈川県大会決勝、全国高等学校ラグビーフットボール大会の神奈川県大会決勝などでも使用されている。三ツ沢球技場は1955年の第10回国民体育大会(神奈川国体)に備えて、日本におけるサッカー専用スタジアムのはしり として建設され、1964年の東京オリンピックにおけるサッカー競技の会場としても使用された。その後は日本サッカーリーグ(JSL)で古河電気工業サッカー部、日産自動車サッカー部、全日空横浜サッカークラブなどが試合を開催した。これ以外でもアマチュアサッカーやラグビーの試合で頻繁に使用され、同球技場は神奈川県や東日本でのサッカー・ラグビー大会の開催地として重用された。1991年にJリーグの発足と横浜マリノス(前身は日産自動車)・横浜フリューゲルス(同全日空横浜)の参加が決まると、横浜市内を本拠地 とする両チームのホームスタジアムとして三ツ沢球技場が選定され、当時のJリーグ(現在のJリーグ ディビジョン1(J1))規格を満たす約15,000人を収容できるスタジアムとして、リーグ発足の1993年に増築された。三ツ沢球技場は1998年3月には同年10月の第53回国民体育大会(かながわ・ゆめ国体)の主会場として、かつ2002年6月の2002 FIFAワールドカップ(W杯日韓大会)の開催予定地として横浜国際総合競技場(2005年から「日産スタジアム」)が完成したのに伴い、マリノス・フリューゲルス両チーム共に2つのスタジアムを併用する体制となった。1998年は国体開催に向けた芝生保護や各種準備の関係で横浜国際での試合開催が制限され、三ツ沢球技場での開催が半数近くに及んだが、10月になって同年限りで両チームが合併することが発表され、サポーターからの強い反発を呼んだ。11月7日、三ツ沢で開催されたフリューゲルスのJリーグ最終主催試合ではゲルト・エンゲルス監督や選手達が合併反対の意思を表明し、エンゲルス監督は観客席のサポーターに対して日本語でチームの救援と存続を訴えたが、これは叶わなかった。なお、この「かながわ・ゆめ国体」では、ラグビー競技が三ツ沢球技場を中心に行われた。1999年、前項で述べた合併により横浜F・マリノス(横浜FM)が発足し、国体終了に伴い横浜国際の使用制限も解除されると、同年の横浜FM主催試合はJリーグカップ(ヤマザキナビスコカップ、ナビスコ杯)を含めて三ツ沢では1試合もなかった。2000年以降は2002年W杯や2001年開催のコンフェデレーションズ杯の準備のために横浜国際の使用が再び制限され、かつ観客動員が少ないと見込まれる水曜開催のリーグ戦やナビスコ杯などで三ツ沢での開催例が復活したが、年間席(シーズンチケット)販売の増加を含め経営規模の拡大が必要な横浜F・マリノスにとって1万5千人規模の三ツ沢は小さすぎ、大半の主催試合は横浜国際 で行われるようになった。2007年に行われた横浜ダービー(後述)でもF・マリノス主催試合は日産スタジアムで行われた。但し現在も三ツ沢球(ニッパツ)を、マリノスは平日開催が多いJリーグカップの予選リーグ、およびリーグ戦においても日産Sの芝生の保護・管理のため春・秋の年3-4試合程度は開催されている他、神奈川県サッカー協会が主管となる天皇杯では現在に至るまでF・マリノスの初戦が概ね行われている。一方、フリューゲルスの存続を求めたサポーターの活動から1999年に発足し、奥寺康彦をゼネラルマネージャーに迎えた横浜FCは、元フリューゲルス関係者と共に「聖地」三ツ沢への思い入れが強く、かつF・マリノスと比較して小規模な経営が必要だった事情もあり、三ツ沢球技場を中心とした試合開催を進める事になった。年明けの日本フットボールリーグ(JFL)参加が決まり、競技場確保が難航した1999年は12試合中3試合のみだったが、2000年以降は三ツ沢球技場での主催試合開催が安定して行えるようになり、2001年のJ2参入後も変化はなかったが、2002年はW杯の練習会場で三ツ沢球技場が指定されたため、三ツ沢陸上競技場での試合開催も行われた。2006年には横浜FCがJ2優勝とJ1昇格を決めた後の最終戦が三ツ沢球技場で行われ、城彰二の引退セレモニーも合わせて開催された。2007年、J1に昇格した横浜FCは経営上の判断もあり、三ツ沢球技場での主催をJ1リーグ17試合中9試合に抑え、ホーム開幕戦となった横浜FM戦(横浜ダービー)では三ツ沢開催にこだわったものの、一方でシーズン最終戦を含む6試合を準本拠地の位置づけで日産スタジアムで開催した(残り2試合は国立)。横浜FCはホーム開幕戦とシーズン最終戦では勝利したが、年間成績では18チーム中最下位に終わり、翌年からのJ2降格が決まった。2003年、日本の社会人ラグビーの全国リーグとしてジャパンラグビートップリーグが開始されると、三ツ沢球技場はその試合会場の一つとして使用されるようになった。以後、ほぼ全てのシーズンで年1-2試合が開催されている。2008年、横浜市は日本発条との間で5年間の命名権売却契約を結び、Jリーグ開幕前の3月1日から「ニッパツ三ツ沢球技場」(略称:ニッパ球)と呼ばれる事となった。契約金額は初年度の年間7000万円から徐々に下落し、2013年からの再契約では年間4000万円となり、契約期間も3年間に短縮されたが、2016年2月28日まではこの名称が引き続き使用される事になった。J2での出直しとなった横浜FCは再び同球技場を中心とした開催に移行し、その後もJ2残留が続いた事もあって、日産スタジアムの使用は2008-2010年までの各1試合のみとなり、ホームスタジアム指定もニッパツ三ツ沢球技場に絞った。一方、横浜F・マリノスはJ1リーグ戦の3試合 とナビスコ杯の2-3試合 をニッパツ三ツ沢球技場で行うが、主な試合会場は日産スタジアムであり、試合数からも「横浜F・マリノス=日産、横浜FC=ニッパツ三ツ沢」の住み分けが事実上成立している。2009年、横浜市はニッパツ三ツ沢球技場の改修に着手し、2010年のJリーグ開幕前に竣工させた。総工費3億2800万円 の同工事により、ニッパツ三ツ沢は収容人員で1万5400人となり、Jリーグが定めたJ1規格を満たした。これにより、横浜FCが将来J1に復帰しても三ツ沢をそのままメインスタジアムとして使用できる体制が整った。一方、全日空横浜クラブの元選手により1986年に発足した横浜スポーツ&カルチャークラブ(Y.S.C.C.横浜、YS横浜)は関東サッカーリーグで(ニッパツ)三ツ沢球技場、2012年に昇格したJFLではニッパツ三ツ沢および神奈川県立保土ヶ谷公園サッカー場などを併用した。同クラブはJ3リーグの創設メンバーとして参加が認められ、2014年のJ3リーグでは当球技場をホームスタジアムとして登録。これにより、Jリーグ史上初めて、3クラブのホームスタジアムとなった。リーグ戦ではF・マリノスが4試合、横浜FCが20試合、Y.S.C.C.が12試合開催予定(2014年1月31日の日程発表時点)。2007年にネーミングライツ導入が決定され、ばね製造の日本発条が命名権を年間8000万円、5年契約で取得したことにより、2008年3月より愛称が「ニッパツ三ツ沢球技場」、略称が「ニッパツ」もしくは「ニッパツ球技場」となった。2013年から3年契約、2016年から5年契約と更新されており、現在の契約は2021年2月28日までとなっている。また、Jリーグ公式ウェブサイトのスタジアムガイド では略称表記を「ニッパ球」としていたが、2015年より「ニッパツ」に改めている。この理由について同球技場を本拠とする横浜FCは、「ニッパ」だと横浜市内に 同名別企業の「ニッパ」 という会社があり、命名権において混乱を招き支障をきたすためと説明している。なお、命名権売却前の略称は「三ツ沢球」である。これはJリーグ公式戦開催経験のある三ツ沢陸上競技場(略称「三ツ沢陸」)との区別のためである。スタジアムのキャパシティーは前述したとおりJ1基準の15000人を満たしているが、Jリーグクラブライセンス制度「B等級」 の条件である「観客席の3分の1相当に屋根を敷設すること」と、「トイレ(洋便器)を一定数確保すること」の条件を満たしていない。本球技場の場合、屋根は全く設置されておらず、トイレは最低限(収容人員1000人当たり、洋便器5台・男性の小便器8台)の3割ほどしか満たせていないという。同様の事例は全国に存在するが、2014年の時点でも横浜市からは改善案が示されておらず、Jリーグ専務理事(当時)の大河正明は「改修できないのなら、新スタジアムの構想を含めて考えてもらわないといけない」との指摘があった。球技場を管理する横浜市環境創造局としては、屋根の敷設には建設費が高額になるうえ、公園利用への影響も大きいとして「Jリーグ側の要望も高まっていることは理解できるが、一つの部署で決められるものではない」としており、整備の見通しは立っていない。横浜市は、三ツ沢公園に隣接した横浜市立市民病院の施設が老朽化し、原位置での改築が困難なことから移転計画策定を行い、その有力候補地として、球技場に隣接した軟式野球場および古河電気工業所有地(現在は同社の社宅が存在)が挙げられたことが明らかになった。病院側としては、「現在地から約500mの移動で済む」「横浜駅からより近くなり、交通の利便性が高まる」「病院と公園が一体となった災害対策機能の向上が図れる」ことを移転候補地とした理由として掲げている。同球技場を本拠地とするYSCC横浜の理事長・吉野次郎は「ニッパツ球技場は横浜市内のサッカーの聖地であるのに、わざわざそこに病院を移設する狙いがなぜあるのか」とする疑念を抱いており、「(病院が球技場の近くに移転することが)決まった以上は、球技場と病院が共存していく形をとるしかない。球技場に屋根を付けたり、患者さんが試合を観戦できる部屋を整備するなどの改修が必要ではないか」と述べている。一方の市民病院を運営する横浜市病院経営局もこの反対意見を受け止めてはいるが、「サッカーは週末開催がほとんどであるため、平日の外来とは重ならない。病院の施設についても、建物構造や設備で防音対策を取る」としている。2014年9月に策定された「横浜市立市民病院再整備基本計画」では、軟式野球場及び古河社宅跡地への新築移転を前提に、スポーツ観戦などによる歓声等の対策として、外壁はコンクリート厚15cm以上を確保し、窓は開口面積の調整や遮音性能の高いサッシ等による減音を施すとしている。一方、具体策については触れられていないものの、「適切な療養環境を維持しつつ試合観戦にも影響が出ないように配慮していきます」と説明している。

出典:wikipedia

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