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ウルトラシリーズ

ウルトラシリーズは、TBSが1966年1月2日から日曜日19:00-19:30台の番組枠で制作、放映したTV特撮作品シリーズ「空想特撮シリーズ」である。または円谷プロダクションがこのTBS「ウルトラシリーズ」枠で制作開始して以後現在に至るまで継続しているテレビ特撮作品シリーズである。2013年に「最も派生テレビシリーズが作られたテレビ番組」としてギネス世界記録に認定され、2015年にその記録を更新している。1966年(昭和41年)、TBSは円谷特技プロダクション制作のテレビ番組『ウルトラQ』の大ヒットを受け、武田薬品の提供によるこの番組枠を「タケダアワー」の表記と併せ、次作品『ウルトラマン』以降の同枠の作品群をマスコミに対し「ウルトラシリーズ」と銘打ってシリーズ化。一大社会現象となった「怪獣ブーム」の牽引役となった。なお、TBS円谷特技プロとの番組製作契約上は、ウルトラQが終了して別番組としてウルトラマンが始まったのでは無く、「ウルトラQの放送期間延長としての製作」となっている。「怪獣ブーム」を巻き起こしたTBSの「ウルトラシリーズ」であるが、『ウルトラQ』に続く第二弾『ウルトラマン』の制作スケジュールが遅れに遅れ、放映延長が不可能となった。TBS側はこの「ウルトラシリーズ」の続行を望み、東映によって『キャプテンウルトラ』が制作され、この『キャプテンウルトラ』を、TBSは「宇宙特撮シリーズ」、「ウルトラ・シリーズ第三弾」として内外にセールスした。『キャプテンウルトラ』終了後、この番組枠は再び円谷特技プロ制作作品に戻り、『ウルトラセブン』、『怪奇大作戦』が「ウルトラシリーズ」として放送された。したがって、TBSの番組枠としての「ウルトラシリーズ」は、以下の5作品である。TBSは「タケダアワー」枠で、世界的に有名な東宝の特撮監督、円谷英二の創設した「円谷特技プロ」による、本格的特撮ドラマ『ウルトラQ』を企画。一年にわたる制作期間と破格の予算を投入し、1966年(昭和41年)1月2日から放映開始された『ウルトラQ』は、それまで銀幕でしか観られなかった本格的な造形を持つ怪獣をお茶の間に登場させて、たちまち日本全国に一大「怪獣ブーム」を巻き起こした。この「怪獣ブーム」のなか、TBSは番組枠のシリーズ化を決定。全28話の『ウルトラQ』を1話飛ばして終了し、円谷監督をゲストに招いて杉並公会堂で開催した『ウルトラマン前夜祭』の公開録画を放映。ブームを煽る戦略で翌週放映開始された『ウルトラマン』は大ヒットとなり、「怪獣ブーム」を過熱させた。TBSは一連のこの特撮ドラマ枠を「ウルトラ・シリーズ」と命名。制作プロを東映に代えた続く『キャプテンウルトラ』は「宇宙特撮シリーズ」の名の下、舞台を宇宙に拡げた「スペースオペラ」となった。『キャプテンウルトラ』も視聴率は30%台を弾き出したが、40%に迫っていた前作『ウルトラマン』のあとだけに、制作者側はこれを大きく捉え、結果、一大「怪獣ブーム」の波に押される形で、シリーズ後半から『怪獣ぞくぞくシリーズ』として、『ウルトラマン』に倣った怪獣中心の作劇に変更されることとなった。円谷特技プロの制作体制が整うと、TBSは2クール(全26話)予定だった『キャプテンウルトラ』を2話減らし、前倒しで『ウルトラセブン』の放映を開始した。「シリーズ第四弾」である『ウルトラセブン』では、『キャプテンウルトラ』を引き継ぐ宇宙時代を題材にした作劇と、『シュピーゲル号』の合体メカニック描写が受け継がれ、初の1年間のロングラン放映となり、怪獣路線の最後を飾った。マスコミは『ウルトラセブン』の番組終了を、そのまま「怪獣ブームの終了」として同一視した。「怪獣ブーム」終息を受けたTBSは続いて「妖怪ブーム」を当て込んだ怪奇路線に題を求め、『ウルトラQ』や『キャプテンウルトラ』同様に、巨大ヒーローの登場しない『怪奇大作戦』を放送。これがTBS「ウルトラシリーズ」最後の作品となった。関西圏では当時のネット局である朝日放送で放映。『ウルトラマン』第26・27話の前後篇では、大阪でのロケに全面協力している。毎回、オープニングタイトルの終わりで、「○○登場」として、その日登場する怪獣や一部ウルトラファミリーのキャラクターを出していた。「TBSのウルトラシリーズ」とは別に、円谷特技プロダクションが制作した作品のみによる呼称として、「ウルトラシリーズ」が語られる場合もあり、現在はこちらが主流のようである 。「仮面ライダーシリーズ」「スーパー戦隊シリーズ」「メタルヒーローシリーズ」と並ぶ、日本の代表的な特撮作品シリーズである。以降、円谷プロ「ウルトラシリーズ」の主要作品を記す。特に断りがないものはテレビシリーズ。なお、各作品群の概要・特徴はあくまでも、そのグループを全体的に見た上での特徴であり、作品ごとの細かい差異・特色などについては、各作品の記事を参照のこと。テレビ番組から派生した他メディア上の作品も含むため、円谷プロ「ウルトラシリーズ」全体の分類は複雑なものになるが、おおよそ以下のような内訳になる。これらの作品群は、一部の例外を除き、「主人公がウルトラ○○という巨大な超人に変身して怪獣と戦うこと」を骨子としている。これより、円谷プロ版「ウルトラシリーズ」について解説する。『キャプテンウルトラ』は、正式な「TBSウルトラシリーズ」の番組の一つであるが、これは東映制作作品であるので、「円谷プロ(円谷特技プロ)の制作番組群としてのウルトラシリーズ」には含まれない。また、同じく正式な「TBSウルトラシリーズ」の番組のひとつである『怪奇大作戦』は、円谷特技プロの作品であるが、現在は円谷プロ自身がシリーズに加えていないようである。したがって、円谷プロに限って「第1期ウルトラシリーズ」という呼称を使うなら、以下の3作品がこれにあたる。円谷プロが制作し、日本で初めて大がかりな特撮を導入したテレビドラマ『ウルトラQ』が大ヒットとなり、その後継作として制作された『ウルトラマン』が最高視聴率42%の特大ヒットとなったため、「空想特撮シリーズ」、または「ウルトラQ空想特撮シリーズ」と銘打たれる最初の番組シリーズとなった。この円谷プロ「ウルトラシリーズ」(空想科学シリーズ)は、朝日ソノラマの「ファンタスティック・コレクション」シリーズなど、1978年以降の商業出版物によって再評価が始められた。これらの出版物では、『Q』から『セブン』までの3作品を「第1期ウルトラシリーズ」と総称し、以後定着したが、これはあくまで現在の呼称であり、放映当時のものではない。「TBSのウルトラシリーズ」は『ウルトラセブン』をもって終了するが、円谷プロとしての「ウルトラシリーズ」は、以後も断続的に制作された。まず、『帰ってきたウルトラマン(以下、帰マン)』が『セブン』放送終了から2年半の歳月を経て、同じTBSの番組枠で1971年4月をもって放映開始され、ここに円谷プロの「ウルトラシリーズ」が再開されることとなった。関西圏では、第1期ウルトラシリーズに続き、当時のネット局である朝日放送で放映。第二次怪獣ブームや変身ヒーローブームの中核となった本シリーズは、TBSプロデューサー・橋本洋二(当時)の意向が強く打ち出され、スポ根ブームの影響を強く受けて「人間とウルトラマンの成長」というテーマを重視し、青春ドラマやホームドラマの色彩が強くなっている。いずれの作品も、主人公は成長途上の青年として描かれている。ウルトラマンと一心同体となった彼らが、ウルトラマンの力ゆえに苦悩したり仲間との軋轢を抱える、怪獣や宇宙人との戦いの中で大切なものを失う、変身後のウルトラマンも時には敵に苦戦する、といった数々の困難を乗り越えて成長する様が、ドラマの主軸に据えられていた。主人公の私生活、主人公を兄のように慕う少年を中心に主人公を取り巻く市井の人々との交流も多く描かれていた。少年も家族との死別を乗り越え、そして主人公に教え導かれながら成長していった。本シリーズの最大の特徴は、『帰マン』での初代ウルトラマンとウルトラセブンの客演から始まり、『ウルトラマンA』で「ウルトラ兄弟」の設定が確立し、『ウルトラマンタロウ』でそれを発展させ、「ウルトラファミリー路線」が打ち出されたことである。この試みによって本シリーズは4年間も続くロングランとなり、仮面ライダーシリーズとともにブームの中核を担っていた。「ファンタスティック コレクションNo.10 空想特撮映像のすばらしき世界 ウルトラマンPARTII」(1978年・朝日ソノラマ)では、本シリーズの作劇とウルトラファミリーの設定が「第1期ウルトラシリーズでのSF性が蔑ろにされている」や「ウルトラマンの卑小化」と批判されていた。同書を定本に、1982年から1995年まで「不滅のヒーロー ウルトラマン白書」が第4版まで出版されたが、これには従来通りの論評が再録されていたそして、1990年代後半に辰巳出版から出版された「検証・第2次ウルトラブーム」と銘打つ作品別の書籍では、第1期ウルトラシリーズを基準に捉えた前述の論調に対する反論として、各作品の持ち味や当時の時代・社会背景などを考慮した再評価や再検証が行われた。『ウルトラマンレオ』終了と同時に、ウルトラシリーズは再び幕を下ろしていた。しかし、1970年代後半、書籍類でのウルトラシリーズ評価が皮切りに、首都圏での早朝再放送などの「ウルトラマンフィーバー(当時の流行語をもじったもの)」を受け、新たに制作されたのが本シリーズである。関西圏では第1期・第2期ウルトラシリーズと異なり、1975年3月31日のNETテレビ系列とのネットチェンジによって、ABCに代わってネット局となった毎日放送で放映された。『ザ☆ウルトラマン』の壮大なストーリー、『ウルトラマン80』のハイレベルな特撮映像や学園ドラマなど新たな要素はあったものの、視聴率及び商品展開では期待を大きく下回る形となり、TBSとの共同制作による19時枠のウルトラシリーズはここで完全に終了した。上述の通り、『ウルトラQ』から『80』はTBSが制作を担当し、基本的に同じ作品世界の設定であることから、ひとくくりのシリーズとして扱われるケースが多い。ただ、『ザ☆マン』はアニメーション作品であることや、ほかの8作品とも世界観を共有していないことから、本放送終了以降は関連書籍での作品紹介や商品展開などで、番外的な扱いを受けているケースもある。『80』終了後、1996年に『ウルトラマンティガ』が開始されるまで、TVシリーズは16年間も制作されなくなり、映画やオリジナルビデオといった多様な展開が行われ、シリーズの区切りが不明確になる。そのため、「第○期」という区分は商業誌などの公式記事には使用されなくなった。テレビシリーズが制作されなくなった理由について、円谷プロダクション社長を務めた円谷英明は、『80』をめぐる円谷プロとTBSとの関係悪化によって放送枠が確保できなくなったことや、円谷プロの経営悪化に伴って製作部が解体され、さらには著作権収入が安定したことなどで新作制作に消極的になったことなどを挙げている。国際マーケットを視野に入れた円谷皐円谷プロ社長(当時)の意向によって、テレビシリーズが長期休止期間であった1980年代から1990年代中頃まで、日本国外の資本との提携・合作によるビデオシリーズや劇場用新作など、TV以外の媒体で多くのウルトラマンが登場した。これら作品はビデオ展開のみならず後に放映枠を与えられ、久々のテレビシリーズである『ウルトラマンティガ』以前にテレビシリーズの放映が行われている。上記の作品群はM78星雲の存在など、設定上は過去のウルトラシリーズと共通項を持つが、作品内では世界観の共有がさほど意識されていない。『ウルトラマン』及び『帰ってきたウルトラマン』以降の第2期ウルトラシリーズとは切り離した上で展開された、『ウルトラセブン』の直接の続編として通商産業省(現:経済産業省)・資源エネルギー庁とのタイアップのもとに日本テレビで制作されたシリーズ。従来のフィルム撮影手法を採らず、ビデオ撮影で制作された。『ウルトラマン80』終了から16年後にして、ウルトラマン生誕30周年を迎えた1996年、ウルトラマンがTVの画面に復活した。TBS系列の在阪局である毎日放送(MBS)が番組枠を提供、制作を担当し、この新たな枠組みで新シリーズが開始された。円谷プロの「ウルトラシリーズ」を製作することとなった毎日放送の意気込みも強く、放映期間中には大阪茶屋町の毎日放送社屋入口前に番組ごとにそれぞれの巨大ウルトラマン像が設置されて名所となった。昭和ウルトラシリーズと世界観を一新し、「M78星雲からやってきた宇宙人」という従来の設定が排除され、いずれの作品のウルトラマンも「地球人の青年が自ら変身する光の巨人」として描かれている。また、タイプチェンジ可能というシリーズ初の試みが特徴で、映像面ではこれまでのシリーズと同様にフィルムで撮影し、技術の進歩によりCGが随所に盛り込まれている。世界観を共有するのは『ウルトラマンティガ』と『ウルトラマンダイナ』のみだが、『ウルトラマンガイア』も続けて製作され、視聴率や玩具売上も好成績を収めたこと、スタッフや制作体制が続投していること、映画『ウルトラマンティガ・ウルトラマンダイナ&ウルトラマンガイア 超時空の大決戦』で3人の光の巨人が共演を果たしたことから、3作品合わせて「平成(ウルトラマン)3部作」と呼ばれている。そして、各作品の外伝作品となるオリジナルビデオが2001年(完全版DVDが2004年)、DVDメモリアルボックスが2007年、リマスター版ブルーレイボックスが2014年から2016年にかけて発売され、さらには映画『大決戦!超ウルトラ8兄弟』では3人の光の巨人がウルトラ兄弟と共演している。円谷英二生誕100周年とウルトラシリーズ35周年を迎えた2001年、毎日放送によって制作された『ウルトラマンコスモス』を機に、ウルトラシリーズが再開された。以降のシリーズは1作品ごとにブランクや時間枠移動があったりと複雑化しているため、シリーズ区分は公式にはしばらく定まっていなかったが、近年になって『コスモス』から『ウルトラマンメビウス』を「平成第2期ウルトラシリーズ」、また連続放送された『ウルトラマンネクサス』『ウルトラマンマックス』『メビウス』を「ハイコンセプトウルトラマンシリーズ」と総称するようになった。劇場用映画とのメディアミックスが定着し、『マックス』を除いてテレビシリーズとリンクした映画が制作されている。また、『ウルトラマン』を除く昭和ウルトラマンシリーズと平成3部作は4クール作品だったが、『コスモス』以降は5クールだったり3クールだったりなど、放送期間は不統一である。また、ウルトラマンの戦い方、作風やドラマ、王道が従来の昭和ウルトラマンシリーズ、平成3部作、海外作品群やアニメシリーズ、ほかの円谷特撮ヒーロー作品とは異なっている。毎日放送との「ウルトラシリーズ」は『コスモス』で終了となり、次作『ネクサス』は、「新たなウルトラマン像を創造する」ことを主目的とした「ULTRA N PROJECT」の一環として制作され、以降はTBS系列の在名局・中部日本放送(CBC)が製作を担当し、放送時間枠も土曜18:00から土曜7:30に移動した。「N PROJECT」終了後は、「原点回帰」をコンセプトとした『マックス』が放送され、制作は引き続きCBCが担当。スタッフの多くも『ネクサス』から引き継いでいる。シリーズ40周年記念作品として制作された『メビウス』は、『マックス』で好評だった原点回帰を推し進めて昭和ウルトラマンシリーズと繋げ、昭和の歴代ウルトラマンや人気怪獣・宇宙人が登場している。しかし、放送時間枠が土曜17:30(当時はローカルセールス枠)に移動し、スポンサードネット扱いでの放送も同時・遅れを問わず主要都市圏に限られたため、一部未放映の地域ができてしまう。TVシリーズ終了後も『メビウス』は様々なメディアミックス作品が製作された。『ネクサス』『マックス』『メビウス』の3作品は、視聴率および玩具売上の商業面で苦戦を強いられた。『メビウス』の後、3クール以上のテレビシリーズは制作されておらず、左記に関して言えば、現時点で『ウルトラマン80』から『ウルトラマンティガ』までのTVシリーズの16年休止に次ぐブランク期間となっている。しかし、1クール前後のテレビシリーズや劇場版映画、オリジナルビデオなど作品の制作は断続的に続けられている。『メビウス』以降番組を継続できなくなった理由について円谷プロダクション社長を務めた円谷英明は、『ネクサス』以降に名古屋地方局発となったことで首都圏では十分な宣伝がされず視聴率不振となり、スポンサー獲得も困難となって番組提供枠として売れなくなったことを最大の原因として挙げている。『ウルトラマンメビウス』終了後は、『ウルトラギャラクシー大怪獣バトル』シリーズや、下記の夜間番組のようなワンクールの短期作品が制作される。2012年以降は『ウルトラマン列伝』枠内でも、ウルトラシリーズの新作が放送されている。過去作品のセレクト再放送、スペシャル総集編、映画やビデオ作品の分割放送などメインとした番組。当初は過去作品のセレクト放送がメインであったが、途中よりオリジナル作品の比重が大きくなり、2012年に『ウルトラゼロファイト』放送を始め、2013年に『ウルトラマンギンガ』『大怪獣ラッシュ ウルトラフロンティア』を放送。2014年には『ウルトラマンギンガS』を放送。2015年には『ウルトラマンX』を放送。ナビゲーターは列伝では主にウルトラマンゼロが担当していたが、新列伝より礼堂ヒカルやゼロをはじめ多彩なキャラクターがナビゲーターを担当する。『新ウルトラマン列伝』にて『ウルトラマンギンガ』を放送中の2013年7月10日、「最も派生テレビシリーズが作られたテレビ番組」としてギネス世界記録に認定された。2000年代に入ってからは昭和シリーズのリメイクもしくは続編的な作品を製作することが多くなっている。2004年には『Q』のリメイクとして『Q dark fantasy』が深夜枠に放映される。2007年にウルトラセブン40周年記念作品として『ULTRASEVEN X』が深夜枠にて放送される。2011年には「ウルトラ怪獣を主役とした、大人向けのウルトラ」というコンセプトで『ウルトラゾーン』が独立局を中心に放送される。2013年には「ウルトラQのセカンドシーズン」というコンセプトで『ネオ・ウルトラQ』が放送される。各作品のオープニングタイトルの所で、その回に登場する「怪獣○○登場」という字幕が入る(『Q』、『セブン』、『80』、『G』、『ネクサス』『ギャラクシー』、『ギャラクシーNEO』を除く、『A』第36・37話のみ「出現」と表記されている)。TBS系列外局では放送されなかった作品もあり。また、TBS系列局でも同時ネットされなかったり、あるいは放送自体がされなかった作品もある反面、極初期の作品(Q・マン・セブン)については系列外にもかかわらず同時ネットだった局もある。この他、「マン」が1970年代にフジテレビ系で、「セブン」が1985年に日本テレビでそれぞれ再放送されたりと、再放送については地域系列放送媒体を問わず大多数のテレビ局で実績がある。なお、円谷プロの倒産回避措置として、1984年から1991年まではTBSが系列内外への販売窓口となっていた。ウルトラシリーズの関連商品は、大半がバンダイから発売されているが、実は第一期シリーズ当初は、商品化権を獲得しておらず、実際に商品化権を取ったのは、第二期シリーズの頃である。第三期シリーズの前年の1978年にポピー(現:バンダイ・ボーイズトイ事業部)がブルマァクの倒産でウルトラシリーズの関連商品の発売元を失った円谷プロならびに大手出版社・小学館と手を組んでからで、以後小学館の『てれびくん』等の雑誌の人気作品の再録再評価、怪獣ソフビのウルトラ怪獣シリーズを中心とした関連商品、TBS系列でのウルトラシリーズの再放送などでブームが盛り上がった。これは、『宇宙戦艦ヤマト』ブーム影響から生まれたのである。一説では、バンダイ的には超合金ブームと怪獣ブームのブームの合体のために作られたものである。その後バンダイはテレビ・映画などのメディアでウルトラシリーズの新作製作を後押し続け、バンダイ・ボーイズトイ事業部で玩具等の関連商品を発売し、子会社のバンダイビジュアルがシリーズ各作品のビデオ・DVDの商品化を開始し、もう一つの子会社である玩具デザイン会社のプレックスによってティガ以降現在までの作品の防衛チームのライドメカ、基地、隊員服、なりきり玩具等をデザインし、また、もう一つの子会社である玩具デザイン会社のバンダイナムコゲームス共にデータカードダスの『大怪獣バトル ULTRA MONSTERS』中心のゲームを出したり、バンプレストからプライズモノを出したり、1989年からは毎年「ウルトラマンフェスティバル」(略称・「ウルフェス」)を開催している。2008年1月21日、バンダイは円谷プロの当時の親会社であったティー・ワイ・オーより円谷プロの33.4%の株式を取得し、ウルトラシリーズを初めとした円谷プロ作品の独占的商品化権を獲得した。ウルトラシリーズの関連書籍は、現在では大半が小学館から発売されているが、同社が商品化権を獲得したのは第2期ウルトラシリーズが開始される前々年の1969年である。それ以降、小学館の学年別学習雑誌を中心とした雑誌や絵本、漫画、ライトノベル、研究本などの関連商品、TBS系列でのウルトラシリーズの再放送などでブームが盛り上がった。その後、小学館はゾフィーを長兄としたウルトラ兄弟の設定を築き上げ、ウルトラシリーズの新作や『ミラーマン』、『ファイヤーマン』、『ジャンボーグA』などのほかの円谷プロ作品を小学館の学習雑誌などの雑誌で連載。のちに、現在の本シリーズ主幹雑誌である「てれびくん」が1978年12月末発売の2月号にシリーズ各作品の掲載を開始し、以後1990年代を除いて全作掲載。円谷プロの昭和作品をDVD化する「デジタルウルトラシリーズ」の一環として『ウルトラセブン』、『ウルトラマン』、『ウルトラQ』、『帰ってきたウルトラマン』、『ウルトラマンA』、『ウルトラマンタロウ』、『ウルトラマンレオ』、『ザ☆ウルトラマン』の順で昭和ウルトラシリーズがDVD化された。1990年代作品の『ウルトラマンネオス』、『ウルトラマンゼアス』、『平成3部作』もDVD化し、2000年代作品の『ウルトラマンコスモス』以降の作品はリアルタイムで発売された。2010年6月25日と9月24日に『ウルトラマン80』のDVD-BOXが発売。『グレート』は、海外で英語音声のみのDVDが発売されている。2008年12月から『ウルトラ1800』という低価格でのDVD販売を行っている。ウルトラシリーズは同一の世界を共有している作品と、独立した世界が舞台の作品に分かれる。また同じ作品世界を共有していてもパラレルワールドとなっている場合もある。『大怪獣バトル』以降の作品では、時空を超えた混乱期であるギャラクシークライシスが発生したことにより、M78ワールドと平成ウルトラマンシリーズなど別の世界観を持つ作品との共演も可能となっている。『ウルトラマンゼロ THE MOVIE』より、無数の銀河が水泡状の空間に存在している「マルチバース」の設定を明確化した。スタッフのお遊びとしてではあるが、共通する単語や人物などが登場している。メタフィクションに近い形で劇中劇として他の作品を登場させることもある。各作品毎に登場するウルトラマンと共闘する組織。

出典:wikipedia

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