モンタナ級戦艦(モンタナきゅうせんかん、Montana Class Battleship)はアメリカ海軍の戦艦の艦級である。アイオワ級の拡大改良型で、完成すれば日本海軍の大和型戦艦に匹敵する排水量の戦艦であった。1940年に5隻の建造が承認されたが、戦局の推移、艦船運用思想の変化から1943年に全艦建造が取りやめとなった。アメリカ合衆国において設計された最後の戦艦の艦級である。1936年に第二次ロンドン海軍軍縮会議から日本が脱退した。これを受け、同条約を批准した英米仏の三国は対応を協議し、1938年3月末にエスカレータ条項を発効した。この結果、軍縮会議で定められていた戦艦の主砲口径と基準排水量の上限はそれぞれ14インチから16インチ、35,000トンから45,000トンへと拡大された。これに伴い、英米仏の戦艦保有制限枠も拡大されることになった。この時期、日本は条約制限を上回る46,000トン型の16インチ砲戦艦、もしくはそれ以上の18インチ砲戦艦を建造していると見なされており、アメリカの新型戦艦は、日本海軍新型戦艦に対抗できる性能を持つ必要があると見なされていた。一方、当時のアメリカ海軍では「互いの偵察艦隊(空母機動部隊)の決戦で制空権を奪取したのち、味方制空権下で戦艦同士の砲撃戦を行うもの」という戦術が考えられていた。この際、日本の偵察部隊に金剛型戦艦が配属されて空母部隊と遊撃作戦を実施したと仮定した際、日米の空母部隊が接触時、アメリカの重巡以下で構成された偵察部隊が砲戦で敗北することが懸念された。その為、空母決戦の構想が進むにつれ、空母部隊に随伴し金剛型を大きく上回る砲撃力及び防御力を持った高速戦艦が必要不可欠と考えられるようになった。また、同時に主力戦艦同士の砲撃戦となった場合でも、日本戦艦を速力で上回る高速戦艦を保有すれば優位に戦闘が進められるという判断もあった。こうした観点から、新型戦艦の計画は排水量をエスカレータ条項で認められた上限である45,000トン級とし、二つの案で検討されることになった。一つはサウスダコタ級戦艦と同じ27ノットに抑える代わり、18インチ砲9門又は16インチ砲12門を備え攻防力を強化したスローバトルシップ「低速戦艦(Slow Battleships)」案。もう一つは特殊打撃部隊(Special Strike Force、空母機動部隊の原型)を引率して金剛型の撃破と敵戦線の圧迫を行い、更に味方艦隊を襲撃する可能性がある未知の敵艦隊を捜索し攻撃するため、サウスダコタ級と同等の攻防力を持った33ノットのファーストバトルシップ「高速戦艦(Fast Battleships)」案である。この二つの案は「低速戦艦」案が後のモンタナ級、「高速戦艦」案が後のアイオワ級として発展していった。この低速戦艦案と高速戦艦案の検討はエスカレータ条項の内容確定以前の1938年1月から開始された。低速戦艦案は「BB-65」案として、全20種の案が提出され検討された。当初搭載が考えられた16インチ56口径砲や18インチ45口径砲等の新型砲は、砲身の寿命が短いこと、45,000トン級で搭載すれば十分な防御を施せないこと、日本の新戦艦が18インチ砲を搭載していないとアメリカ海軍情報部が判断したことから見送られることとなった。そのため、20種の案はアイオワ級と同じ16インチ50口径砲を搭載することとなっていた。1939年9月に始まった第二次世界大戦を受け、アメリカ海軍は1940年に「二大洋海軍 "Two Ocean Navy"」建艦計画を成立させ、7隻の戦艦の建造予算を承認した。この内の5隻はBB-67からBB-71として承認され、筆頭艦に命名された“モンタナ”の名を取って「モンタナ級戦艦」と総称された。1番艦から5番艦までの建造予算は1940年7月19日に承認され、9月9日にはアメリカ国内の三つの造船所に発注された。モンタナ級が5隻が完成し、同時に承認されたアイオワ級2隻の追加建造も合わせれば、アメリカ海軍は17隻の新型戦艦を保有することとなり、これは他国に対しての大きな利点となると考えられていた。また、日本海軍の新型戦艦(大和型)に対抗しえる艦となるはずであった。しかしながら、この時点でも「BB-67」となったモンタナ級戦艦の案は固まっていなかった為に建造開始の承認は無く、建造中であったアイオワ級戦艦の建造が優先された。1941年3月には最終案「BB-67-4」が海軍上層部に承認を受けたものの、12月に太平洋戦争が始まり、アメリカが第二次世界大戦に参戦すると、戦局は航空母艦、揚陸艦艇、輸送船、潜水艦及び対潜水艦用の各種護衛艦艇を緊急に必要とするようになった。モンタナ級の起工は低優先度事項とされ、1941年中には起工されなかった。1942年に入って戦訓を取り入れた改設計も行われるものの、同年4月にはルーズベルト大統領からモンタナ級の建造計画の中止命令が下された。その後、海軍からは「アイオワ級2隻の追加建造を取り止めてモンタナ級を建造すべきだ」という声も上がったが決定は覆らず、1943年7月21日には1隻も起工されないまま建造計画はキャンセルされることとなった。1番艦であるモンタナの艦名は、1921年のダニエルズ・プランで計画されたサウスダコタ級戦艦の3番艦に命名される予定であったが、翌年のワシントン海軍軍縮条約で同級の建造は中止されたためキャンセルされたものを改めて採用したものである。本級もキャンセルされたことで、モンタナ州はアメリカ合衆国の48州(当時)の中で主力艦に命名がなされなかった唯一の州となった。なお戦時中の日本でもモンタナ級については一般に知られており、大和型戦艦については「新造戦艦」としか報じられていなかった日本国民には大きな脅威と受け止められていた事が当時、出版された書籍の記述から確認出来る。1942年6月の設計基準にモンタナ級は基準排水量63,221トン、満載排水量70,965トン予定であり、就役した場合フォレスタル級航空母艦が就役するまでアメリカ海軍最大の艦となるはずであった。主砲は50口径40.64cm(16インチ)3連装砲塔を4基12門、両用砲は新型の54口径12.7cm(5インチ)連装砲を10基20門とされた。各部の装甲は自らが搭載する砲に充分対抗できる装甲を持たなかったノースカロライナ級、サウスダコタ級、アイオワ級と比べて増強され、対応防御はMk.6 16インチ45口径砲(AP Mark 8、1,225kg)では18,000~31,000yd(16.4~28.3km)、Mk.5 16インチ45口径砲(AP Mark 5、1,016kg)では16,500~34,500yd(15~31.5km)で予想された。そして水中防御として艦底は三重底とした。機関部の配置はノースカロライナ級からアイオワ級までのシフト配置を改め、コロラド級などと類似する機械室の両舷に罐室を並べる方式が採用された。水面下の艦尾の形状は以前の戦艦と同様にツインスケグだった。機関出力は4軸合計172,000馬力で重量増加や艦形の都合からも最高速力はアイオワ級よりも5ノット低下したが、ノースカロライナ級の設計速度と同等の28ノットを確保した。上部構造物はアイオワ級を基としたものとなり、3番艦のメインに艦隊旗艦設備、他の4艦には戦隊旗艦設備が設けられる予定であった 。本級の全幅はパナマックスの33mを超える約37mで、パナマ運河の通航はできなかったが、本級建造の認可に合わせてパナマ運河に新閘門が建設される予定であった。新閘門完成後はモンタナ級の通行が可能になり太平洋と大西洋双方で運用が可能となるはずであったが、運河の拡張は戦後キャンセルされた。モンタナ級は完成こそしなかったものの、その船体設計はミッドウェイ級航空母艦の設計に役立つこととなった。Heavyは2700lb(1,225kg)の砲弾である。*全て起工前に建造中止
出典:wikipedia
LINEスタンプ制作に興味がある場合は、
下記よりスタンプファクトリーのホームページをご覧ください。