ヒデ 夕樹(ひで ゆうき、1940年11月5日 - 1998年12月8日)は日本の歌手。本名は平野 英之(ひらの ひでゆき)。芸名は「ヒデ 夕木」「秀 夕木」「秀 夕樹」「夕木 秀」など多数の別表記がある。1970年代から1980年代初頭にかけて、アニメおよび特撮テレビドラマ作品の主題歌・挿入歌を歌唱。また、日立グループのCMソング「この木なんの木(日立の樹)」のオリジナル歌手としても知られる。1958年、コーラスグループ「ザ・タドポールズ」のメンバーとしてデビュー。メンバーの一人だった朝礼志とは、その後も様々な形で共に活動することになる。1966年、タドポールズの解散に伴い、エンディとの男性デュオ「ラッシャーズ」を結成。1968年、エンディの事故死に伴いラッシャーズが解散すると、同年バンド「ソウルフル・ブラッズ」を結成。「ヒデ夕樹」の芸名は、この際に藤村俊二がヒデの本名である「ひでゆき」をもじって命名したものである。1970年、テレビアニメ『あしたのジョー』の2代目エンディングテーマ・挿入歌である「力石徹のテーマ」を歌唱。以降、『海のトリトン』や『人造人間キカイダー』といったアニメ・特撮作品の主題歌・挿入歌を担当した。1971年、ソウルフル・ブラッズが解散。1973年に朝コータローとのデュオ「ヒデとコータロー」を結成し、1975年頃まで活動。この頃よりバンド活動の傍らCMソングも手掛けるようになり、1973年には日立グループCMソング「この木なんの木(日立の樹)」を歌った。ヒデが歌唱したCMは2005年まで放映されたが、支払われたギャランティーは最初の録音時の一度だけ、2万円程度であったという。1978年、テレビアニメ『キャプテン・フューチャー』の主題歌・挿入歌を担当。後に主題歌はタケカワユキヒデのヴォーカルによるバージョンに差し替えとなったが、後年になり、タケカワが歌唱したバージョンがヒデが歌唱したバージョンよりも先に録音されていたという事実が判明している。1998年12月8日、心不全のため死去(享年58)。この時期はアニメタルの作品のヒットなどをきっかけとした、1970年代のアニメ・特撮ソングのリバイバルブームが始まり掛けていた頃であったが、その死はあまり広くは伝わらなかった。小林亜星によれば、晩年は機会が得られず不遇をかこち、日立の樹のCMの新録音のため関係者がヒデの行方を捜した時には時既に遅く、人知れず亡くなっていたことが分かったとのこと。1999年8月30日から31日にかけて開催された「水木一郎24時間1000曲ライブ」では、ヒデの追悼企画として「ゴーゴー・キカイダー」「風よ光よ」「この木なんの木」の3曲が水木一郎により歌唱された。ステージではレイ・チャールズ、スティーヴィー・ワンダーらの歌を好んで歌っており、そのソウルミュージック系の歌唱法をそのままアニメソングというジャンルに取り入れていた。しかし、当時はその歌唱法が「子供向けではない」と言われ、制作側から敬遠されることもあったという。
出典:wikipedia
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