中国語版ウィキペディア(、)とは、中国語で編集され、ウィキメディア財団によって運営されるウィキペディアである。2002年10月に始まり、中国語版ウィキペディアは2006年11月12日、総記事数が10万を突破した。記事数は2016年10月現在906,163 項目以上に達する。ウィキペディアの中国語での名称は投票に従い、2003年の10月21日に決定された。名称(、)は「ウィキ百科事典」という意味である。中国語の「ウィキ」は二文字からなり、本来は単なる音訳ではあるが、 / の元々の意味は物体を繋ぐ縄や網のことでインターネットにも関係があり、基は建物の基礎や一般的には物事の基本的な側面という意味がある。その為、名称は人類の基本的な知識を繋げる百科事典であると解釈できる。(しかし、ウィキ技術に対する中国語訳は / ではなく / 、 / 、 / 、 / 等が使われる。)中国語版ウィキペディアには「 / 」という副題がある。これは清の官吏であった林則徐の「」(海は百川を納め、容の大なる有り。壁は千仞に立ちて、無欲則ち剛なり/海は数え切れない程多くの川を呑み込み、それは広大である。壁は測り切れない程に高く、それは無欲故に強靭である)という対句の前半部分である。中国語版ウィキペディアには多様な背景を持った人々が参加している。2005年5月の統計によると、46%のユーザーが中国大陸(中華人民共和国)から接続していて、22%が北アメリカから、12%が台湾(中華民国)から、9%が香港から、3%が日本から、3%がヨーロッパから、2%が東南アジアからである。参加者の地理的な接続の結果として、中国語版ウィキペディアでは中国に関する項目がとても詳しく記述されている。地域内の傾向としては、中国語版ウィキペディアでは経済格差が反映されていて、台湾、香港、そして中国大陸でも富裕な東海岸の省に関する項目がより詳細になっている。参加者の出身地のために、中国語版ウィキペディアでの一番の議論の的は六四天安門事件、台湾独立運動、法輪功などに関する項目である。対照的に、パレスチナ問題などの議論はそれほど物議をかもしてはいない。2016年10月の時点で中国語版ウィキペディアには82人の管理者がいる(うち9人が)。2008年の段階だが、30人は中国大陸に住んでいて、台湾に19人、香港に17人、マカオに4人、ドイツに1人、スウェーデンに1人、アメリカに9人、カナダに5人、オーストラリアに2人、日本に1人で、残りの2人ははっきりとしていない。これまで、中国語版ウィキペディアンは以下のオフラインミーティングを開いている:始め、2 つの中国語版ウィキペディアが "zh-cn" (中国)と "zh-tw" (台湾)という名であった。一般的に、繁体字を使う地域(台湾、香港、マカオなど)の利用者は繁体字で編集するのに対し、簡体字を使う地域(中国大陸、シンガポール、マレーシアなど)の利用者は簡体字で編集するので多くの記事が2つの同等ではない記事になった。例えばフランスの記事には繁体字 () と簡体字 () の2種類があった。さらに問題が悪化したのは、意思疎通がとれなかったのと別々の体制のために、多くの正式名称が中国大陸、台湾、香港、シンガポールの間で非常に異なっていることである。例えば、プリンタは中国大陸ではと呼ばれ、台湾ではと呼ばれている、サーバは中国大陸ではと呼ばれ、台湾ではと呼ばれている。プロジェクトのニアフォーキングを避けるために、2005年1月ごろ、中国語版ウィキペディアは利用者の設定によって、異なった文字と正式名称をその利用者の地方に適したものに自動変換するサーバ側のメカニズムを提供し始めた。利用者は以下の5つの地域の文体から1つを設定できる。変換は管理者によって編集されるひと組の文字変換テーブルを通じてなされる。特別なウィキマークアップ構文で、編集者は記事の中の文書の特定の節のために変換テーブルを重ね処理することがある。また、単純な文字変換である、もソフトウェア的には指定可能(アドレスバー等からの入力の場合)となっており、中国語版ウィクショナリーではメニュー上では上のzh-cn/hk/sg/twの代わりに実装されている。さらに、記事名の変換は自動のリダイレクトが使われている。異なった文字と異なった訳で前もって名づけられた記事は統合され、繁体字と簡体字の両方の項目名からたどり着くことができる。この場合、日本語版においての(○○から転送)に相当する(重定向自○○)が表示されないことがある。中国語版ウィキペディアは2001年5月に、12の他のウィキペディアと共に設立された。しかし、当初は中国語版ウィキペディアは漢字をサポートしておらず、全く百科事典的な内容はなかった。2002年10月にGhyll(現 )が最初に漢字で、メインページを書いた。Mountainは中国語版ウィキペディアの最初のログインユーザでもある。2002年10月27日のソフトウェアアップデートで中国語が入力できるようになった。ドメインはzh.wikipedia.orgになった。2002年11月17日にMountainは (計算機科学)の記事を に訳し、最初の本格的な百科事典の記事をつくった。初期の中国語版ウィキペディアの記事は多くが英語版から訳されていた。最初の5人の管理者は 、、、、で、2003年7月14日に就任した。それ以来、Shizhaoは特に多くの維持作業を実行したが、度々独断専行的なやり方で軋轢を起こした。ちなみに、2004年7月からの中国大陸におけるウィキペディアのブロックを取り除くのについて手紙を書いたことがあると言われる(しかし、2008年7月末の封鎖解除へ貢献があったと意味するわけではない)。ウィキペディアが最初に中国大陸の報道機関で紹介されたのは2003年10月20日の「中国コンピュータ教育」紙(中国電脳教育報、 / )で、「私も百科事典を書いてみる」(我也来写百科全書、 / )という記事に掲載された。2004年5月16日には、ウィキペディアは台湾の報道機関の中国時報紙で初めて報道された。それ以来、多くの新聞がウィキペディアを取り上げ、数人の管理者が記者によるインタビューを受けている。中華人民共和国と中国大陸のインターネットサービスプロバイダは、中国大陸で議論を巻き起こすようなインターネットサイトをするという採択をし、ウィキメディアのサイトは少なくともこれまで6回ブロックされている。2012年11月現在はSSLを使えば問題無くアクセスできる。最初かつこれまでで最も重大なブロックは2004年の6月2日から6月21日まで続いた。北京から中国語版ウィキペディアへの接続がブロックされたのは六四天安門事件から15周年のときであった。これに関連して、5月31日にIDG News Serviceから記事が発行され、この抗議に対する中国語版ウィキペディアの対応が議論された。中国語版ウィキペディアには台湾などから寄稿された台湾独立に関する記事もある。中国語版ウィキペディアの最初のブロックから数日後、中国大陸ではすべてのウィキメディアのサイトがブロックされた。このブロックに対して、2人の管理者がブロックの解除を訴える準備をし、その地方のインターネットサービスプロバイダに提出するように頼んだ。そして全ウィキメディアのサイトは2004年の6月17日から6月21日の間ブロックが解除された。最初のブロックは中国語版ウィキペディアの活気に影響を与えた。新規登録者数や新規記事数、編集数などの様々な指標で鋭い急降下を受けた。ある事例では、全ての指標で2004年5月の状態を取り戻すのに6から12ヶ月かかった。次のそれほど重大ではない接続の停止は2004年9月23日から9月27日まで続いた。この4日間、中国大陸の一部の利用者でウィキペディアへの接続が不安定になったり利用できなくなった。 — このブロックは全体的なものではなく中国大陸の一部の利用者はまったく影響を受けていない。このブロックの正確な理由は謎だが、公然と急進的な政治の議論が主催されていたために数週間前に閉鎖された人気の北京大学が管理しているBBSである一塌糊塗BBSの残骸にリンクされていたためだとされる。BBSからの避難民は中国語版ウィキペディアに流れ着いた。中国語版ウィキペディアは再び地方のISPに控訴の準備をしたが、控訴が実際に出される前にブロックが解除された。理由は不明。3度目のブロックは2005年の10月19日に始まった。中国語版ウィキペディアで運営されているによると、フロリダと韓国のサーバはブロックされているが、パリとアムステルダムのサーバはブロックされていない。中国大陸中の編集者の多くがプロキシサーバを使ったウィキペディアにしか接続できないといるが、プロキシを使わないウィキペディアに接続できるという単独の報告もある。2006年11月9日まで続いた。4度目のブロックは2006年の11月17日に始まった。アクセスがこの8日間可能になるのはGreat Firewallの()バージョンアップによるものである可能性があるが詳細は不明。2007年7月24日まで続いた。2007年6月15日、韓国にあるウィキペディアのサーバーへのIPフィルタリングが外れ、中国語版以外のウィキペディアへのアクセスが可能になった。2007年7月21日から中国大陸の一部の地域よりのアクセスができるようになった。2007年7月24日、米国にあるウィキペディアのサーバーへのIPフィルタリングが外れた。ただそれは一時のことだけで、7月25日18時(中国標準時)からまたブロックされた。5度目のブロックは2007年7月30日まで続いた。ただしアクセスは極めて不安定であり、プロキシなしに・などの「敏感」な項目へのアクセスはできない。6度目のブロックは2007年の8月2日に始まった。北京五輪の開催を前に、2008年7月31日突然フィルタリングが外れた。アクセスは依然として不安定。SSLを使用すると問題なくアクセスできる。リンクは以下に示す。日本に関する項目は、日本語版からそのまま引用した項目も少なくなく、中には題名などが(原題の)日本語のままで訳されていない項目もある、特に日本の漫画、アニメ、ゲーム、番組に関する項目は深刻である(ただし、フェアユーズが許されているがため、日本語版では使えない漫画のスキャンやアニメのキャプチャなども多数転載されている)。ただし、分野によっては(戦国時代、日本近代史などでは)英語版以上に詳しい記事もある。歴史や政治などの項目は詳しいが、学術、文化系の項目はあまり充実していない大きな傾向がある。また中国史の内容も日本語版と比べてはっきり劣る。もっとも、日本語版の中で「三国志」などは、漫画やテレビゲームなどを通じたマニアが過剰に書く傾向があり、その点は割り引いて考えるべきである。
出典:wikipedia
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