415系電車(415けいでんしゃ)は、日本国有鉄道(国鉄)が設計・製造した交直流両用近郊形電車。国鉄分割民営化時には東日本旅客鉄道(JR東日本)と九州旅客鉄道(JR九州)に継承されたほか、JR東日本が製造発注した車両や西日本旅客鉄道(JR西日本)が113系から改造・編入した車両が存在する。なお、本項では製造目的の共通する以下の車両系列についても表記する。国鉄のカルダン駆動方式の電車としては初の両開き3扉構造の近郊形電車であり、交流電化区間と直流電化区間の電源を車上での切換えで直通運転する交直両用電車の実用第1号として開発され1960年から製造開始された。401系は直流/交流50Hz対応、421系は直流/交流60Hz対応による相違。403系は1966年から、423系は1965年から製造された401系・421系の出力増強形。415系は交流50Hz・60Hz両用とした系列で1971年から製造された。このため交流50Hz用の401・403系は電動車ユニットのみ形式が異なり、制御車のクハ401形は共通、交流60Hz用の421・423系も同様でこちらの制御車はクハ421形とされた。一方で415系は制御車の形式はクハ411形とされた。また基本設計については415系まで踏襲されている部分が多いが、運用線区の違いなどから行先標(サボ)受の位置が異なるなど外観等に多少の差異が見られる。401・403・415・421・423各系列共通する部分について解説を行う。車体は153系を基本とする軽量形鋼を溶接で組立てた全金属製セミモノコック構造で車体幅2.9mの裾絞り断面形状を採用しており、車体長も同様に中間車で19.5mとしているが、1500番台では、211系を基本としており、軽量ステンレス車体で車体幅は車両限界一杯の2.95mの裾絞り断面形状を採用しており、前頭部はFRP製の化粧キセで覆われている。近郊形として通勤使用を考慮し70系同様のデッキなし片側3ドアとした上で客用扉は新たに101系と同じ1.3m幅の両開き扉を採用した。また、側窓は101系と同じく2段上昇式となっているが、1500番台では1段降下窓としている。また。交流区間の絶縁距離を確保するため屋根上のパンタグラフ搭載部分は低屋根構造としている。座席配置も70系のセミクロスシートを基本に改良を実施。中間車の扉間は戸袋部分を2人掛けロングシートとし、その4人掛けボックスシートを4組設置。車端部を3人掛けロングシートに4人掛けボックスシートが2組とし座席定員76名とした。通路幅は153系の540mmから860mmと拡大。また4人掛けボックスシートの座席は幅が狭く窓側の肘掛けを省略されたが、415系100番台以降は4人掛けボックスシートの寸法と形状を急行形電車と同一としたため、窓側の肘掛けが取付けられている。トイレは70系同様に制御車に設置され、粉砕式汚物処理装置を取付けていたが、その後は循環式汚物処理装置が取付けられている。これらの構造は、以後長らく新性能近郊形電車の標準となった。クハ401・421形の前面は、153系同様にパノラミックウインドウを採用し併結運転を考慮した貫通路を設置。初期製造車はクハ153形0番台同様に運転室のフロントガラスが大きい低運転台構造とされたが、踏切事故対策から401系は1962年製造のクハ401-23から、421系は1961年11月製造のクハ421-17から、それぞれクハ153形500番台と同様の高運転台に変更。また、403系・423系用を含め屋上通風器など他の部分についても同時期に製造されたクハ111形に合せた改良が実施された。主回路機器は101系をベースに交流区間での脈流対策を施工。当初開発された401・421系では主電動機はMT46A形直巻整流子電動機を改良したMT46B形、主制御器も同様の電動カム軸式で401・421系はCS12B形を415系はCS12G形を搭載している。主抵抗器も同様の強制風冷式のMR61形を搭載している。ブレーキ方式は発電ブレーキ併用電磁直通ブレーキを採用している。パンタグラフは架線電圧交流20KVでの無加圧区間を250mm以上確保する必要から、PS16形の台枠・空気配管を変更したPS16B形とした。台車は、枕ばねにコイルばねを使用した揺れ枕吊り台車を採用しており、電動車用が101系と同一のDT21B形、付随車用がDT21B形をベースに台車枠形状などを付随車用に変更した踏面ブレーキ式のTR64形を装着している。ただしクハ401-47・421-41以降はクハ111形同様のディスクブレーキを装備するTR62形とし、ブレーキ容量が増大された。1500番台では、211系と同一の枕ばねにダイヤフラム式の空気ばねを使用したボルスタレス台車を採用しており、電動車用がDT50C、付随車用がTR235Cを装着している。また、主電動機の冷却には、電動車の妻面(車体端部)に冷却風取入口を設けて、そこから冷却用空気をダクトを介して取込む方式としている。電動車は2両で1ユニットのMM'ユニット方式を採用しており、M車には床下に主制御器・主抵抗器・電動発電機(MG)などの機器を、M'車には屋根上にパンタグラフ・交直切替器・交流遮断器などの機器と床下に主変圧器・主整流器・蓄電池・交直転換器などの機器を搭載する。主変圧器は401系にTM2、421系にTM3、403系にTM9、423系にTM10、415系にTM14またはTM20を搭載しており、冷却方式は送油風冷式を採用している。TM2形とTM3形には、変圧器の冷却に使用される絶縁油にPCBを主とする不燃性油が使用されていたが、PCBによる環境汚染が社会問題化したため、TM20形には、絶縁油にシリコン油が使用されている。主整流器は素子にシリコン整流子を採用した全波整流の単相ブリッジ式であり、401系にRS1・RS2、423系にRS3・RS4、415系にRS22Aを採用しており、シリコン整流子の冷却に電動送風機による強制冷却方式が採用されていたが、415系500番台の最終増備車・700番台・1500番台ではその冷却に走行風を利用した自然冷却式のRS49に変更されている。先行試作車から1961年落成分まではローズピンク(赤13号)を基調に401系は制御車前面窓上にクリーム1号、421系は全車の側面裾部(ドア下)にクリーム2号の識別を兼ねた警戒色が入る国鉄交直流電車の標準色とされた。1962年落成分から警戒色を401系は省略。421系はクリーム4号に変更し正面まで引かれるように改定され後に省略されたことから、その後415系500番台途中製造分までの国鉄交直流電車の標準色となった。その後1985年のつくば万博開催に伴うイメージアップから常磐線用車両は、1983年8月から1985年3月16日にかけてはクリーム10号に青20号の帯という新塗装へ変更された。帯の色を緑にするつもりもあったようだが、上野で185系と紛らわしくなるため見送ったという。1986年3月に常磐線新塗装の415系500番台が421系初期車置換え用として南福岡電車区に転属して以降、同年10月からは九州配置車もこれに倣った塗装を採用した。ただし白地は同じクリーム10号だが青帯は若干藍色がかった青23号を採用するほか、窓上にも帯が入る。これに先立ち1986年夏には比較検討が行われ、423系は白3号と青20号、713系はクリーム10号と青20号に塗色変更して出場し、勝田区からの転入車は、民営化後の1987年秋頃までは常磐線塗装とされていた。401系は1961年(昭和36年)6月の常磐線取手 - 勝田間交流電化に、421系は山陽本線小郡(現・新山口) - 下関間直流電化および鹿児島本線門司港 - 久留米間交流電化に対応する系列で、両系列とも1960年(昭和35年)に量産先行試作車4両編成x2本ずつ製造された。1962年(昭和37年)には鉄道友の会から第2回ローレル賞を受賞。その後は増備が続き1966年(昭和41年)までに401系4両編成x25本計100両と421系4両編成x23本計92両が製造された。各形式とも対応する交流商用周波数が60Hzである点が401系と異なる。1964年に川崎車輌で151系電車の九州乗り入れ対応用電源車として3両が製造され南福岡電車区に配置された。東海道新幹線の開業に伴うダイヤ改正で、東海道本線特急として運用されていた151系電車は山陽本線を主体にした新幹線連絡特急に転用されることになり、その一部が「つばめ・はと」の愛称で新大阪 - 博多間を運転する列車として設定された。運転区間のうち門司駅構内デッドセクションを介在し、九州島内は交流電化区間であったため直流電車であった151系電車は下関 - 門司間はEF30形、門司 - 博多間はED73形で牽引による対応とされた。しかし、サービス用電源が確保できないという問題が発生したためにサシ151形に交流区間用電源装置搭載案・電源装置搭載交直流電気機関車新造案などと比較検討されたが、当初から151系の投入が暫定的かつ短期間とされたことからモハ420形をベースに必要な機器類を搭載したサヤ420形製造案が採用された。そのため当初から421系として製造され以下の特徴を持つ。翌1965年10月1日に交直両用の481系に置換えられたことからサヤ420は不要となり、1966年に小倉工場でモハ420-21 - 23へ改造。別途日立製作所で製造されたモハ421-21 - 23・クハ421-61 - 66と4両編成3本に組成された。量産先行車は401系が1978年(昭和53年)に、421系が1979年(昭和54年)に、製造から20年を経ず廃車となった。量産低運転台車もJRに承継されず、1987年(昭和62年)までにすべて廃車された。高運転台車は一部を除き401系はJR東日本に、421系はJR九州に承継されたが、401系は1991年(平成3年)までに、421系は811系・813系の増備により1996年(平成8年)までに全車廃車となった。401系・421系に搭載していた定格出力100kWのMT46系主電動機を120kWに出力向上したMT54系に変更した系列で、主変圧器などの違いから交流50Hz対応の常磐線ならびに水戸線電化準備用で勝田区配置車は403系、交流60Hz対応の鹿児島本線熊本電化延長用で南福岡区配置車は423系とされた。このため電動車ユニットは403系がモハ403・402形、423系がモハ423・422形となったが、制御車は前述のクハ401・421形が継続新製された。車体および車内設備は401系・421系と同じであるが、主電動機の出力増大により、主制御器・主抵抗器の容量を増大しており、主変圧器と主平滑リアクトルの一体構造化により、モハ402・422の機器配置の変更が行われている。また、屋根上のパンタグラフ周りの機器配置は455・475系と共通化されている。401・403系と同じく4両編成で組成されており、403系が4両編成20本計80両、423系が4両編成30本計120両が1965年から1968年まで製造された。なお最終増備車である403系第20編成・423系第29・30編成は、以下の改良が実施された。事故廃車となったモハ402-1・クハ401-52・クハ421-43の3両を除いた全車両がJR東日本・JR九州に承継された。冷房改造未施工車の一部は1990年 - 1992年に415系1500番台へ置換えられ廃車。1997年にはE501系2次車投入により13両が廃車。その後はE501系の増備が中止されたため廃車は見送られたが、2005年7月からE531系投入置換えにより再び廃車が開始され2007年3月18日のダイヤ改正で運用離脱。2008年までに全車廃車となった。1996年から廃車が開始され2001年までにすべて廃車された。1971年(昭和46年)から製造が開始された。主変圧器が商用周波数50/60Hz両用となったTM14形を搭載する三電源対応形で交流50Hz用401・403系交流60Hz用421・423系を統一したグループである。0・500・700・800・1500番台の番台区分がある。以下の形式が製造された。このうち800番台は他系列からの改造竣工(後述)、クハ415形はJR化後に改造もしくは設計されたための区分、サハ411形は常磐線の基本編成一部を7両編成化するために製造された形式である。また中間のMMユニットが415・414形、クハ411形が300番台で製造開始された理由は401・403系を411系へ、421・423系を413系へ形式変更、クハ401形をクハ411形0番台(1 - 90)へ、クハ421形を100番台(101 - 206)へ改番する計画が存在したためである。MM'ユニットが0番台、クハ411形が300番台に番台区分される。なおクハ411形は全車に電動空気圧縮機(CP)とトイレを装備しており、制御回路の引き通し線を両渡りとし、その栓受を車両の両側に設けた両栓としており、先頭車の奇数または偶数向きの両方を可能としている。また、モハ415に搭載されている電動発電機(MG)は同じく出力は20kVAだが出力電圧を単相交流100Vから3相交流440Vに変更されている。MM'ユニット19組38両とクハ411形39両の77両が製造された。本グループ中1971年に東急車輛で製造されたモハ415・414-1 - 3/クハ411-301 - 306の12両は、403系最終増備車に順じた車体と非冷房で落成したが、1977年までに冷房化改造が施工された。1974年以降の車両は当時製造されていた直流用113系・115系と同様に所謂「0'(ゼロダッシュ)番台」と呼ばれる以下のモデルチェンジを実施した車両である。ただし、1975年製造のクハ411-335は脱線転覆事故で大破し廃車となったクハ421-43の代替として新製されたため冷房装置未搭載で本系列で唯一の冷房準備車で落成した。このため以降の奇数・偶数の車両番号の進番が逆転した。2000年に南福岡所属F5編成へミレニアム記念として、翌2001年には常磐線勝田電化40周年記念でK510編成へ旧塗装復元(リバイバル)が施工された。勝田車両センターの一部編成ならびに南福岡車両区・小倉総合車両センター門司港車両派出配置車はクハ411形トイレ対向部を除きロングシートにする改造が施工された。JR東日本在籍車はE531系への置換えで全廃。またJR九州在籍車はセミクロスシート車が大分・鹿児島などに疎開留置を実施。2010年にFo-2・Fo-3編成が留置先の鹿児島総合車両所から小倉工場(現・小倉総合車両センター)へ廃車回送されたのを皮切にその後はロングシート化改造編成も含めて順次同様の措置が採られ、2014年8月27日に最後まで残存していたFj-7編成の廃車回送が行われ、同年11月までに廃車されて、本番台区分は事実上消滅した。1978年より製造されたMMユニット28組56両・クハ411形52両・サハ411形4両計112両のグループで、4人掛クロスシートが狭く評判も悪かったため417系からの設計思想を継承し、座席幅930→1,040mm、間隔(シートピッチ)1,420→1,490mmとする従来の急行形車両並に拡大を行った所謂「シートピッチ改善車」である。このため客室扉間間隔の寸法と窓配置を変更したための番台区分である。車体構造は同時期に製造されていた113系2000番台と基本的に同一である。制御車は奇数向きは100番台に、偶数向きは200番台に区分され、200番台には電動空気圧縮機(CP)と冷房・制御・補助電源の3つを兼ねる160kVAのMGを搭載している。車内においては、客室荷物棚棒・腰掛ヶ込板のステンレス化などによる無塗装化を行い、車体中央部の通風器の取付位置を冷房装置から離れた位置に変更された。床下に搭載されている電磁弁などのブレーキ装置を集約してユニット化され、トイレはFRPユニット化とし、明かり窓の形状を特急車両と同型としている。1984年には最終増備車としてモハ415・414-127・128とサハ411-1 - 4の8両が日立製作所で新造された。これらの増備車は、常磐線の一部編成を7両化することで、将来の15両編成化を考慮しており、当初より常磐線新塗装で落成したほか、屋上の押込式通風器・冷房装置キセ・室内化粧板が後述する500番台と同一となり、押込式通風器はFRP製となった。車内の室内色はクリーム色となりクロスシートの腰掛モケット色は713系電車と同様のロームブラウンを基調としたものに変更された。2016年4月1日現在、JR東日本車は全廃されたが、JR九州車は4両編成x19本計76両全車が車籍を有し、全車両が大分車両センターに集約されている。老朽化した401系の初期車の取替えと常磐線の混雑緩和を目的として1982年より製造された4両編成x24本計96両のロングシート車グループである。クハ411形偶数向き車にトイレを設置しており、その対向側はクロスシートが設置されたため600番台が区分がされた。外観は運転室・窓配置・客室扉などの割付きは100番台から踏襲されたが、ロングシート化により定員は20%増加している。車体の経年劣化対策として屋根上の屋根材が絶縁屋根布からポリウレタン系樹脂系塗屋根材に変更され、腐食防止の観点から外板腰下部の約400mmにステンレスを使用したほか、客室扉部の連続溶接化などが実施されており、屋上通風器は箱型に変更されFRP製となった。また内装は当時増備されていた201系と同じくクリーム色を基調とし、腰掛モケットはロームブラウンを基調としており、落ち着いたイメージとしている。座席端部には袖仕切りを設置した。ロングシートは105系新造車グループとほぼ同等の座面高400mm・奥行600mmとされた。また当初は禁煙区間が上野 - 土浦間のみとされたことから、各車両の出入台戸袋窓下と妻部に灰皿が設置された。台車は従来車と同じだが、ロングシート化による定員増により荷重が増加したため、枕ばねと軸ばねのばね定数を変更している。搭載されている電気機器とその配置は100番台を踏襲しているが、床下のブレーキユニットの箱を廃止して重量軽減を図っているほか、電動車の重量バランスを取るため、モハ414にあった蓄電池とその付属設備をモハ415に移設している。これは、モハ414の定員乗車時での車両重量が52tを超えてしまうための措置であり、100番台と比べて1tの軽量化が 図られている。腐食防止の観点から車体裾部にステンレスを使用したほか、設計変更が数度実施された。またドアエンジン部分にも製造時期による相違があるほか、JR東日本車はシートをバケット化し座面が高くなった車両も存在する。当初は全車が勝田電車区に配置されたが、国鉄時代の1986年3月に513・613 - 517・617の5編成が421系初期車置換えのため南福岡電車区へ転出した。その後はJR九州に継承されたが、2007年2月に513・613と517・617の2編成が、同年3月に514・614 - 516・616の3編成が457・475系を置換えるため鹿児島総合車両所(現・鹿児島車両センター)に転出した。勝田残存のJR東日本車は2007年に運用離脱したが、507・607(K607編成)520・620(K620編成)の2編成8両は、後述の1500番台1編成とともに2008年12月24日付で廃車にされJR九州へ譲渡された。旧K607編成は小倉工場で、旧K620編成は鹿児島総合車両所で整備を実施し、以下の形態で車籍復活した。南福岡電車区に配置され同月中に営業運転へ投入された。その後は2012年に南福岡車両区への817系3000番台新製配置に伴い0・300番台置換えを目的に大分車両センターへ転出した。2016年3月には520・620編成が鹿児島車両センターに転属している。2016年4月1日現在、鹿児島車両センターに6編成12両が、大分車両センターに1編成4両が配置されている。なお、鹿児島車両センター所属車は全て交直切替スイッチを交流側に固定しているため直流区間の走行は不可である。1985年に開催されたつくば科学万博開催に向けた常磐線中電の輸送力増強から、他番台で組成される4両編成の一部を7両化して15両編成化するとともに、老朽化した401系の置換え用として、1984年から1985年にかけて日立製作所・日本車輌・東急車輛で製造されたMM'ユニット23組46両と付随車16両計62両のグループ。100番台最終増備車から一部設計変更がされたため新たな番台区分とされた。塗装は新製時よりクリーム10号に青20号帯。車内は車端部分をロングシートとしたセミクロスシート車で、床面高さを1985年製の500番台と同様の1200mmとしており、天井は201系と同様の平天井に変更された。室内色は100番台最終増備車や500番台同様の白とクリームを基調としたほか、主整流器は走行風を利用した自然冷却式のRS49に変更された。搭載されている電気機器とその配置は100番台を踏襲しているが、500番台とは違い、蓄電池とその付属設備をモハ414に搭載している。また、サハ411には電動発電機(MG)と電動空気圧縮機(CP)を搭載している。すべて中間車で製造されたが、サハ411形1両がクハ411形へ改造された。2007年3月18日のダイヤ改正で定期営業運転を終了し運用離脱。2008年7月までに全車廃車。廃番台区分のほかサハ411形は廃形式となった。1991年に七尾線が大阪・名古屋からの特急電車の直通運転によるスピードアップと普通列車の電車化・フリークエンシー向上のため、電化されることが決定されたが、七尾線は地方交通路線であり、沿線の駅跨線橋や跨線道路橋などは低空頭(車両の屋根と橋の間のスペースが狭い)が多いため、工事費の削減と建築限界が小さくできる、直流電化に決定された。そのため、既に交流電化されていた北陸本線(現・IRいしかわ鉄道線)金沢 - 津幡間へ直通運転を行うことから普通列車用交直流電車が必要となった。これに対しJR西日本ではコスト削減の観点から、特急「北近畿」充当用福知山運転所(現・福知山電車区)配置の485系が直流区間のみの運用であったことから交流機器を撤去し183系化する一方で、捻出された交流機器を415系と車体がほぼ同一の113系に搭載し、七尾線運用への充当を計画。その結果、本系列への編入改造を施工したのが本区分番台である。1990年から1991年にかけて福知山運転所ならびに向日町運転所へ配置されていた800番台12両、網干電車区ならびに日根野電車区へ配置されていた0番台21両計33両の113系に吹田・鷹取・松任の各工場で以下の改造工事を施工した。また長期使用に伴い以下の工事も施工された。改造後から引き続き金沢総合車両所に配置されており2016年現在も七尾線およびIR線で運用されているが、2015年に入ると一部の編成(C01 , C04)が413系に置き換えられる形で運用を離脱し、C01編成は2016年3月31日付で廃車された。なお2016年4月時点で、C02編成のモハ414-802が1964年製で、113系・115系を含めて現役最古参である。また、一部の編成には地域にちなんだラッピングが施される場合もある。国鉄分割民営化直前の1986年から製造されたモデルチェンジ車で、車体は軽量ステンレス製車体・台車はボルスタレス台車(DT50C形・TR235C形)・枕ばねはダイヤフラム式の空気ばねにそれぞれ変更され、運転台構造の変更など211系からフィードバックされた機構を採用する。また、曲線通過時の走行性向上のため、車輪の形状を円弧踏面形状としている。機器類は、鋼製車と混結しての運転が考慮されたことから500・700番台に準するが、ステンレス構体を考慮してモハ414の主変圧器の取付け位置を後位寄りに変更している。補助電源装置(MG)はブラシレス化され出力は190kVAとしており、交流区間での脈流対策に補助平滑リアクトルを追設している。電動空気圧縮機(CP)は電動機を三相誘導電動機に変更して、三相交流による駆動化がなされており、鋼製車ではクハ411形に容量1000ℓのC1000形1基搭載からトイレ付の1600番台のみへ容量が大きいC2000形1基搭載となった。また軽量化により向上した加減速力は、主電動機の限流値を低く設定することで統一させている。座席はトイレ対向部を除いてロングシートとしたほか、モハ414形前位側(パンタグラフ搭載側)は、機器室があるため1人分少ない4人掛け仕様となっており、側窓や側面行先表示器位置などに若干の相違点がある。また国鉄時代に製造されたグループは車内放送用スピーカーが鋼製車と同様の箱型を各車に2基設置する。また、車内の客室スペースをできるだけ広く取るため、運転室のレール方向の寸法を1600mmとし、運転室後方の背面窓の寸法を大きくして、客室からの見通しを改善している。このため番台区分は、ロングシート鋼製車500・600番台のモデルチェンジという観点から1500・1600番台とされた。国鉄時代には4両編成x21本とサハ411形1両の計85両が製造された。当初は全車勝田電車区に新製配置予定であったが、南福岡電車区にも4両編成x13本(F1509 - 1521編成)が配置された。分割民営化時には、鋼製車同様にJR東日本とJR九州に継承。さらにJR東日本では1991年までに4両編成x13本を増備した。総製造両数は、モハ415形+414形ユニット35組70両・クハ411形1500番台34両・同1600番台34両・サハ411形2両・クハ415形1両の計141両。2016年4月1日現在では勝田車両センター・南福岡車両区に配置されるが、サハ411形とクハ415形は既に廃車されており、車籍を有する車両はすべて以下の編成を組成する。なお、JR東日本所属車とJR九州所属車には以下の差異がある。またJR東日本では鋼製車と共通で常磐線・水戸線で運用されていたが、2007年3月18日ダイヤ改正での普通鋼製車をE531系への置換え実施。また上野口中距離電車を最高速度130km/hで運転するダイヤ構成に移行ならびにグリーン車を連結したE531系に統一したため常磐線での運用区間は友部 - 原ノ町間に短縮された。JR九州では2016年3月に、小倉総合車両センター配置であった車両も南福岡電車区へ集約され、2016年4月1日現在、同区に14編成56両が配置されている。1991年に近畿車輛で製造された付随車で補助電源装置(MG)と電動空気圧縮機(CP)を搭載。1701とは座席配置が異なるための番台区分で定員は156(座席64)名。後述する2階建普通車のクハ415-1901と同じK880編成に組成された。2005年6月の編成変更で500番台・700番台混結のK810編成に組み込まれたが、2007年の常磐線運用区間短縮で運用離脱。2008年5月12日付で廃車された。1986年に勝田所属車の編成見直しによる7両編成から4両編成2本への組替を実施する際に7両で残存する編成から中間封じ込み先頭車を充当転用で対処する措置が採られた。このため代替車が必要になり日本車輌製造で1両のみ製造されたMG・CPを搭載する付随車である。上述のサハ411-1601とは座席配置が異なるほか、外観の差異はサボ受の有無程度のみである。当初は403系冷房改造車+415系700番台の混結、1988年以降は415系1500番台+700番台混結のK820編成に組み込まれたが、2005年7月18日に実施した組換で0番台+700番台混結のK918編成(元・K505編成)に組み込まれた。同編成は2007年の常磐線運用区間短縮で運用を離脱。同年11月11日に留置されていた高萩から鹿島臨海鉄道鹿島臨港線神栖駅へ回送され、翌12日付で廃車された。常磐線での着席機会向上のため1991年に日本車輌製造で1両のみが試験的に製造された2階建て普通制御車である。座席は客用扉付近がロングシートとしたほかは、1階および車体後部が2+2配列、2階は2+3配列クロスシートとしており、定員は156(座席116)名。冷房装置はAU714形集約分散式を2基搭載。台車もTR235H形と本形式独自のものを装着する。他の1500番台車とは異なり室内側を化粧板仕上げとした客用扉が片側2か所のみでラッシュ時の乗降に時間を要する欠点から、基本的に停車駅の少ない通勤快速に限定して運用された。このため増備は行われなかったが、運用成果は215系の設計に反映された。2005年7月9日のダイヤ改正で定期運用から離脱。勝田車両センター内で留置後、2006年3月10日に郡山総合車両センターへ回送され、翌11日付で廃車。同年6月12日から14日にかけて解体された。本項目では、形式ならびに車両番号の変更を伴う改造および冷房化など大規模な工事について解説を行う。113系を種車にした415系800番台を除き以下の3両が存在する。常磐線の基本編成組成変更により不足する先頭車を補充するため1986年11月に大宮工場(現・大宮総合車両センター)でクハ115-612へ施工した本系列化改造である。車番は当初901を付番されたが、1987年1月に101へ改番された。同車は元々サハ115-2として製造され1984年にクハ115形1000番台とほぼ同一構造の運転台を接合する制御車化改造が施工されていたが、本系列化改造時には床下へCPを搭載したほか主幹制御器(マスコン)の取替え、交直切替スイッチの取付けが行われたが、種車が115系であることから以下の特徴がある。しかし冷房改造が未施工だったことから、401系・403系非冷房車などとともに415系1500番台に置換えられ、改造から5年後の1991年に廃車された。後述する1979年に発生した踏切事故でユニットの相手方を喪失したものの比較的損傷の少なかったモハ403-1が種車である。同車はしばらくの間は保留車とされたが、1980年4月にモハ400-7とユニットを組成させることになり、主電動機の交換などを郡山工場で施工しモハ401形続番に編入。この際に403系時代から編成を組成していたクハ401-51、モハ400-7と編成を組成してたクハ401-14と新たな4両編成を組成したが、クハ401-51を除いた3両は冷房化改造も未施工のまま1987年2月5日付で廃車された。1989年に一部の7両編成を4両編成x2本へ組成変更を実施する際に先頭車が不足することから郡山工場(現・郡山総合車両センター)でサハ411形に運転台を接合する制御車化改造である。K522編成の奇数向き(下り方)先頭車に組成されたことから、種車に搭載されていた冷房電源用MGは撤去されたが車体には冷却風取入ルーバーが残存する。2008年7月14日付で廃車。1974年以降の新製車は、非冷房車と編成を組成するため準備工事で落成したクハ411-335を除き全車冷房装置を搭載して落成した。そのため同等のサービスレベル確保の観点から、1971年製の415系1次車は1977年に、403系・421系・423系は1979年から冷房改造工事が施工された。ただし、403系は冷房化改造が施工されないまま廃車となった車両が存在するほか、401系電動車ユニットおよび同時に製造されたクハ401形のいずれも冷房改造の対象から外れ本工事は未施工で非冷房のまま廃車された。本項目では、会社別で解説を行う。分割民営化直前に改造施工された423系の一部を除きAU75形集中式冷房装置を搭載し冷房化改造が施工されたが、工事内容を以下に示す。また、施工内容に4系列ならびに改造時期などで以下に示す差異がある。また勝田配置車の一部は1985年に7両編成を組成することになった。この際に401・403・415系の混成ならびに冷房車と非冷房車の混結する編成が組成されることになったため以下の非冷房クハ401形に冷房電源用160VA MGの搭載ならびに運転席後位に配電盤を設置する工事が施工された。この6両はJR東日本承継後の1989年 - 1990年に車両更新と同時に冷房化改造が施工された。分割民営化も1988年施工の403系第7編成までは、国鉄時代同様のAU75形集中式冷房装置を搭載する改造工事が施工されたが、1989年の 403系第9編成(K552編成)以降の工事では工期短縮と経費削減の観点からAU712形集約分散式冷房装置搭載に変更された。ただし、冷房電源は偶数向き車に搭載された、冷房・制御回路電源用の出力160kVAの補助電源装置(MG)から給電される。また、モハ402形に限り車体構造上の都合からのAU75形を搭載する。従来の集中冷房装置での改造工事では、構体や屋根の補強が必要となり、工数やコストのかかる問題点があった、そのため国鉄末期には、423系を対象に安価で簡易な改造を実施しており、AU1X形分散式冷房装置4基搭載へ変更したほか、分割民営化後は、さらに安価で簡易な改造として、車端部座席2ボックス分のスペースにAU2X形床置式冷房装置を搭載する方式も採用されたなお本改造での冷房用電源は、主回路の主変圧器2次巻線で降圧された交流1500Vを、引き通し線を介して各車に搭載された補助変圧器で220Vで降圧してから供給する方式になったため、新たに冷房用の補助電源装置を取付ける必要が無くなったが、主変圧器からの交流電源により給電されるため、直流区間では冷房が使用不可である。このため末期には直流区間乗り入れ運用が下関までに限られる大分電車区に集中配置された。本工事により1987年中に421・423系とも冷房化を完了した。国鉄時代にも別工法で前面強化工事施工車は存在したが、JR東日本では成田線大菅踏切事故後に乗務員保護の観点から前面強化工事未施工車を対象にステンレス板(一部鉄板で施工した例もあり)による前面追加工事を積極的に推進した結果、本系列でも例外なくほぼすべてに施工された。国鉄型電車では前照灯光源として長く白熱電球を標準採用してきた。しかし、フィラメントが後方に放つ光を反射し前方への投光量を増やすための反射板が必須で、灯具が大型かつ低照度で電球交換後は焦点調整を行わねばならないという欠点があった。このため、電球自体に反射板組み込み構造で、コンパクトかつ高照度で焦点調整不用のシールドビームが普及するにつれ、既存の白熱電球の保守性や保安性が問題となった。そこで保安性および保守性の向上を目的にシールドビーム化改造が1970年代以降順次施工された。JR九州が長期使用を前提にした更新では以下の工事を施工した。ただし、3両以下への短縮やワンマン運転に対応した改造は未施工である。このほか、更新工事の有無に関係なく、車内スピーカーの更新・増設改造を行った編成も存在する。老朽化・余剰による廃車を除いた本系列の事故廃車は以下の3両が該当する。1974年5月4日15時23分頃、鹿児島本線古賀 - 筑前新宮(現・福工大前)間(当時の無番額踏切で大型トラックがエンストして立ち往生。そこに本系列8両編成で運転されていた南福岡発門司港行特別快速電車が衝突。先頭車のクハ421-43が脱線大破した。復旧の際に車体を盛り土から転がして除去したこと、車体がくの字型に曲がっていたことから同年6月8日付で廃車。代替としてクハ411-335が製造された。1979年3月29日15時9分頃、常磐線土浦 - 神立間の鹿島街道踏切で警報機を無視して進入したダンプカーと本系列12両編成で運転されていた平(現・いわき)発上野行普通電車482Mが衝突。先頭車のクハ401-52が約70m走行した地点で脱線し左下に転落し大破。2両目に組成されていたモハ403-1が約130m走行した地点で脱線した。この事故でモハ403-1は同年4月14日付で、クハ401-52は同月19日付で廃車された。2016年現在で車籍を有する車両は415系のグループのみで以下の形態で運用される。分割民営化時には、常磐線原ノ町以南ならびに水戸線で運用されたが、2007年3月17日のダイヤ改正で上野口中距離電車運用を全面的にE531系電車への置換えを実施。これに伴い普通鋼製車は定期運用を離脱し、同年3月24日には水戸 - いわき間で普通鋼製車さよなら運転が実施され、2009年までに全車廃車となった。その後は残存した1500番台が常磐線友部 - 原ノ町(震災後は常磐線の不通により最長で竜田まで)間と水戸線で運用され、2016年3月26日のダイヤ改正により、E531系に置き換えられる形で運用を離脱している。同社唯一の交直両用近郊形電車とし関門トンネルを通過するすべての普通列車のほか、鹿児島本線や日豊本線を主に佐世保線・長崎本線への運用に充当される。0・100番台車は大分鉄道事業部大分車両センター所属車を除きすべてロングシートに改造済のほか、後述する更新工事も施工された。2009年にはJR東日本から運用短縮で余剰廃車となった4両編成x3本計12両が譲渡されたが、2012年より817系3000番台が運用開始したことに伴い南福岡配置車を中心に普通鋼製車から順次置換えが開始された。金沢総合車両所所属の800番台が引き続き七尾線およびIRいしかわ鉄道線の金沢~津幡~七尾間で運用される。2015年に一部が413系により置き換えられたが、2016年現在本格的な置き換えは計画されていない。国鉄時代を中心として運用の都合から以下の急行列車(いわゆる遜色急行)へ投入された。側面行先表示器はJR東日本発足後に製造された1500番台の一部とクハ415-1901を除き準備工事で落成したが、JR東日本所属車は1991年までに、JR九州所属車は2000年までに当時在籍していた全車に搭載された。一方前面行先表示器はJR東日本所属車では常磐線独自の理由で白幕とされたが、JR西日本・JR九州所属車では行先表示を実施する。
出典:wikipedia
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