『題名のない音楽会』(だいめいのないおんがくかい、英字表記:"Untitled Concert")は、1964年8月から放送されている音楽番組。1966年3月まで東京12チャンネル(現:テレビ東京)が制作し、同年4月より現在までNETテレビ→テレビ朝日が制作している。なお、1968年10月から1969年6月までは放送を休止した。クラシック音楽を中心にさまざまな分野の音楽を取り上げ、そのテーマとなる音楽の楽しみ方を解説することが番組の中心となる。東京交響楽団やシエナ・ウインド・オーケストラなどをはじめとするオーケストラや吹奏楽編成による演奏が行われるのが特徴。主に公開録画で収録され、応募により観覧が可能。ただし、単独楽器と、その演奏のみ取り上げたり、スタジオでの非公開録画のときもある。スポンサーは前身の『ゴールデン・ポップス・コンサート』時代から一貫して、石油会社「出光興産」による一社提供。また、出光興産は当番組放送開始25周年となった1990年に若手音楽家の育成を主眼とした出光音楽賞(いでみつおんがくしょう)を制定している。英語タイトルの"Untitled Concert"(アンタイトルド・コンサート)は、かつては番組のタイトルとして直接出てくることはなかったが、「題名のない音楽会21」では舞台の装飾などでその文字が認められることがあった。その後、2008年4月に変更されたタイトルロゴにはサブタイトルとして挿入されている(→歴史を参照)。クラシック番組としては世界最長寿である(後述)。また、現在のテレビ朝日全体でも最長寿番組であるほか、同社で最初にステレオ放送を実施した番組でもある(1978年12月24日-)。1964年8月1日、当時TBSとの専属契約を打ち切られて苦境に陥っていた東京交響楽団の活動の場を与える意味で、土曜 20:30 - 21:00に東京12チャンネルの製作で『ゴールデン・ポップス・コンサート・題名のない音楽会』として始まった。当初の司会は作曲家の黛敏郎で、日ごろ余り聞きなれないクラシック音楽を家族で楽しんでもらえるようにとの趣旨でスタートした。なお『題名のない音楽会』というネーミングは、黛が考案した『題名のないコンサート』という題名を放送作家が改題したもので、これに東京12チャンネルの編成課長・ばばこういちが「どうしても題名に『ゴールデン』という文字を入れて欲しい」と要求し上記の題名に落ち着いた。番組開始に先立ち、スポンサードを行うかどうかの判断材料にするために出光興産の社内でパイロット版を放送し社員にアンケートを取ったが、賛成はわずか17%ほどに過ぎなかったという。その後、東京12チャンネルの経営難による放送時間短縮(1966年4月より。詳しくは日本科学技術振興財団#テレビ放送事業を参照)の影響で放送継続が困難になり、スタッフは「司会者・楽団・スタッフはそのままで番組を継続できること」を条件に他局への番組の移籍を検討する。元々、出光興産は「会社がつぶれるまで提供を継続する」方針であり、「優良スポンサーつきの番組であり、ぜひ放送したい」と他の在京キー局が一斉に手を挙げたが、最終的にNETテレビ(現・テレビ朝日)が当時専属の交響楽団を持たなかった事が決め手となり、1966年4月1日に放送がNETに移り『題名のない音楽会』として再スタートした。なおNETテレビで放送された最初の2本分の番組は、東京12チャンネルが制作したものである。これが日本の放送番組で最初の事例であるかは不明だが、一放送番組が他の放送局に移籍する例は当時としては異例のことであった。その後、当番組は1968年9月29日で一旦終了し、1968年10月6日から1969年6月29日までは同枠で『黛敏郎の間奏曲』が放送された。1969年7月6日から再び放送を開始し、以降は週末のNETテレビ⇒テレビ朝日で特番や緊急時を除き、間断なく放送を続けている。黛の司会担当時は主に現代音楽を取り扱い、ポップスや軽音楽が披露されるのは稀だった。また後述の様に様々な企画が実施された一方で、黛の政治思想が色濃く反映され、お蔵入りになるケースもあった。1997年4月10日に、約33年に渡って司会を担当した黛が急逝(同月放送分までは生前に収録されたストック分を放送)。死後は永六輔が代理司会を務めた後、同年10月5日からタイトルを『新・題名のない音楽会』に変え武田鉄矢に交代。この時期から31年ぶりにアシスタントも復活し、テレビ朝日の女性アナウンサーが務めている。黛の司会担当時は現代音楽を精力的に紹介したが、彼の死去後はポップス中心に移行し軽音楽を扱う機会も増えている。2000年4月2日からは『題名のない音楽会21』に変わり、羽田健太郎が7年余司会を務めオープニング・エンディングテーマも担当した。しかし2007年6月2日に羽田が死去し、2008年3月30日まではアシスタントの久保田直子アナウンサーと週替わりのゲスト司会という体制を採った。2008年4月6日からは『題名のない音楽会』にタイトルを戻し、指揮者で出光音楽賞受賞者の佐渡裕が司会を務める。このリニューアルに伴いロゴも変更され、1980年代から使われ続けてきた手書き調のものから、「題名のない音楽会 Untitled Concert」と書かれた紙が、新たな番組コンセプトである「ページを1枚めくる」を表現した、向かって右下の部分が折れてめくれている図案に変更されている。なお、「ページを1枚めくる」とは譜面をめくる動作に準え、番組を見た視聴者が音楽への好奇心を深めていくことを意味している。2008年10月からは司会の挨拶のあと、「みなさんと一緒に、新しいページをめくりましょう!」と掛け声をかけてから番組が開始されている。佐渡が担当した当時は、指揮者になってみたい一般の人を募集しオーケストラの指揮をしてもらう「振ってみまSHOW!」、青島広志(アドバイザーとして番組制作にも携わっていた)が往年のクラシックの作曲家に仮装するシリーズ、高嶋ちさ子による「クレーマー・ちさ子教授シリーズ」、宮川彬良による「アキラさんの大発見シリーズ」などのコミカルな企画が定期的に行われた。元々コンサートホールでの収録が多い番組ではあるが、佐渡のスケジュールに合わせスタジオ収録や海外ロケも行われるようになった。佐渡時代の番組スタイルについては、佐渡自身が「レナード・バーンスタインがニューヨーク・フィルハーモニックを指揮していた『ヤング・ピープルズ・コンサート』を下敷きとしている」と語っている。2009年に放送開始45周年を迎えるのを機に、2月に「世界一長寿のクラシック音楽番組」としてギネス世界記録に記録認定を申請、その結果前述の通り『黛敏郎の間奏曲』による中断期間があったことから、1969年7月以降の放送が対象となり、5月28日に「1969年7月以来継続放送されているクラシック音楽番組」として、世界記録の認定を受けた。2010年12月6日、第17回日本プロ音楽録音賞「放送メディア」放送作品部門にて、2010年5月16日に放送された「坂本龍一〜箏の魅力」(坂本龍一作曲の箏とオーケストラのための協奏曲を沢井一恵が演奏)が最優秀賞を受賞した。2011年3月13日は東日本大震災のANN報道特別番組のため休止。また、4月24日・5月1日の放送では「東日本大震災復興応援〜今、音楽にできること〜」と題して復興支援の音楽コンサートの模様を放送した(BS朝日では4月30日・5月7日に放送)(2013年9月8日・2015年2月1日も「報道ステーション SUNDAY」9時開始のため休止していた)。2015年10月4日放送分(第2431回)から、ヴァイオリニストの五嶋龍が司会を務める。佐渡が2015年9月からウィーン・トーンキュンストラー管弦楽団の音楽監督を務めることとなり、「年間4か月近くウィーン(オーストリア)に滞在する生活になります。引き続きヨーロッパを中心に客演指揮者としてオーケストラの指揮活動をしていくことを考えると、どうしても毎週番組を作っていくことが物理的に不可能になってしまいました」と2015年6月28日放送分の番組内で番組降板の経緯について説明している。五嶋で6代目の司会、最年少(27歳)での就任となる。初回収録は7月30日に行われた。リニューアルに伴いタイトルロゴも再変更された。アシスタントも松尾由美子に交代した。ほとんどの回でサブタイトルが「○○の音楽会」の形式に統一され、エンディングには音楽に関する「今日の格言」も紹介されている。※このほか、俳優・作家・歌手・政治家など著名人1人を招いての『わが青春の歌』シリーズ(藤山一郎・浜田幸一・金田一春彦ほか)などのシリーズものや当時の流行を取り入れた娯楽性の高い企画も多く放送されていた(例えば、1970年代後半には日本テレビの『ウィークエンダー』やNHK総合テレビの『ホントにホント?』のパロディ版を放送したこともある)。あくまでもクラシック音楽を基調とした内容ではあったが、黛の人脈の広さからおよそクラシック音楽とは関連性が薄いと思われる芸能人や大物著名人なども数多くゲスト出演していた。宮崎県では通常は放送されないが、テレビ宮崎(フジテレビ系、NNN・ANNにも加盟)が不定期で単発放送したことがある。11月第1日曜日に行われる「全日本大学駅伝」のとき、「全国高等学校野球選手権大会」の開会式が日曜日と重なったとき(放送時間が重なるため)、年末年始はいずれも放送を休止する。さらに夏季オリンピック、世界水泳、全米オープンゴルフがアメリカ西海岸で行われる場合などのスポーツ中継のため休止になる場合もある。この場合、時差放送となる系列外の局(同時放送の福井テレビも含む)とBS朝日では当該時間帯は過去の再放送ならびに別の番組に差し替える。逆に、福井テレビでは放送日が「FNS27時間テレビ」(7月下旬)、フジテレビ制作の東京マラソン中継日(2月下旬)、東海テレビ制作の名古屋ウィメンズマラソン中継日(3月上旬)に当たる場合はFNS系列の放送を優先する。他に、高校野球期間中は地域によって同一時間帯に第1試合の中継を行う場合があり、当該日の放送回は番組返上(代替なし・欠番)又は時差放送(朝日放送は前者。この場合でもBS朝日で視聴可能)となる。遅れネット局でもスポンサードネットで放送されているが、BS朝日を除き出光美術館のCMは放送されない(出光美術館のCMが放送されている放送局はテレビ朝日・BS朝日(東京)、九州朝日放送・山口朝日放送(門司)のみ)。開始当初は日曜 9:00 - 9:30だった(1967年10月6日から1968年3月29日の間は金曜日23:00 - 23:30に放送されていた)。1969年10月3日からは土曜 23:00 - 23:30で、1971年4月3日からは土曜23:30 - 24:00で、1972年4月1日から土曜22:30 - 23:00で放送されていた。しかし、腸捻転の解消に伴いABCテレビの制作枠が入ってくるため、1975年4月6日に日曜 10:00 - 10:30へ移動した。その後、日曜朝10時台の朝日放送制作枠へ変更の影響で1980年以降再び日曜 9:00 - 9:30に移動し、現在に至る。1966年から1999年まで1999年から2004年まで2004年から2010年まで2010年から現在提供画面表示はかつてはタイトル入りの静止画像に組み込まれ、後にVTR編集時に挿入されていたが、現在はテレビ朝日・BS朝日の個別による送出マスターのテロップ出しとなっている(書体自体はどちらも同じだが、ホワイトバック画面での表示のため「提供」が黒文字となっている)。
出典:wikipedia
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