田口 隆祐(たぐち りゅうすけ、1979年4月15日 - )は、日本のプロレスラー。新日本プロレス所属。宮城県岩沼市出身。宮城県仙台第一高等学校卒業。宮城県仙台第一高等学校サッカー部、東海大学レスリング部の出身。2002年3月に新日本プロレスのスカウト部長になる前の木村健悟にスカウトを受け、9月の入門テストに合格し、新日本プロレスに入団。同年11月22日後楽園ホール興行での対矢野通戦でプロレスデビュー。その後、前座戦線で活躍し、かなり早い段階で頭角を現す。また、ドロップキックの空中姿勢に定評があったことから、ドロップキック・マスターという異名を付与される。ジュニアヘビー級戦線で活動し、2003年にはBEST OF THE SUPER Jr.に初出場。2004年にはヤングライオン杯、ヤングライオン闘魂トーナメントを制覇する。2005年2月、メキシコ・CMLLへ海外遠征に出発、同団体で元全日本プロレスの奥村茂雄とツナミ・デル・オリエンテ("Tsunami del Oriente")を結成する。10月、緑のオーバーマスクをかぶり凱旋帰国した。長期メキシコ遠征帰国後から、勝利後にリング上で自身のテーマ曲である「MASTER OF DROPKICK」に乗りながら、「タグダンス」と呼ばれる踊りを披露するようになった。初公開となったのは、2006年1月28日後楽園ホールにて、ファンキー仕様の髪型を初披露した田口がタイガーマスクと組み、後藤洋央紀、稔組と戦った試合で田口が後藤からピンフォール勝ちを収めた試合後に、多少中途半端ながら披露された(その直後に小バカにした態度で稔に真似されていた)。2月19日、エル・サムライとのタッグで稔 & 後藤組の保持するIWGPジュニアタッグ王座に挑戦、この試合で勝利を収め同王座の第16代王者組に輝いた。2007年3月にサムライジムに入門し、7月6日、稔が保持するIWGPジュニアヘビー級王座に挑戦し、どどんで稔からピンフォール勝ちを収め第52代王者に君臨。同時に稔に奪われたサムライジムの看板を奪還することに成功した。2008年3月には、NEW JAPAN CUPに初出場。ZERO1-MAX(現:ZERO1)との対抗戦も経験した。2009年1月、プリンス・デヴィットとのタッグチーム「Apollo 55」を結成。4月5日、Resolution'09にて、モーターシティ・マシンガンズ(アレックス・シェリー & クリス・セイビン組)の保持するIWGPジュニアタッグ王座に初挑戦するも、デヴィットがピンフォール負けを喫ししたため王座奪取はならなかった。その後、ユニオーネ(ミラノコレクションA.T. & タイチ組)と抗争を繰り広げ、6月20日のDOMINION6.20にて、IWGPジュニアタッグ王座次期挑戦者決定戦を行う。試合は田口がタイチからピンフォール勝ちを収め、再び同王座への挑戦権を獲得する。7月5日、再びモーターシティ・マシンガンズと対戦し、デヴィットがシェリーからピンフォール勝ちを収め第24代王者組に輝いた。11月、G1 TAG LEAGUEでは、Apollo 55としてエントリーし、Bブロックを2位で通過。準決勝でCHAOSの中邑真輔、矢野通組を撃破し、決勝に進出した。決勝では惜しくもBAD INTENTIONS(ジャイアント・バーナード & カール・アンダーソン組)に敗れたものの準優勝という好成績を残した。2010年10月11日、ゴールデンラヴァーズ(飯伏幸太 & ケニー・オメガ組)とジュニアタッグを賭けて対戦。デヴィットが飯伏からピンフォールを奪われ、同王座から陥落。12月、東京スポーツ主催のプロレス大賞で同試合が年間最高試合賞を受賞した。2011年1月22日、CMLLのマスカラ・ドラダの持つCMLL世界ウェルター級王座に挑戦。これに勝利を収めて、同王座に戴冠。翌23日にはデヴィットとのIWGPジュニアタッグ王座に返り咲き、二冠王に輝いた。3月11日、東日本大震災が発生し、田口の生まれ故郷である宮城県岩沼市が被災、津波による二次災害に見舞われた。これに対して4月3日後楽園大会の試合後のインタビューで田口は「プロレスで元気づける。それが今自分のできる精一杯の事」とのコメントを残した。6月、BEST OF THE SUPER Jr.に出場し、決勝トーナメントに進出。準決勝でデヴィットとの同門対決を制し、決勝で飯伏と対峙するも敗北を喫し準優勝に終わった。18日のDOMINION6.18ではドラダに敗れ、CMLL世界ウェルター級王座を手放した。10月10日、DESTRUCTION'11では、デイビー・リチャーズ & ロッキー・ロメロ組に敗れ、長期に渡って保有していたIWGPジュニアタッグ王座の防衛に失敗した。2012年1月4日、レッスルキングダムVIの舞台で、同王座を賭けた試合で再奪取するも2月12日、THE NEW BEGINNINGで田口がリチャーズから3カウントを奪われ陥落した。6月、BEST OF THE SUPER Jr.に出場し、5勝3敗でトーナメントに進出。準決勝でDRAGON GATEのPACを打ち破り、決勝戦でロウ・キーと対戦する。試合中にロウ・キーが放ったバックブローで左目を負傷しながらも、最後はミラノ作・どどんスズスロウンでロウ・キーからピンフォール勝ちを収めて初優勝を遂げた。2013年4月7日、TIME SPLITTERS(KUSHIDA & アレックス・シェリー組)が保持するIWGPジュニアタッグ王座に挑戦するも、敗戦。この試合後にパートナーのデヴィットからラリアットを喰らい、仲間割れを起こしたことでApollo 55が解散する。後にデヴィットはバッドラック・ファレを自身のバウンサーに付け、BULLET CLUBを結成した。5月3日、レスリングどんたくでキャプテン・ニュージャパンと組んで、デヴィット & ファレ組と対戦するも、敗北を喫した。6月、BEST OF THE SUPER Jr.に出場。リーグ戦は1位で通過したものの、公式最終戦でタイガーマスクが放った雪崩式バックドロップを受けた際に、腰を強打。検査の結果、「第三腰椎神経根引き抜き損傷」の疑いと診断され、長期欠場となった。2014年1月5日、リングに上がり、復帰を発表。当面の標的をデヴィットに見据える事を宣言した。4月6日のINVASION ATTACKでデヴィットとシングルで対戦。この試合で田口は勝利を収めたが、この試合後にデヴィットが新日本退団を表明したことで田口はデヴィットの新日本での最後の対戦相手となった。9月21日、DESTRUCTIONでKUSHIDAを破って約7年ぶりにIWGPジュニアヘビー王座(2度目)に返り咲いた。この日の試合後のインタビュー以降「オーマイ&ガーファンクル」などと言った意味不明な言葉やIKKOの「どんだけ~」などかつて流行語大賞にもノミネートされた言葉や下ネタと取れる発言を連発していてオーマイ&ガーファンクルと書かれたTシャツも販売された。2015年1月4日、レッスルキングダムにて、BULLET CLUB入りしたかつての好敵手ケニー・オメガに敗れてIWGPジュニア王座陥落(防衛回数2回)。同月に「NJPW PRESENTS CMLL FANTASTICA MANIA2014」ではツタンカーメンのマスク、コスチューム姿で試合を行った。2016年1月4日、レッスルキングダムの第0試合1分時間差バトルロイヤルに出場後、同日のIWGPジュニア王座戦では挑戦者のKUSHIDAのセコンドとしてバック・トゥ・ザ・フューチャーのドクの姿で登場。KUSHIDAに1度負けた後再び王者に返り咲いたケニーのセコンドについていたヤング・バックスを蹴散らしてKUSHIDAの勝利に貢献した。師であるサムライと同じく日本のジュニアヘビー級の中では比較的長身のため、その身長や長い手足を利した攻撃が多い。また、独特の技名がつけられているのも特徴。また、技ではないがかつて馳浩も得意としていた両手を首の後ろで組んで腰をグラインドするパフォーマンスもある。2015年初旬頃より発動。中邑真輔の「タギリ」ポーズを田口流にアレンジし、対中邑戦などで使用する挑発行為。(試合前や入場時に、中邑の入場時同様手をクロスさせタギリながらリングに向かう。)各試合後のコメントにおいて、中邑を「本店」と呼ぶ。中邑の試合中や試合後の「イヤァオ!!」を田口流にアレンジした挑発行為。ロープ際で相手の技をロープを持ち、ブリッジでかわす時や、対戦相手を挑発する時に使用。「イヤァオ!!」を逆から言った言葉。道標 明(みちしるべ あきら)は田口隆祐の演ずる別キャラクター。カードゲーム「キングオブプロレスリング」のGM(ギタリマスター)。苦節20年のムード歌謡、または演歌歌手との設定である。緑のメガネと背広、七三分けの髪型が特徴。初登場は9月17日千葉・幕張メッセで行われた「東京ゲームショウ2015」。以後、動画共有サイトでGM就任会見動画がアップされたほか、キングオブプロレスリングのコマーシャル出演やイベントに出演。12月24日には「せいなる夜のみちしるべ」と題されたコンサートも催される。2016年7月27日には、「みちしるべ」でCDデビュー。
出典:wikipedia
LINEスタンプ制作に興味がある場合は、
下記よりスタンプファクトリーのホームページをご覧ください。