忠房親王(ただふさしんのう)は、鎌倉時代後期から南北朝時代の皇族・公卿。親王宣下を受けるまでは源 忠房と記される。順徳天皇の曾孫。正三位・源彦仁の子。臣籍時の官位は従二位・権中納言。初め二条兼基の猶子となる。正安3年12月(1302年1月)元服して正五位下に直叙され、左近衛少将に任ぜられる。乾元元年(1302年)6階昇進して従三位に叙せられ公卿に列す。嘉元3年(1305年)正三位、徳治元年12月(1307年)1月権中納言に至る。延慶2年(1309年)権中納言を辞任。正和5年(1316年)従二位。文保3年(1319年)後宇多上皇の猶子となり親王宣下を受けて、無品親王となる。臣籍に生まれながら親王宣下を受けるが、これが平成の時代の皇位継承問題において「臣籍に産まれた人物が皇籍についた先例」として旧皇族復帰を推す意見の勢力から重要視されている。“天皇の猶子”とは“皇子に準じた扱い”とする事だが、皇室について用いた始まりは『職原鈔』に忠房親王が後宇多院の猶子となす旨、記された事に始まるという。尤も言葉としては漢語であり『礼記』に見える。四辻宮尊雅王及びその子である四辻善成について、実は忠房親王の王子であるとの説も存在する。
出典:wikipedia
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