キアヌ・チャールズ・リーヴス("Keanu Charles Reeves," 1964年9月2日 - )は、レバノン出身のカナダ人の俳優・ミュージシャン。身長185cm、左利き。9歳のとき、演劇『くたばれ!ヤンキース』で舞台出演した。本人は少年時代を振り返り「僕はサニー・チバ(千葉真一)の映画とともに育ったようなものなんだ」と語っている。この頃の影響がアクション映画への思い入れとなっていく。1989年に主演を務めたコメディ映画『ビルとテッドの大冒険』がヒット。続編も制作され、キアヌは「テッド役の十代の俳優」として世間に認知されるようになる。1991年には親友のリヴァー・フェニックスと共に『マイ・プライベート・アイダホ』に出演した。1994年の映画『スピード』の大ヒットにより国際的スターとなった。続く『スピード2』にも出演オファーがあったが、『ディアボロス』と『死にたいほどの夜』に専念するために断った。その後もいくつかの映画に出演したがパッとせず、やや表舞台からは遠ざかっていたが、1999年の映画『マトリックス』が世界的に大ヒットし再ブレイク。3部作に主演し人気を不動のものとした。1991年に結成されたグランジ・ロックバンドの「ドッグスター」ではベースを担当。同バンドはアルバム2枚を発表したが、2002年10月の来日公演を最後に活動休止。その後、キアヌは「ベッキー」という別のバンドでもベースを弾いていたが、2006年には音楽活動を取りやめたことが報じられた。父はハワイ出身のアメリカ人地質学者で、イングランド、ハワイアン、ポルトガル、中国の血を引いている。母はイングランド人の元ダンサー、デザイナーである。キアヌという名前はハワイ語で「"山からの涼風"」もしくは「"絶えず神の意識に集中する者"」という意味を持ち、叔父のヘンリー・キアヌ・リーブスにちなんで付けられた。実妹のキムは、白血病のためハワイのコンドミニアムで医師による24時間体制の看護の下で療養生活を送っている。また、キムのほかに父親違いの妹カリーナ・ミラー(1986年トロント生まれ)と、腹違いの妹エマ・ローズ・リーブス(1980年ハワイ生まれ)がいる。幼少期は世界各地を転々としながら母親の再婚相手と共に生活するという不安定なものであった。実の父はキアヌが3歳の頃に妻と家族を捨てたため、現在に至るまでキアヌは彼と一切の縁を切っている。1966年の離婚後、母は衣装デザイナーの職に就き、最初はオーストラリア、続いてニューヨークシティへと移り住んだ。そこで母はハリウッドとブロードウェーの監督のポール・アーロンと出会い再婚する。しかし、家族で移り住んだ先のトロントで1971年に離婚。1976年に実業家のロバート・ミラーと再々婚するも、1980年に離婚。4番目の夫である美容師のジャック・ボンドとは1994年に結婚生活の終わりを迎えている。両親に代わって、祖父母とナニー(ベビーシッター兼ホームスクールの先生)が、キアヌとキムの面倒を見た。キアヌは主にトロントで育ったが、5年間に4つの高校に通っている。そのうちのひとつ、では退学処分を受けている。その理由について彼は「だって、僕はだらしなくて落ち着かない生徒だったからね。少々やんちゃで、嘘をつき過ぎた。端的に言って素行のいい生徒じゃなかった。恐らくみんなの足を引っ張る存在だったんだね」と語っている。キアヌはアイスホッケーにおいて優れた能力を発揮する一方、失読症により学業に苦労した。通った高校の内の一つでは、ゴールテンダーとして活躍。仲間は彼を「The Wall(壁)」と呼び、投票で最優秀選手に選出した。当時の彼にとっては、冬季オリンピックのアイスホッケーカナダ代表の選手になることが一番の夢であったが、怪我によりその道は断たれた。その後、俳優業と並行して通えるフリースクールに入るも中退。結局、高校教育を修了することはなかった。キアヌにはジェニファー・サイムという恋人がいたが、彼女が彼との間に子を妊娠したものの死産した。それから数週間ほどした頃に二人は別れるも、その後も親しい友人としての関係は続いていた。翌年、彼女自身もマリリン・マンソン宅のパーティーに参加した帰り自らの運転する車で起こした事故により他界した 。コカインを始めとする複数の薬物摂取下での運転であった。アメリカの一部メディアで、彼の性的指向について「ゲイ、バイセクシャル」、「ゲフィン・レコードの社長と同性結婚」などと報道されたことがある。しかし、この時期の前後に『マイ・プライベート・アイダホ』という同性愛を描いた映画に出演したことが、これらの記事にも影響を与えた可能性があるともいわれる。それらの報道に対しては、否定も肯定もせずノーコメントを通し、本人は「弁護士を立てるほどじゃない、笑って無視すればいい」と語っている。チベット仏教の転生ラマを主題とする映画『リトル・ブッダ』で、ゴータマ・シッダールタ役として出演している。彼自身、仏教徒である。既述のとおり千葉真一の熱狂的なファンで、「(千葉主演の)『激突! 殺人拳』からアクションと芝居を学んだ。僕は映画用のカンフーならできるけど、サニー千葉は実際に人をボコボコにできる。情熱を感じる」と受けた影響を語っており、主演映画『ジョン・ウィック』のプロモーションで来日した2015年10月に千葉と待望の対面を果たした際には、" "Oh my god!" " を連発。固い握手を交わながら「ハジメマシテ、マエストロ!(巨匠)」と千葉へ挨拶し、「あなたはキャラクターを演じるだけでなく、そこにアクションを盛り込んだ。屈強なキャラクターにもあなたが演じると心が感じられる」と身振り手振りを交えながら、終始嬉しそうに大はしゃぎの様子だった。オートバイ好きでレースに出場することも多く、ノートン製のバイク2台の他ハーレー・ダヴィッドソン、オフロード用のバイクなど複数台のバイクを所有しており、バイクに乗る姿が目撃されている。一方で転倒や事故も数回起こしており、特に『マトリックス』のクランクイン前に首や脊椎を痛める大事故を起こし、手術が必要なほどの重傷を負った。術後、首にギプスをしたまま映画のアクションシーンの訓練をしている姿が『マトリックス』の特典映像にも見られた。車は黒いポルシェを所有しているが、友人と出かける時に乗る程度で埃をかぶっていることが多いらしい。『マトリックスシリーズ』が完結したあと、「映画の成功は特殊効果チームのおかげ」と言い、映画に関わったクリエーター達全員にハーレー・ダヴィッドソンをプレゼントしたという逸話もある。2015年7月26日に開催された鈴鹿8時間耐久ロードレースのために来日し、決勝日前に自身がプロデュースしている『Arch Motorcycle』を繰ってサーキットを疾走した。レース当日にも前日同様に自らのマシンでサーキットを走った上、8耐レースのスターターとしてスターティングフラッグを振り、鈴鹿サーキット内でトークショーも開催した。帝国ホテルが大のお気に入りである。映画『JM』では「洗濯を頼みたい。帝国ホテルで頼むような洗濯だ。東京の……」というアドリブを入れた。ラーメンが大好きで、なかでも味噌ラーメンがお気に入り。来日した時には必ずラーメン屋に立ち寄り、ハシゴすることもしばしばで贔屓の店まである。
出典:wikipedia
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