迷信(めいしん、英語:superstition)とは、人々に信じられていることのうちで、合理的な根拠を欠いているもの。一般的には社会生活をいとなむのに実害があり、道徳に反するような知識や俗信などをこう呼ぶ。様々な俗信のうち、社会生活に実害を及ぼすものである。人々に信じられていることのうちで、合理的な根拠を欠いているものは多くあるが、一般的には、そのなかでも社会生活を営むのに実害があり道徳に反するような知識・俗信を「迷信」と呼んでいる。何が迷信かという判定の基準は常に相対的で、通常、話者の理性による判断から見て不合理と思われるものをこう呼んでいる。古来人々は様々なことを信じてきており、その中には今日に至るまで受け継がれているものも多く「古代信仰」と捉えることもできる。ある人から見て、合理性を欠いていて社会生活に害があったり道徳に反している、と思えるものを「迷信」と呼んでいるわけである。たとえば、「狐持ち」という俗信がそれである。昔の人だけでなく、現代人も迷信を信じている。現代の民俗学者は「迷信」という用語をあまり使わない。今日的な“善悪”の価値判断は、古来の民間知識同士の相互関係や、民間知識の社会や集団での役割などを分析するに際しては、不適切だからである。“迷信”という語は、あくまで現代人の知識を基準とした分類(レッテル)である。日本の迷信として挙げられるもののひとつに《狐持ち》の迷信がある。この考え方は、近世の中期のころ、出雲地方で現れ、やがて伯耆・隠岐島前地区に伝わっていった。《狐持ち》の迷信とは、「狐持ちの家系の人はキツネの霊を駆使して人を呪う」と信じている迷信のことである。「狐霊というのは人に憑いて憎む相手を病気にしたり、呪いをかけたりすることができる」と信じられてきた。《狐持ち》とされてしまった家系の人は、この迷信のため差別され、自由な結婚も認められないなどの苦痛を味わった。この迷信は根強く、現在でも忌み嫌われている地方があるほどである。いうまでもなく,国際人権規約 2条に抵触しており到底認められるものではない。昔の人だけが迷信を信じていたわけではなく、現代でも人間というのは皆それぞれ、迷信や思い込みやジンクスを心に抱いている。他人の目から見ればどれほど馬鹿げて見えていようが、人間というのは自分だけの奇妙な信念に固執しないではいられない存在である。現代人が現代医学について常識だと思っていることや現代医学を信じていることにも、迷信が多く含まれており、現代医療も十分に調査せず根拠無く信頼することは危険であるので、安易に医者を信じるのは止めて、自分の身体は自分で守る必要があると、五十嵐敏明は指摘した。例えば「医師がくれた薬は風邪を治してくれる」などと思うのも迷信の一つである、と米山公啓は指摘した。医者にかかってもかからなくても、風邪は100%自然治癒するものであり、医者は抗生物質を処方することがしばしばあるが、実際には抗生物質は風邪には効かず、"抗生物質が、風邪をひいている期間を短くする"などという科学的論文は存在しないのに、患者は “医者に行けば特別な治療をしてくれて、早く治すことができる” と信じたがっていて、医者のほうも “あの風邪の患者は私の処方した薬によって早く治っているはずだ"” などと迷信を信じたがっているにすぎず、人々が「医者が私の風邪を治してくれた」と思っているのはただの迷信や幻想である、と米山公啓は述べた。現代人に迷信だと思われているものの中には、科学的に検証してみると実は正しいものもある。例えば「ネコが顔を洗うと雨」とか、「ヘソのゴマを取ってはいけない」などといった表現の裏には、それなりに確かな科学的根拠があり、先祖たちが言っていたことの中には、素直に信じると病気や災害を避けられるものも含まれている。例えば「夜に爪を切ると親の死に目に会えない」という表現がある。「夜爪(よづめ)」と言い、「世詰め(よづめ)」と語呂が同じで、短命という意味と重なり忌み嫌われた、と辞書などには書かれている。また夜爪は「夜詰め(よづめ)」につながるともされた(通夜のことを夜詰めとも言う)。「夜に爪を切ると親の死に目に会えない」という表現は、日本人のほとんどは、祖父母や両親が言うのを聞いたことがあるはずのものであるが、この表現にはそれなりの知恵が込められているのである。迷信とされているものの中には、確かに単なる迷信にすぎないものもあるが、現代人が見落としているような意外な根拠がある場合もあるのである。夜に爪を切ってはいけない、というのは作法としてそうなのだとも指摘されており。儒教の教えだという。昔は照明器具が不十分で、手元が見えなく危険だった。また切った爪の行方も見えず、後でそれを踏むと痛いということもあった。いずれにしても、夜に爪を切ると何もいいことが無いから、夜に爪を切ってはいけないとされたという。昔から、肉体労働系の仕事、結果として若くて元気のいい男性の比率が圧倒的に多い職場に女性も参加させることは、「女を入れると事故が起きる」「女を入れると死人が出る」として忌み嫌われる傾向がある。山の仕事であれ、海の仕事であれ、工事の仕事であれ、そうである。なぜかという理由をそれ以上言わないことが多い。なかには、一見すると迷信めいた口実をつけている場合もある。だが、職場を片方の性の人にだけ統一しようとするのには、それなりの理由、合理性があることもある。というのは、男性ばかりの職場に、ひとりだけ女性が参加したりすると、しばしば、その女性を巡って争いが起きはじめる。それは男性の持つ素朴な本能である。時間がたつにつれ、そうした争いはエスカレートし、結局、「恋敵を亡きものにしてやりたい」といった気持ちを無意識に持つ者まで出てくる。肉体労働系の現場というのは、(事務職などとは異なって)大抵は、日々、生死にかかわるようなギリギリの状況で作業をしている。事故は簡単に起き得るし、起こし得る。たとえば切れそうなロープを使うとか、安全のための金具をひとつ(無意識にであれ、わざとであれ)抜いてしまう、ボルトをちょっと緩めにしたまま放置する、何百キロ〜何トンもある荷物をクレーンで移動させている途中で人に直撃する、などといった、故意なのか過失なのかわからないこと、単なる失敗なのか犯罪なのか、まったく証拠も残らないようなことで、(事務職と違って)簡単に人が死んでしまう、殺せてしまうような状況が日々連続しているのである。たとえばの話だが、何かの拍子に40歳くらいの現場監督が、20〜25歳くらいの下っ端の男のことを「恋敵」と見なしたら、職場での自分の権限を利用・悪用して、その若者にわざと無理で危険な仕事を命じて、殺人罪にならないように殺すことだってできてしまう。肉体労働系の現場というのは、互いに生命を預け合っているような状態で作業をせざるを得ない。回りの同僚を信頼できる状態、「この人(コイツ)ならオレの命(ひいてはオレの家族の運命)を預けても大丈夫だ」と思える状態でないと、連携プレーが阻害され、仕事がまったく前に進まなくなってしまう。結局、女性ひとりが入ると、男性同士の信頼関係が根底から揺らぎはじめる。しばしば人命にもかかわる事態にもなる。理想を言えば、「仕事だけに集中するようにして、異性に一切意識を向けるな。」ということを若い男性衆に説教して、それを素直に男性衆が実行できれば問題はない。だが、現実問題として、血気盛んな若い男性たちの心にはそんな説教は届かない。ともかく異性を眼にすれば、理屈抜きで、異性のことで頭がいっぱいになってしまう。非現実的な理想論はともかくとして、現実的には、それを止めることはできない。結局、事実として、男性ばかりの職場に女性を入れると、しばしば(過失なのだか故意なのだか証拠がなくて追及のしようのない)事故が次々と起きる、と経験則で昔の人は学んだ。だが、そうした男社会の事情をそのまま、むきだしに、ストレートに言ってしまうのは男性社会では一種のタブーなのである。それを言うこと自体が、しばしば男の共同体に対して疑念を抱かせることになり、男が信じたい、信じようと思っている物語を傷つけたり、信頼の絆にほころびを生じさせてしまう。だから、ともかく、働く若い衆の生命を守るために、理由を言わない形でも、あるいは迷信めいた口実をつけて言い訳をしてでも、ともかく若い男の職場に異性を入れない、というやり方がしばしばとられてきたのである。なお、最近は「草食系」と呼ばれるような男性が増えていて、女性が目の前にいても気にもしない男性が増えてはいるが、それでも現在でも、肉体労働系の現場にいる男性というのは、昔とさほどは変わってはおらず、肉体的に頑強で、男性ホルモンの分泌も旺盛で、影響はあいかわらずあるのである。ただ法律の改正によって、肉体労働系の職場にも女性がそれなりの割合入っていることは、一般的になってきた。かつてのように、職場に女性1名だけが入ってくる、といった極端に少ない状態をはるかに突き抜けてしまって、女性が1〜2割程度まで増え、いつでも回りを見回せば2名〜3名〜5名もいる状態になって、(ある意味、女性が余っているような状態になると)女性を巡っての男同士の(骨肉の)争いというのは減る傾向はある。ただし、たとえ数が増えても、若い男性が作業中に女性に気が散ってしまう、どれだけ注意・説教しても、無意識に視線を向ける、という現象は起きがちで、リスクがある、ということには変わりない。ただし、上の「夜に爪を切るな」のように、経験則を総合して「おばあちゃんの知恵袋」やタブーが作られたということはそれはそれで良いとしても、それを聞く人はタブーをそのまま信じてしまう前に、そのタブーができた前提条件を正しく理解する必要がある、と西村克己は指摘した。現在では明るい照明があるし、ケガをしない安全爪きりがある。だから夜に爪を切っても安全性に変わりは無い。江戸時代と現代では前提条件が異なっているので、当時は効用があった表現が今ではそうではない。また、日本では昔からトンネル工事には女性を参加させない方針(女人禁制)が貫かれており、それは「山の神を怒らせてしまう」という表現とともに継承されていた。労働基準法第64条の2は、原則として女性の坑内労働を禁止している(但し、母性保護の観点からであり、具体的な内容は厚生労働省令で定めるものとされている)。現代になって、男女共同社会参画の意識の浸透に伴い、そのような表現も含めて「女性差別だ」という声が上がり、「山の神を怒らせる」は迷信だと非難され、2005年にトンネル工事の女人禁制は規制の見直しが検討された。双子をめぐる迷信は世界中に見られ、重大な人権侵害となるケースもある。
出典:wikipedia
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