ヴィッセル神戸(ヴィッセルこうべ、Vissel Kobe)は、日本の兵庫県神戸市をホームタウンとする、日本プロサッカーリーグ(Jリーグ)に加盟するプロサッカークラブ。1966年創部の川崎製鉄水島サッカー部(1987年に川崎製鉄サッカー部に改称)が前身となり、1997年にJリーグへ加盟した。ホームタウンは兵庫県神戸市である。ホームスタジアムはノエビアスタジアム神戸、練習場はいぶきの森球技場である(詳細は#スタジアム・練習場を参照)。チーム名の「ヴィッセル」は、英語の「VICTORY(勝利)」と「VESSEL(船)」を合わせた造語。「勝利の船出」を意味し、国際港湾都市・神戸をイメージ。神戸市民の夢を乗せ、勝利に挑戦し続けるチームである事の誓いもこめている。マスコットは神戸・兵庫に馴染みの深い、牛をモチーフとした「モーヴィ(MOVI)」。牛の鳴き声「モー」と勝利「ヴィクトリー」を合わせた造語。運営会社は株式会社クリムゾンフットボールクラブ(クリムゾンFC) である。かつてのクリムゾンFCは合同会社クリムゾングループ(楽天代表取締役の三木谷浩史の個人資産管理会社)からの全額出資であり、楽天からクリムゾンFCへの出資は無かった。しかし、2014年12月に楽天がクリムゾンFCの全株式を取得し、子会社化することを発表。楽天がJリーグに参入することになった。1992年、神戸市は、日本サッカーの発祥地でもある神戸にプロサッカーの文化を根付かせ、神戸にFIFAワールドカップ開催地を招聘するために、Jリーグのクラブを誘致することを発表したが、三菱自工(創設当初は神戸市が本拠だった)、全日空、ヤンマー(練習場が尼崎市にある)と交渉するも、何れも条件面などで折り合いが付かず神戸への誘致を断念した。1993年12月「行政は行政で任せるとして、自分たちの手で何か出来ないか」ということで、「オーレ!神戸(神戸にプロサッカーチームを作る市民の会)」が市民団体として発足。同時期に岡山県倉敷市を本拠地とする川崎製鉄サッカー部の誘致活動を実施した。一方、岡山県および倉敷市 においてもチームの慰留活動が行われたが、神戸市に本社をもつ川崎製鉄の意向もあって1994年3月に1995年からの神戸市へのホームタウン移転が決まった。1994年6月、当時神戸市に本社を置いていた総合スーパーのダイエーがメインスポンサーとなり「株式会社神戸オレンジサッカークラブ」を設立。1994年9月、クラブ名称を「ヴィッセル神戸」と決定した。1995年1月1日、ヴィッセル神戸としてスタートした が、練習初日であった1月17日に阪神・淡路大震災が発生し、選手らは前身となった川崎製鉄サッカー部の本拠地であった岡山県倉敷市のグラウンドで初練習を行った(2月6日)。なお、神戸市内の練習場「いぶきの森球技場(旧)」は1995年7月に完成した。神戸オレンジサッカークラブの筆頭株主だったダイエー(資本金10億円のうち、50%を出資)が震災の影響から3月に撤退した。当時強化部長だった安達貞至がスポンサー獲得に奔走、5月31日に運営会社名を株式会社ヴィッセル神戸に改称。ユニフォームにも白と黒のストライプにオレンジのラインが襟と袖に入っていたがダイエー撤退に伴い、オレンジからエメラルドグリーン(ヴィッセルブルー)に変更した。ジャパンフットボールリーグ(JFL)は6位の成績。Jサテライトリーグは兵庫県でホームゲームをせず、岡山県で試合を行った)。1996年、元デンマーク代表のミカエル・ラウドルップを獲得。JFLで準優勝し、1997年シーズンからJリーグへ加盟した。1997年、Jリーグ史上初のフェアプレー賞(高円宮杯)を受賞した。なお、1998年に神戸弘陵高等学校3年藤原務を強化指定選手第1号(現在の特別指定選手)として受け入れたが、出場機会は無かった。。1998年シーズン終了後には伊藤ハムがユニフォーム胸スポンサーから撤退。2003年12月15日、運営会社の株式会社ヴィッセル神戸は東京地方裁判所に民事再生法の適用を申請した。1月14日、兵庫県出身の楽天の代表取締役である三木谷浩史が代表を務める株式会社クリムゾンフットボールクラブ(2004年1月5日設立)が2月1日付でヴィッセルの営業権を譲受けた。神戸市はチーム運営から撤退し、スタジアム使用などの側面支援を行う事になった。イワン・ハシェックが監督に就任。2002 FIFAワールドカップのトルコ代表FWのイルハン・マンスズを獲得したが、イルハンは出場は3試合にとどまり、シーズン途中に自らの希望で退団。2ndステージ開幕直前には、元東京Vのパトリック・エムボマ、鹿島アントラーズから平瀬智行をそれぞれ完全移籍で獲得した。一方で監督は2004年から1年半の間にハシェック、加藤寛、松永英機、エメルソン・レオン、パベル・ジェハークと5人が務めた。開幕戦で勝利して以降、公式戦12試合勝ちなしとなり、6節広島戦終了後に松永英機が辞任し、エメルソン・レオンが就任したが成績は上向かず、2か月余りで解任された。その後パベル・ジェハークが正式に監督に就任し、8月にFWイヴォ、DFマルティンを獲得。2004年加入のMFホルヴィを加えて、チェコ人3人体制となった(2004年から所属のDFホージェル、2005年6月加入のMFディエゴ・ソウザは退団)。第7節に最下位に転落して以降、年間通して低迷し11月20日の大宮戦に敗れ、J2に降格した。初代監督のスチュワート・バクスターが9年ぶりに監督に就任。トップチームにおいてサテライトチームを「ヴィッセル神戸U-21」として若手選手の育成強化のためのチームに特化させると共に、神戸での出場経験が少ない選手に対する実践機会提供を図る観点からSC鳥取(現:ガイナーレ鳥取)と提携。また、横浜FMユース、ナショトレ関西地区担当の安達亮がU-21監督に就任。4月10日、クリムゾンFC社長の三木谷が代表取締役会長に就任。安達がGM兼任で代表取締役社長に就任。5月、読売サッカークラブや浦和、日本サッカー協会などで重要職を担ってきた佐藤英男がGMアシスタントとして就任。また、人工芝グラウンドがいぶきの森に完成した。リーグ戦は、横浜FC・柏と自動昇格を争い、最終節で柏に逆転され3位の成績。12月9日、福岡との入れ替え戦を制し、J1昇格を決めた。バクスター体制2年目。横浜FMから榎本達也、C大阪から大久保嘉人を完全移籍で、山形からレアンドロ、元全北現代のボッティを期限付き移籍で獲得した。また、育成部長に滝川第二高校サッカー部監督・黒田和生が就任。シーズン途中に三浦が退団した一方、浦和からMF酒井友之、新潟からMFディビッドソン純マーカス、福岡からレンタルで古賀誠史らを獲得。第21節から第26節まで5連敗したが、第31節の甲府戦に勝利してJ1残留が決まった。なお、最終順位は10位。バクスター体制3年目。韓国代表主将のMF金南一、大分から元日本代表FW松橋章太、横浜FMからMF吉田孝行、FC東京からMF鈴木規郎、甲府からFW須藤大輔などを獲得。一方で近藤祐介が退団した。大久保嘉人がキャプテン、北本久仁衛、榎本達也が副キャプテンとなった。開幕から好調を維持し、一時は2位につけていた。その後、レアンドロ、古賀誠史、北本久仁衛らが次々と怪我をし、一時は降格圏内まで順位が落ちたが、11月23日のFC東京戦で残留を決めた。天皇杯は4回戦で松本山雅FCにJリーグ加盟後の公式戦最多得点(8 - 0)で勝利したが、5回戦で鳥栖に敗退した。共同通信によると11月時点で松田浩に監督続投を要請していたが、12月に松田が監督から解任された。また、栗原圭介、酒井友之らベテランに加え、ユース出身の4人もが契約満了により退団した。監督にブラジル・フラメンゴからカイオ・ジュニオールが就任。FW大久保嘉人がVfLヴォルフスブルクへ、FWレアンドロがG大阪へ移籍した一方、ブラジル人のFWマルセウ、MFアラン・バイーア、川崎から我那覇和樹、オーストリアのレッドブル・ザルツブルクから元日本代表DF宮本恒靖を獲得した。リーグ戦は第5節(4月11日)の横浜FM戦で2006年以来の5失点で大敗した。その後も下位に沈んだ。6月、FW大久保嘉人が復帰したが、6月30日にカイオ・ジュニオールがカタールクラブ監督を理由に監督を辞任。後任には和田昌裕がチーム統括本部長と兼任で就任した。8月、大宮や札幌の元監督の三浦俊也が監督に就任(和田はヘッドコーチに就任)。三浦の就任後は首位鹿島を下すなど8月は無敗で乗り切ったが、9月以降はなかなか勝ち点を伸ばせず、第33節に柏の降格が決定したため、残留が確定。シーズン成績は14位。三浦体制2年目。社長職が安達から叶屋宏一へ交代。三浦が監督を続投。金南一がロシアリーグに移籍した一方、草津からJ2で23得点あげた都倉賢、大分からMFエジミウソンを獲得。更に古賀誠史と内山俊彦が抜けた左サイドに大宮からDF冨田大介、柏からMFポポを獲得した。開幕戦こそ勝利したが、代表戦で負傷した大久保嘉人のコンディションが上がらなかった事や、都倉や冨田といった新加入選手が出遅れた事もあり連勝できない状態が続いた。W杯での中断明けに練習に参加していたFWイ・ジェミンと7月に契約した。一方でリーグ戦は17節から23節までの7試合で6人の退場者を出し、そのうちの2度がGK榎本達也の退場で、フィールドプレーヤーがGKを務める事態も2度生じた。9月11日の京都戦に敗北した翌9月12日に三浦が解任され、和田が監督に就任。なお、第33節終了時点で16位であったが、最終節で浦和戦に勝利し、第33節時点で15位のFC東京が敗れたため、最終順位15位でJ1残留が決まった。なお、2010年シーズンの反則ポイントが149となり150万円の反則金を課された(反則ポイント17位は大宮で100ポイント)。和田体制2年目。小林久晃、冨田大介が甲府へ、エジミウソンが熊本へ、榎本達也が徳島へ、高橋祐太郎がC大阪へ、我那覇和樹がJFL・FC琉球へ完全移籍、坪内秀介(大宮)、荻晃太(甲府)がレンタル移籍先へ完全移籍した。補強として、C大阪からDF羽田憲司、UAEリーグアル・ワスルからMFホジェリーニョが完全移籍で加入、DF柳川雅樹、MF馬場賢治がレンタル移籍から復帰した。序盤は好調だったものの、ホーム広島戦でのMF三原雅俊の負傷離脱以降は9戦で3分6敗と低迷する。その後は補強選手が機能せず怪我人が多く、9試合勝ちなしなど苦しい戦いを強いられた が、「よりボールを保持し相手を圧倒するサッカー」 が浸透し、新主将吉田、大久保、朴康造、ドイツ2部のコットブスを退団しシーズン途中に加入した相馬崇人らベテラン勢の活躍もあり最終的には過去最高順位となる9位でリーグ戦を終え、今季目標に掲げていた「一桁順位達成」をクリアした。また、年間合計入場者数が昨年から引き続きJ1に在籍したクラブの中で唯一昨年より増加した(前年比103.1%)。和田体制3年目。ボッティがフィゲイレンセFCへ、ホジェリーニョがセアラーSCへ、ポポが浦和へ、石櫃洋祐が名古屋へ、松岡亮輔が磐田へに移籍した。また、草津にレンタル移籍した柳川雅樹が栃木SCに、三島康平が水戸に、馬場賢治が湘南に、楠瀬章仁が松本に完全移籍。有田光希が愛媛に、紀氏隆秀が鳥取に、昨シーズン2種登録だった廣田隆治がプロ契約後、岐阜にレンタル移籍。また、宮本恒靖が引退した。一方、G大阪から橋本英郎、高木和道、鹿島から田代有三、野沢拓也の計4人の元日本代表選手を獲得。また、山形からGK植草裕樹、ハイドゥク・スプリトを退団していた日本代表DF伊野波雅彦を獲得、またイ・グァンソン、奥井諒の2人の大卒選手が入団した。選手以外では3月に元FCバルセロナ副会長のマルク・イングラが取締役に就任。また、5月にはタイ・プレミアリーグのチョンブリーFCと業務提携を結んだ。リーグ戦は開幕2連勝後に4連敗(ナビスコ杯を入れると6連敗)。第8節終了時で3勝5敗(ナビスコ杯を入れると3勝7敗)となった、4月30日に和田を監督から解任。ヘッドコーチの安達亮が暫定監督に就き。5月19日にG大阪元監督の西野朗が就任した。2014 FIFAワールドカップ・アジア4次予選によるリーグ戦中断が開けた第14節から3連勝したが、9月以降にリーグ戦および天皇杯のSAGAWA SHIGA FC戦で公式戦9試合連続勝ちなし、うち3試合連続で逆転負けを喫した。11月7日の横浜FM戦に敗戦した翌8日に西野を監督から解任、ヘッドコーチの安達亮が後任監督に就任した が、第34節でサンフレッチェ広島戦に敗北して16位となり、J2降格が決定した。安達体制2年目。トップチームコーチに千葉前監督の木山隆之が就任し、武田治郎GKコーチの後任にはシジマールが就任した。大久保嘉人が川崎へ、野沢拓也が鹿島へ、伊野波雅彦が磐田へ、近藤岳登が水戸へ、高木和道が大分へそれぞれ移籍。フェルナンド、アンデルソン、ペ・チョンソクが退団し、朴康造、羽田憲司が現役を引退した。また嘉味田隼、廣田隆治が鳥取へ期限付き移籍した。一方で、浦和から2011年まで在籍していたFWポポを、清水からGK山本海人を、蔚山現代FCからMFエステバンをそれぞれ完全移籍で獲得し、川崎から杉浦恭平を期限付きで獲得。期限付き移籍していた有田光希、河本裕之、大屋翼、紀氏隆秀がチームに復帰し、ユースから松村亮、前田凌佑、和田倫季が昇格した。2月にブラジル・パルメイラスからFWマジーニョが期限付きで加入した。開幕から3連勝。第4節京都戦に敗れたが、第5節から9試合負けなし(6勝3分)の成績。しかし、第16節・鳥取戦に敗れ、同節終了時点で第2節以来キープしてきた首位をG大阪に明け渡した。その後は第34節まで2位を維持し、第35節から第38節までは再び首位に立った。また、第37節・松本戦ではリーグ戦クラブ記録となる1試合7得点を記録した。第39節、勝てば2位以内確定となる3位京都との直接対決に引き分け、自力でのJ1復帰決定を逃す と同時に、再びG大阪に首位を明け渡したものの、第40節、先に試合を行った京都がG大阪に敗れた時点で神戸のシーズン2位以上が確定、1年でのJ1復帰を決めた。なお、J2リーグ戦は2位の成績。天皇杯は3回戦でC大阪に敗れた。安達体制3年目。2012年途中から就任したブローロフィジカルコーチが名古屋へ移籍し、2007年まで新潟でフィジカルコーチを務めたフラビオがフィジカルコーチに就任した。16得点を挙げ、昇格に貢献したFWポポが磐田へ完全移籍、9得点を挙げたFWマジーニョが期限付き元のパルメイラスへ復帰。有田光希、三原雅俊がそれぞれ京都、長崎へ期限付き移籍。その他DFイ・グァンソンが福岡へ、C大阪から期限付きのDF金聖基、鳥取に期限付きしていた廣田隆治、戦力外通告を受けた紀氏隆秀、都倉賢、林佳祐がチームを離れた。またMFエステバンは選手登録を抹消され、済州ユナイテッドFCを経て2014年7月徳島ヴォルティスへ期限付き移籍となった。前年J1で16得点をあげたFWマルキーニョスを横浜Mから、Kリーグで17得点をあげたFWペドロ・ジュニオールを済州ユナイテッドFCから獲得。その他DF増川隆洋、高橋峻希、MFシンプリシオ、チョン・ウヨンが加入。川崎から期限付きで加入していたMF杉浦恭平は完全移籍で獲得。ユースからGK吉丸絢梓が昇格し、FW金容輔が興國高等学校より入団した。タイトルを獲得することを目標としたシーズン、リーグ戦第8節鹿島アントラーズとのアウェーゲームに15年ぶりに勝利し、クラブ史上初のリーグ戦首位に立つなど、ワールドカップ中断期間までは3位になるまど序盤は前評判を覆す躍進を見せ、ナビスコカップではクラブ史上初の決勝トーナメント進出を果たした。しかし中断明けに行われた天皇杯は2回戦(初戦)で関西学院大学に敗戦。以後、夏場の試合は低調な結果が続き、徐々に順位を落とし、ナビスコカップもガンバ大阪に敗戦。クラブの生え抜き選手MF森岡亮太が代表に呼ばれるなど、明るい話題もあったが、11月2日に第31節サガン鳥栖戦の敗戦でAFCチャンピオンズリーグの出場が消滅し、その直後に約2年間指揮をとった安達亮監督のシーズン終了後の契約満了が発表された。最終的にシーズン終盤はリーグ戦4連敗を喫するなど序盤の勢いは立ち消え、昇格初年度は11位に終わった。12月9日には橋本英郎、茂木弘人との契約満了を発表した。12月12日にはシジマールGKコーチ・フラビオフィジカルコーチの退任が発表された。それに伴いアレックストップチームGKコーチ・ピメンテウフィジカルコーチの就任とネルシーニョ監督の就任が発表された。ネルシーニョ体制1年目。GK植草裕樹が長崎、DF茂木弘人が福島、MF橋本英郎がC大阪、MF杉浦恭平が仙台へそれぞれ移籍。DF河本裕之が2012年に期限付き移籍した大宮へ完全移籍し、京都へ期限付き移籍していた有田光希はそのまま完全移籍となった。そのほか、ブラジル人MFシンプリシオとFW田代有三が退団した。FW松村亮は栃木へ1年間の期限付き移籍となった。新戦力としては、FC東京からFW渡邉千真、大宮からDF高橋祥平、鳥栖からDF安田理大、ブラジルからMFフェフージンと清水からブエノが期限付きで加入した。前年福岡から期限付きで加入したFW石津大介は期限を延長した。京都へ期限付き移籍していたMF田中英雄と長崎へ期限付き移籍していたMF三原雅俊が復帰。東福岡高校からMF増山朝陽、早稲田大学からGK松澤香輝が新人として入団した。年間を通して故障で主力を欠くことが多く、4月以降はホームゲームで勝ち星を稼げず、1stステージは13位と低迷。2ndステージ開幕前にフェフージンとの契約を解除し、入れ替わる形でFWレアンドロが2008年以来7年ぶりにチームに復帰。2ndステージ開幕戦では、そのレアンドロも得点をあげるなど5-0と圧勝するスタートを切った。しかし、その後4節から6節は3連敗。この時期はホームとして使用するノエビアスタジアムのピッチコンディションが悪く、試合後の記者会見で、ネルシーニョが「リズムを作れなかったのはピッチコンディションが影響した」と苦言を呈するほどだった。そのため、2ndステージ9節サガン鳥栖戦とナビスコカップ準々決勝柏レイソル戦は神戸ユニバー記念競技場に試合会場が変更された。ナビスコカップでは昨季に引き続き決勝トーナメントへ進出し、柏を2戦合計4-3で下して初の準決勝へ進出。しかし、鹿島に敗れ敗退。また、リーグ戦も9月から5連敗、2ndステージ14節時点で年間勝ち点15位と降格の可能性を残したが15・16節の残留を争うモンテディオ山形と松本山雅FCとの2連戦をリーグ戦では4月以来の連勝で乗り切り残留を確定させた。天皇杯は初戦のAC長野パルセイロ、2回戦ジェフユナイテッド千葉、3回戦の横浜F・マリノスを破り、2003年以来の準々決勝へ駒を進めたが、浦和レッズに敗れ唯一残されたタイトルも逃すこととなった。ネルシーニョ体制2年目。DF奥井諒が大宮に、DF安田理大が名古屋に、DF増川隆洋が札幌に、DFブエノが鹿島に、MF森岡亮太がポーランド・ヴロツワフへ、チョン・ウヨンが中国・重慶力帆FCへそれぞれ完全移籍。FWマルキーニョスとMF和田倫季が退団。栃木に期限付き移籍していたMF松村亮が復帰。水戸からDF田中雄大を、鳥栖からMF藤田直之を、韓国・蔚山現代から韓国代表GKキム・スンギュを完全移籍で獲得。清水からDF村松大輔を期限付き移籍で獲得。ユースからDF藤谷壮、DF東隼也、MF中坂勇哉がトップチームへ昇格。関西学院大学から元ユース所属のMF小林成豪、阪南大学からMF松下佳貴が新卒入団した。また2月9日に磐田を退団したDF伊野波雅彦が4年ぶりに復帰することが発表された。2ndステージからSCインテルナシオナルからMFニウトンと浦和からDF橋本和が加入。ホームスタジアムはノエビアスタジアム神戸であるが、神戸総合運動公園ユニバー記念競技場でも不定期にホームゲームを開催している。また、1995年および1996年は準本拠地と位置づけて岡山県総合グラウンド陸上競技場(現:シティライトスタジアム)、岡山県津山陸上競技場、福山市竹ヶ端運動公園陸上競技場で、2006年は兵庫県立三木総合防災公園陸上競技場で公式戦を開催した。練習場は神戸市西区井吹台東町七丁目(西神南ニュータウン)にある「いぶきの森球技場」が使われていたが、2003年10月にビオフェルミン製薬が練習場用地を新工場建設のために取得(2004年3月に引渡し) したため、2005年2月より神戸ハイテクパークに隣接する神戸市西区櫨谷町に約5億円かけて建設した「いぶきの森球技場」(名称はそのまま)に移転した。ヴィッセル神戸は2009年シーズンからリーグ戦において対戦相手によってチケット価格が異なる制度を導入している(カップ戦は設定なし)。A価格はB価格に比べて大人で1,000円、小中生で500円高い。なお、各年度のカテゴリの対象クラブは下表の通り。前身の川鉄水島時代には、故障者や引退者を受け入れて公式試合参加の機会を増やし復帰を支援するOB有志による実質上の下位クラブ「リバー・フリー・キッカーズ」や、川鉄子会社運営によるジュニアチームの「川鉄サッカースクール」が存在したが、これらのクラブは川崎製鉄の直下運営ではなかったため、ヴィッセル発足時の神戸市と岡山県(岡山市および倉敷市)との交渉の末に岡山側へ残留する事となった。そのため、ヴィッセル創設時に、神戸フットボールクラブからユース・ジュニアユースチームを移管して、下部組織が発足した経緯を有する。2005年、育成支援個人協賛会「Vitamin Club(ヴァイタミンクラブ)」が発足した。2006年、伊丹ジュニアユースチームを設立。2009年3月、「いぶきの森球技場」に近い神戸市西区櫨谷町福谷に選手寮(通称:三木谷ハウス)が完成した。総工費は約2億3,000万円で全額を三木谷が負担し、前札幌GMの村野晋が寮長に、また夫人である村野明子が寮母となった。また、育成部長の黒田和生がユース監督に就任した。2011年12月、地域のスポーツ活動の普及・育成に寄与することを目的に、一般社団法人ヴィッセル神戸スポーツクラブが創設された。
出典:wikipedia
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