あさぎりは、小田急電鉄(小田急)小田原線と東海旅客鉄道(JR東海)御殿場線を直通運転する特急列車(ロマンスカー)である。現在は、小田急60000形MSE車により運行されている。本項では、小田急小田原線と御殿場線を直通運転していた優等列車の沿革についても記述する。最新の運行概況については運行概況の節を参照。1955年に小田急から日本国有鉄道(国鉄)御殿場線への直通列車として、新宿駅と御殿場駅を結ぶ特別準急2往復の運行が開始されたのが始まりである。1959年には4往復に増発されたが、御殿場線の電化と同時に、それまで4種類あった愛称を「あさぎり」に統一し、同年10月には列車種別も連絡急行に変更された。1991年3月16日からは特急列車に変更され、小田急とJR東海の相互乗り入れに変更されたが、2012年3月17日からは再び小田急の車両のみによる運行に変更されることになった。本項では、以下必要に応じて、小田急小田原線を「小田急線」、鉄道省・日本国有鉄道など、国が直接関与していた鉄道事業をまとめて「国鉄」、小田急3000形(初代)は「SSE車」、20000形は「RSE車」、60000形は「MSE車」、JR東海371系電車は「371系」と表記する。小田急線と御殿場線を結ぶという発想は、第二次世界大戦中に国鉄東海道本線(特に根府川駅の近くにある白糸川橋梁など)が爆撃を受けた際に迂回路線として活用するという構想に遡る。この構想は具体的なものとなり、松田駅付近では用地買収と橋脚の建設まで行なわれたが、まもなく終戦となったために実現はしなかった。終戦後の1946年には、東京急行電鉄(大東急)が策定した「鉄軌道復興3カ年計画」の中に、小田急線と御殿場線を直通させて新宿駅と沼津駅を結ぶ計画が含まれていた。この計画は、御殿場線の電化は運輸省が行い、直通列車の運行を大東急が行なうというもので、東海道本線の混雑緩和と同時に富士山麓の観光開発にも対応させるものであった。この案は実際に1947年3月に運輸省へ申請された。しかし、投資額が大きく優先順位が後回しになると考えられたことから、大東急による受託経営による電化案、蒸気機関車案、ディーゼル電動車案などが検討されたが、1948年には大東急が解体されてしまった。しかし、分離独立した小田急の社内でも引き続き御殿場線への直通については検討が続けられていた。1947年9月には、駿豆鉄道が小田原から小涌谷までの路線バスの運行免許申請を行ったものに対して、自社防衛の見地から箱根登山鉄道が反対の立場をとっていたなど、バス路線の免許について争いが生じる事態になっていた。こうした状況から、小田急ではこれまでの小田原や熱海から箱根への観光ルートだけではなく、御殿場からの観光ルートにも注目していた。また、御殿場から山中湖を経て富士五湖への観光ルートも考えられた。また、当時の御殿場線からの東京方面への直通列車は普通列車のみであったが、沿線自治体からは東京方面への直通急行列車の運行を求める声もあった。1952年には国鉄に対して御殿場線への直通運転の申請を行った。国鉄との調整を進めると同時に、20m級の全長でエンジンを2基搭載した御殿場線に直通するための気動車を実現するため、東急車輛製造とともに開発を進めていた。1955年8月16日に国鉄から直通運転が承認され、同年9月7日には直通に関する契約と協定が締結された。直通列車に使用する気動車であるキハ5000形も同年9月5日に完成し、同年10月1日から1日2往復の直通列車が運行開始となった。小田急線内では特急扱いであるが、御殿場線内では準急列車として運行されることから、列車種別は「特別準急」となった。座席定員制であるが、号車指定制で、座席の指定は行なわれなかった。この運転のために、新松田駅-松田駅間に連絡線が設けられた。運行開始した1955年10月1日改正ダイヤの列車時刻は以下の通りである。途中停車駅は松田駅のみであった。列車番号については、次のダイヤ改正で2700番台に変更された。愛称の「銀嶺」「芙蓉」は、いずれも富士山にちなんだものである。特筆されるのは、通常の直通運転では事業者の境界駅で乗務員が交代するところを、小田急の乗務員のうち国鉄の考査に合格した乗務員(運転士・車掌とも)が御殿場まで車両ごと乗り入れて運行を行なったことである。これは、当時の御殿場線の旅客列車はすべて蒸気機関車牽引の客車列車であり、御殿場線に気動車の乗務員はいなかったため、交代しようがなかったのである(因みに御殿場線の普通列車にキハ51形が投入されるのは1957年以降)。通過駅での通票(タブレット)授受は車掌が担当していた。この直通列車は、季節波動はあったものの好評で、当時は御殿場線唯一の優等列車とあって、自衛隊や公務員が東京へ昇進異動する際にはよく利用されたが、その一方で座席の狭さには苦情が続出した。次第に輸送力が不足してきたため、車両の増備が行われる一方、谷峨駅に列車交換設備が完成したのを契機として、1959年7月には1日4往復に増発された。増備車では、不評だったシートピッチも改善され、それまでの車両もシートピッチを拡大した。1959年7月2日改正ダイヤの列車時刻は以下の通りである。愛称の「朝霧」は、富士山麓の朝霧高原にちなみ、小田急が運営していたキャンプ場の宣伝も兼ねたもので、「長尾」は御殿場から箱根に向かう途中の長尾峠にちなんだものである。なお、この年の5月には九州で準急「あさぎり」の運行が開始されている。増発後は、予約状況に応じて、午前中の列車で御殿場到着後に一部車両を切り離した上で御殿場駅に留置し、夕方の列車に連結する運用をしばしば行っていた。なお、1959年9月19日には当時の皇太子が御殿場市郊外の青年の家に向かう際の往路で直通列車を利用している。その後、沿線自治体からの要望により、一部列車の停車駅に山北駅・駿河小山駅が追加された。1964年以降には、乗り入れ区間を沼津駅まで延長するという要望もあったが、国鉄時代には進展をみなかった。1968年には御殿場線の電化に伴い、直通列車を電車に置き換えることになったため、気動車による直通列車の運行は1968年6月30日限りで終了した。直通用の電車は5両連接車に改造した小田急のSSE車を充当することとなり、1968年7月1日からSSE車による直通運転が開始された。この時から、それまで列車別に設定されていた愛称は、4往復とも「あさぎり」に統一された。号車指定制の座席定員制はそのままで、小田急乗務員が車両とともに御殿場まで乗り入れる仕組みもそのままであった。1968年7月1日改正ダイヤの列車時刻は以下の通りである。途中停車駅は松田駅・山北駅・駿河小山駅で、小田急線内は引き続き無停車だった。ヨンサントオと呼ばれる1968年10月1日のダイヤ改正では、準急という列車種別は急行に統合される形で廃止となったため、「あさぎり」も急行列車として運行されることになり、小田急線内では「連絡急行」という新しい種別となった。少し遡る1966年3月には九州を走る準急「あさぎり」が急行に格上げされており、同名の国鉄定期列車が異なる地区で運行する状態になっていた。電車化により列車定員は気動車で運行していたときと比較すると一挙に3倍に増加したものの、乗客数がそれに追いつかず、乗車率が低い状態となっていた。このため、1971年10月1日からは、小田急線内の停車駅に新原町田駅が追加された。この当時、既に小田急線内では定期乗車券による特急乗車も認められていたが、「あさぎり」については定期乗車券での利用は出来なかった。ゴーサントオと呼ばれる1978年10月2日のダイヤ改正では、列車愛称番号の方式変更の方式変更に伴い、下り列車の号数は奇数に、上り列車の号数は偶数に変更された。1981年7月13日改正ダイヤの列車時刻は以下の通りである。1984年2月1日からは、全列車の停車駅に本厚木駅が追加されたほか、「あさぎり」1・6号に限り谷峨駅にも停車するようになった。多少のダイヤの変更はあったものの、「あさぎり」は基本的にはほぼ同様のダイヤパターンで運行された。夏季多客時や団体利用時には、SSE車を2編成連結した「重連」での運行もあった。しかし、「あさぎり」に使用していたSSE車は、耐用年数を10年として設計された車両で、1987年で車齢30年となるなど、老朽化が進んでいた。新型車両に置き換える案もあったものの、当時の国鉄側の現場の反応などを考慮して、仕方なく車体修理を行った上で継続使用していた。国鉄分割民営化後の1988年7月、小田急はJR東海に対して、車齢30年を超えたSE車の置き換えを申し入れた。折りしも御殿場線では1989年に富士岡駅と岩波駅に行き違い施設が新設されたこと、また御殿場線沿線から運転区間延長の要望が強くなっていたことから、小田急とJRの間で相互直通運転に関する協議が進められ、1989年8月8日には、2社がそれぞれ新形車両のRSE車・371系を導入した上で相互直通運転に変更、特急に格上げした上で運行区間も新宿駅 - 沼津駅間に延長するという、基本的なプランについて2社間で合意した。この運行区間延長により、中伊豆・西伊豆への新たな観光ルートが設定されることも期待された。こうして、SSE車による連絡急行「あさぎり」の運行は1991年3月15日限りで終了、1991年3月16日からは特急「あさぎり」として相互直通運転が開始された。この時から、小田急とJR東海の乗務員が松田で交代し、それぞれの自社区間のみを乗務する運行形態に改められた。1992年3月28日改正ダイヤの列車時刻は以下の通りである。途中停車駅は、町田駅・本厚木駅・松田駅・駿河小山駅(1・3・6・8号のみ)・御殿場駅・裾野駅である。車両故障などの異常時は、小田急線内のみを7000形LSE車や10000形HiSE車で運行し、御殿場線内を運休することがあった。特急「あさぎり」の運行開始とともに、二次交通の充実も図られた。伊豆箱根鉄道では「あさぎり」に接続して伊豆長岡へ直通する「あやめ号」の運行を開始、伊豆箱根鉄道と箱根登山鉄道では「あさぎり」に接続する沼津港への連絡バスを運行した。東海自動車では、「あさぎり」に接続して中伊豆・西伊豆方面へ直通する特急バス「スーパーロマンス号」の運行を開始したが、このバスに使用される車両は片側をRSE車、もう片側を371系と同じ塗装デザインにした車両であった。開業後1週間の実績では前年と比較して利用者数は2.5倍となり、当時のバブル経済による好景気もあって、御殿場線沿線に点在するゴルフ場への旅客で満席になることも多かった。東海道本線静岡駅発着の延長運転を求める声も出ていたが、JR東海では「新宿駅と静岡駅では3時間程度の所要時間となり、新幹線との時間差が大きすぎる」として、考えられていなかった。しかし、景気低迷とともに駿東地域でのリゾート開発は頓挫し、ゴルフ場への旅客の減少やマイカーへの移行がみられた。また、西伊豆への観光ルートとして周知される前に、観光地としての西伊豆自体の知名度が高くならなかった。この要因として、東伊豆・中伊豆と異なり西伊豆には鉄道路線が通じておらず、道路交通を含めても高速で移動できる手段に恵まれない状況もあるとみられている。沼津から松崎への航路は廃止され、「あさぎり」に接続して西伊豆方面へ直通する特急バスも削減された。このような状況下、2010年ごろの「あさぎり」の主な利用者層は御殿場プレミアム・アウトレットへ向かう利用者とみられている。運行開始から2003年までは、JR線を走る特急であるにもかかわらず、座席番号は小田急のシステムにあわせた連番方式であったが、2003年4月6日からはほかのJRの運行する特急と同様の方式(例:1A、1B・・・10C、10D)に変更された。2012年3月17日改正をもって、RSE車と371系は「あさぎり」の運用から離脱すると発表され、「あさぎり」全列車がMSE車により運行されることになった。これと同時に運行区間は新宿駅と御殿場駅の間に短縮された。この結果、「あさぎり」の乗り入れ形態や運転区間は特別準急→連絡急行時代の御殿場発着、片乗り入れに戻ることとなった。さらに毎日運行の列車は3往復となり、土休日に臨時1往復が設定され、停車駅と運行時間帯も変更された。2012年3月17日現在の運行概況は次の通り。新宿駅 - 御殿場駅間で平日ダイヤで3往復、土曜・休日ダイヤで4往復運転されている。土曜・休日ダイヤで運転される1往復は、新宿駅 - 相模大野駅間で「えのしま」と併結運転が行われている。新宿駅 - 御殿場駅間を約1時間30分で結んでいる。全列車がMSE車を使用した6両編成である。普通車座席指定席のみで、RSE車と371系の運用時に設定されていたグリーン車と、御殿場線区間にのみ1両設定されていた自由席は廃止された。新宿駅 - 新百合ヶ丘駅 - 相模大野駅 - 本厚木駅 - 秦野駅 - 松田駅 - (駿河小山駅) - 御殿場駅1955年の運行開始当初は、単行運転であっても車内販売が行なわれており、全区間で小田急サービスビューローの車内販売員が1名か2名乗務していた。1968年7月1日に直通列車がSSE車による運行に変わってからは、森永エンゼルによって小田急線内の特急ロマンスカーと同様の「走る喫茶室」のシートサービスが行なわれた。1991年3月16日に相互直通運転の形態に変わってからは、「あさぎり」1・4・5・8号では小田急レストランシステムが、「あさぎり」2・3・6・7号ではジェイダイナー東海が車内販売を担当するようになった。普通車では「走る喫茶室」のようなシートサービスではなく、ワゴンによる車内販売となったが、グリーン車ではシートサービスを行なうため、座席にスチュワーデスコールボタンを設置した。シートサービスのメニューは2社で異なり、特にジェイダイナー東海では、果物は車内でカットして盛り付けを行なっていた。また、「あさぎり」2号のグリーン車に限り、和風・洋風のモーニングセットの販売が行なわれた。小田急レストランシステムは1列車6名、ジェイダイナー東海では1列車5名が乗務していた。しかし、これらの車内販売は、2011年3月11日限りで終了となった。2012年3月17日から運用されるMSE車には、車内に清涼飲料水の自動販売機が設置されている。特別準急・連絡急行時代は、座席はすべて小田急が管理していた。特急に格上げされてからもマルスには収容されず、小田急の座席予約システム (SR) に収容され、「あさぎり」停車駅にSR端末を設置することで対処した。その後、JR東海で特急券を購入する場合はマルス端末の専用メニューから小田急にオンラインで問い合わせ、座席指定を確保するシステムとなった。JR東海以外のJR窓口は小田急とオンライン接続されていないため、まずいったんマルス端末で席なし特急券を発行し、その後静岡マルス指令に電話をし、座席の割り当てを受けることになる。また、JRと小田急の連絡運輸から外れる区域では、JR窓口ではJR線区間しか発売できないため、小田急線区間を含めて購入したい場合は、JR乗車券・特急券と小田急ロマンスカー特急券取扱旅行会社でJR線区間と小田急線区間とを分割発券して組み合わせた特急券・乗車券を購入するしかない。この煩雑さから、JR側は2009年3月14日出発分から、小田急線区間を含む指定券の発券を、JR東海の主な駅、西日本旅客鉄道(JR西日本)京阪神地区のみどりの窓口と、小田急ロマンスカー特急券取扱旅行会社に限定したが、小田急ロマンスカー特急券取扱旅行会社でも、契約の都合上、JR線区間まで購入可能な旅行会社および店舗は限られていた上、購入可能であっても小田急とJRの連絡運輸の範囲から外れる地域では前記の通り分割発券となった。2013年3月からは一部の座席がマルスに収容され、連絡運輸適用外の地域でもJR区間のみの発売が容易になり、連絡運輸範囲内ではマルス端末設置旅行会社でも小田急線区間を含む区間の発券が可能になった。一方で発売座席数が限定されている上、JR東海ではマルス端末から小田急のシステムにアクセスする機能が廃止されたため、御殿場駅ではMSR端末を別途配置し、小田急様式でJR地紋の指定のみ券を発券している。また2014年3月にJR西日本と小田急電鉄の連絡運輸が廃止され、小田急線を含む区間の同社みどりの窓口での販売を終了した。ファイル:IMG_20161001_234147.jpg| (現行)御殿場駅発行の特急券。JR様式の特急券と小田急様式の指定券の組み合わせとなる。
出典:wikipedia
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