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大瀧詠一 (アルバム)

『大瀧詠一』(おおたきえいいち)は、1972年11月25日に発売された大滝詠一通算1作目のスタジオ・アルバム。はっぴいえんどのセカンド・アルバム『風街ろまん』の原盤供給を制作元のアート音楽出版(URCレコード)から受けたいとの意向を、キングレコードのディレクター三浦光紀は持っていたが、はっぴいえんどはどうしてもURC側が譲れないとなり、そこで「ソロならばキングから出してもいい」と新たなアイディアが持ち出され、その最初として大瀧のソロ・アルバム制作が決まった。大瀧は、“アルバム”という呼び名は、もともとSP盤を束ねる入れ物がアルバムのように見えたのでそう呼ばれるようになったという話を耳にして以降、自分が作るならシングル盤6枚をリリースし、それらを集めてアルバム化したいと話していた。そしてソロ・デビュー・シングル「恋の汽車ポッポ」がリリースされた。2枚目のシングル「空飛ぶくじら」のリリース直前、三浦ディレクターがキング制作部教養課から独立して“ベルウッド”を設立、大瀧はソロを継続する意味合いからベルウッドに参加することになった。その結果、1枚目はURC原盤、2枚目からベルウッド原盤という変則的な形で、「空飛ぶくじら」はベルウッドの3枚目のシングルとしてリリースされた。その後諸々の事情により“シングル6枚構想”は“ソロ・アルバム構想”に変更され、大瀧は2枚のシングルはとりあえず習作と考え、1972年4月から新たにアルバム制作が開始された。もともとこのアルバムのタイトルは“乗合馬車”の意味で『オムニバス』となる予定だったが、シングル6枚構想が崩れた時点で『オムニバス』というアルバム・タイトルも消滅し、そこで考えられたのが自身の原点であるエルヴィス・プレスリーのデビュー・アルバムのタイトルだった。『』というシンプルなものだったことから、このファースト・アルバムも名前だけの『大瀧詠一』となった。ただし、アーティスト名と区別するため、一般には『ファースト』と呼ばれている。アルバムのデザインは“WORKSHOP MU!!”が手がけているが、奥村靫正によればジャケットおよび、レコード・レーベルのイラストは立川か横田のガレージセールのようなところで見つけたシアーズの1950年代のカタログのイラストレーションをアレンジしたものだという。また、野上眞宏は狭山に行ってからの“MU!!”を象徴しているのは本作だと言い、「アメリカン・ポップの路線が大瀧君のサウンドにばっちりマッチしたんだよね。あれが出たとき、みんなびっくりしたよね」「はっぴいの人たちも、大瀧君のファーストのアメリカン・ポップな感じがすごく気に入って、それで3枚目を“MU!!”に頼むことになったんだと思う」という。さらに自身が撮影したジャケット裏の大瀧のポートレートについては「矢吹申彦が当時音楽雑誌でジャケット・デザインの批評とか書いていて、いつも洋楽のジャケットしかとりあげないのに“写真がよい”とか書いてくれて嬉しかった記憶がある」と振り返っている。アルバム中袋にはこのアルバムを支えた人たちの写真と、ハーモニカを手に持った2歳ぐらいの時の大瀧自身の写真が付けられている。Oo Records第一回作品として、大瀧本人の書き下ろしライナーノーツ付き、ボーナストラック10曲入りでリイシューされた。本作の40周年に合わせて当初、大瀧は未発表音源も含めてリマスタリングを始めたが、原盤を所有するキングレコードが自社で行いたいとの意向を伝えてきたことで取りやめとなり、“Bellwood 40th Anniversary Collection 40周年特別企画 紙ジャケコレクション”11タイトルの内の一作として、オリジナルの曲順による紙ジャケット仕様の完全限定プレス盤でリリースされた。

出典:wikipedia

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