フレデリック・ウィレム・デクラーク(、1936年3月18日 - )は、南アフリカ共和国の政治家。「デクラーク」は英語読みで、アフリカーンス語では「デクレルク」のように発音する。大統領(第7代)、副大統領(アパルトヘイト廃止後初代)、下院議員、国民党党首(第7代)を務める。アパルトヘイト体制の解体、アパルトヘイト関係法の全廃に大きな役割を果たした。2015年現在、サハラ砂漠以南のアフリカ諸国で正式に大統領に就任した最後の白人である。国民党 (NP) の政治家で大統領を務めたこともあるの息子として、ヨハネスブルグで生まれる。1958年にポッチェフストローム大学の法律科を卒業。弁護士を経て、1972年に国民党 (NP) の国会議員に選ばれ、父の後を継いで政界入りをする。1978年に郵政相として初入閣し、その後1982年に内相、NPの旧トランスバール州代表に選ばれた。1984年からは国民教育相、白人閣僚評議会議長を務めた。1989年2月、大統領のピーター・ウィレム・ボータの後任としてNP党首に指名され、同党の次期大統領候補に推挙、8月から大統領代行の後、9月に正式に大統領に選出された。大統領に就任したデクラークは今までの政府(国民党)の方針を転換し、黒人達との交渉によって南アフリカの将来を決めていくといった現実的で柔軟な民主改革路線をとった。その政策方針により、アフリカ民族会議(ANC)やパン・アフリカニスト会議(PAC)、南アフリカ共産党の非合法化を解除し、ANC指導者のネルソン・マンデラを釈放した。1990年6月には非常事態宣言も解除して、1991年2月に国会開会演説ですべてのアパルトヘイト法を廃止すると宣言し、6月には人口登録法、原住民土地法、集団地域法を廃止した。これによりアパルトヘイトが法律上なくなった。1993年度、マンデラと共にノーベル平和賞を受賞した。1994年5月にマンデラ政権が発足すると第二副大統領に就任するが、1996年5月9日に連立政権から離脱して野党に転向。同6月末に第二副大統領を辞任し、翌1997年9月には国民党首を辞任して政界から引退した。
出典:wikipedia
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