更級郡(さらしなぐん)は、長野県(信濃国)にあった郡。1879年(明治12年)に行政区画として発足した当時の郡域は、下記の区域にあたる。出土した木簡などから大宝律令以前はのちの埴科郡と共に「科野評(しなのこおり)」を構成していたと考えられる。長屋王家木簡では「讃信郡」との郡名表記もなされている。神護景雲2年(768年)続日本紀に全国から善行のあった9人が朝廷から褒美を得た記述があり、4人までもを信濃の国の人が占めた。その内の建部大垣が当郡の人とされている。和名類聚抄には郷について村上・当信・小谷・更級・清水・斗女・池・氷鉋と、現在では東筑摩郡に属している麻続(麻績)が当郡に含まれていたという記述がある。千曲市八幡の社宮司遺跡から出土した9世紀前半の須恵器に付いていた漆紙文書に、出挙と呼ばれる古代の貸借税制の内容が書かれていることから、郡衙の位置として比定されている。
出典:wikipedia
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