鹿島郡(かしまぐん)は、茨城県(常陸国)にあった郡。「鹿行(ろっこう)地域」の名の由来となった郡のひとつ。大化5年(649年)に、下総国海上国造の部内軽野以南の一里と、那賀国造の部内寒目以北の五里を別けて神郡を置いたとされる。下総国海上国造の後裔を称する他田日奉神護が正倉院文書に遺した「他田日奉部直神護解」には、神護の祖父忍が孝徳期に海上郡少領であったことが書かれており、香島評の立評に同意したことが伺える。大化から天武天皇期にかけて順次設置されたとされる八神郡のひとつであり、鹿島神宮の所在地として重んじられ、養老7年(723年)11月16日には郡司に近親者の連任が許されている。一般に郡を治める郡司に近親者を続けて任命することは禁止されていたが、香島郡(鹿島郡)では神社を代々まつってきた鹿島氏が重視されたものである。8世紀以降の郡衙(郡家)跡は、鹿島神宮の南約1.5kmに位置する神野向遺跡(かのむかいいせき、鹿嶋市宮中、)で発見されている。この場所は『常陸国風土記』において「其の社の南」に郡家があるという記載とも一致する。遺構は8世紀前半から10世紀初め頃までの郡庁内郭・厨家相当施設・正倉院等で構成され、特に正殿周囲に回廊を有する点が注目される。現在、遺跡は国の史跡「鹿島神宮境内」のうちに附(つけたり)として指定されている。1878年(明治11年)に行政区画として発足した当時の郡域は、下記の区域にあたる。
出典:wikipedia
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