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羽幌線

羽幌線(はぼろせん)は、日本国有鉄道(国鉄)が運営していた鉄道路線(地方交通線)。北海道留萌市の留萠駅で留萠本線から分岐して日本海に沿って北上し、天塩郡幌延町の幌延駅で宗谷本線に接続していた。大きく留萠駅 - 羽幌駅間と羽幌駅 - 幌延駅間に分けられ、この2つの区間がそれぞれ留萠駅と幌延駅を起点として、南北から建設が進められた。留萠駅 - 羽幌駅間は軽便鉄道法により計画され、国有鉄道留萠線(るもいせん)の支線として1927年(昭和2年)10月25日に開業した路線である。1931年(昭和6年)8月15日までに古丹別駅までの区間が開業した後、同年10月10日に留萠線から分離され、羽幌線に改称された。羽幌駅 - 幌延駅間は、改正鉄道敷設法別表第144号に規定する「天塩国羽幌ヨリ天塩ヲ経テ下沙流別付近ニ至ル鉄道」である。1935年(昭和10年)6月30日に国有鉄道天塩線として、幌延駅 - 天塩駅間が開業。1936年(昭和11年)10月23日には天塩駅 - 遠別駅間が延伸開業した。これらの建設工事は太平洋戦争により一時中断したものの、1958年(昭和33年)10月18日に最後の区間である初山別駅 - 遠別駅間が延伸開業。これに伴い天塩線が羽幌線に編入され、留萠駅 - 幌延駅間が全通した。なお、開業当初は、羽幌線の列車は留萠駅を発車した後、深川方面の東留萠信号場まで1.3 km 走行し、同信号場でスイッチバックして羽幌方面に北上していた。これを解消するため、1941年(昭和16年)12月9日に留萠駅 - 三泊駅間が新線に付け替えられ、留萠駅にも羽幌線用の4・5番ホームが新設された。なお、東留萠信号場 - 留萠駅間は留萠本線・羽幌線の二重戸籍区間だったが、新線敷設と共に解消され、東留萠信号場も廃止された。もともとは羽幌町の炭鉱開発と運炭、そしてニシンの輸送を主な目的として建設された路線だった。しかし、炭鉱の閉山とニシン漁の不振、沿線人口の減少によって貨物・旅客の輸送量が減り、並行道路(国道232号)の整備も進んでいたため存在意義を失っていった。国鉄再建法の施行に伴い、1984年(昭和59年)6月22日に特定地方交通線(第2次)に選定され、北海道旅客鉄道(JR北海道)へ承継されることなく、国鉄分割民営化前々日の1987年(昭和62年)3月30日に廃止。本路線の廃止が、国鉄最後の路線廃止の事例となった。なお、「留萠駅」「留萠本線」は羽幌線営業時・廃止当時の表記で、羽幌線廃止後の1997年(平成9年)4月1日にそれぞれ「留萌駅」「留萌本線」に変更されている。全線が国鉄旭川鉄道管理局の管轄であった。廃止直前の普通列車は全線直通が6往復、さらに区間列車が運行されていた。優等列車としては、1962年(昭和37年)5月1日から札幌駅 - 深川駅 - 留萠駅 - 羽幌駅 - 幌延駅間を直通する急行「はぼろ」が1往復運行されていたほか、留萠本線の急行「るもい」が羽幌線内に普通列車として乗り入れていた。さらに、観光シーズンには臨時急行「天売」も運行されていた。「はぼろ」は札幌駅 - 留萠駅 - 幌延駅間(函館本線・留萠本線・羽幌線経由)の急行列車として、1962年(昭和37年)5月1日から1往復のみ運行されていた。1986年(昭和61年)11月1日に急行「るもい」と共に廃止され、これによって羽幌線の優等列車は消滅した。運行開始から廃止まで2両編成で運行された。※仮乗降場には、営業キロが設定されていなかった。括弧内に実キロを記す。( )内は留萠駅からの実キロ(いずれも営業キロ設定なし)。羽幌駅と、宗谷本線名寄駅間には、苫前炭田が産出する石炭の輸送や、沿線の森林開発などを目的として企図された名羽線計画があったが、結局開通することはなかった。詳細は、深名線#名羽線の項を参照。

出典:wikipedia

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