『空飛ぶモンティ・パイソン』(そらとぶモンティ・パイソン、、ただし第4(最終)シリーズでは のみ)は、1969年から1974年までイギリスのテレビ局 BBC が製作・放送したコメディ番組である。イギリスのコメディグループモンティ・パイソンがグループとして制作した初の作品である。同時代の事件や哲学に敏感に反応するとともに、同性愛や民族・宗教上の差異を扱ったきわどいネタも多く、そのナンセンスさと毒の強さは以後コメディにとどまらず多くの欧米文化に影響を与えた。特に本国イギリスではコメディ番組の時代毎の傾向を(それ以前にもそれ以降にも様々なコメディ番組を輩出したにも拘らず)「パイソン放送以前」( 1969年以前)・「パイソン放送当時」( 1969年 - 1974年)・「パイソン放送以後」( 1975年以降)とカテゴライズするところからも如何にこの番組が英国コメディ番組史に多大な影響と衝撃を与えたかが読み取れる。また、BBCが公共放送であるにもかかわらず、王室の関係者や政治家の映像、マーガレット王女のぬいぐるみなどをあまり敬意を払わないような使い方でコントに用いることもあった。番組のオープニングテーマはアメリカの作曲家ジョン・フィリップ・スーザの「自由の鐘」をアレンジ(BBCのスポーツ番組のテーマに使われていたのを転用)したものである。また、オープニングアニメの最後に空から落ちてくる巨大な足のビジュアル・イメージは強烈で、パイソンズのトレードマークとしてしばしば使用される。モンティ・パイソンの6人が出演しているが、第4シリーズ(最終)ではジョン・クリーズが参加しなかった。その理由として夫婦で関わっていたフォルティ・タワーズが影響していたと考えられる。彼は第2シリーズの後半あたりですでに番組に飽きており、第3シリーズでの出演も半ば義理のようなものだった。第3シリーズの彼は『チーズショップ』のほかは数えるほどしかスケッチを執筆していないが、第4シリーズの時はいくつかのスケッチを提供している(そのため、「脚本」のところに彼の名前がクレジットされている)。手薄になった出演者陣を埋めるためか、アニメーション担当のテリー・ギリアム自身の出演が増えた。また、西ドイツ向けに特番『空飛ぶモンティ・パイソン ドイツ版』も製作されている。日本では1976年から1977年にテレビ放映されている。当初番組のタイトルはなかなか決まらなかった。タイトル案は『カナダはどっちだ?』や『フクロウの柔軟体操の時間』などシリーズのサブタイトルにされたものや、『コーンフレークという名のショーはなし』、『ザ・プラスチック・マック・ショー』などといったわけのわからないものばかりだった。しかし当時『空飛ぶモンティ・パイソン』をプロデュースしたBBCのプロデューサー、バリー・トゥックがこの企画を突き通そうとしたため社内での悪評が立ち、まわりが番組企画を『トゥック男爵のフライング・サーカス』と呼び始めるようになった。そのためにBBCは番組名を『フライング・サーカス』にするようパイソンズに命令、パイソンズは『~フライング・サーカス』の上の部分を考え、みんなで案を出し合っているうちに『モンティ・パイソンズ~』というアイデアが出、それに決定した(マイケル・ペイリンは『グゥエン・ディブリーズ~』が気に入っていたという。これは、ペイリンが女性雑誌の中から見つけた実在の女性の名前。実際の放送の中にも「ディブリー」という名前(または地名)がたまに登場する)。彼らの番組はその内容の過激さからBBCの一番の検閲対象となった。初めは彼らが無名だったためBBCもあまり気にはしていなかったのだが(BBCは初回の台本さえ読まなかった)、内容の危なさが分かったころ、しつこく検閲をするようになっていた(第1シリーズの第4話の放送が10月26日、第5話が11月16日と間が空いているのは、BBCが一時検閲のため放送を中止したのが原因)。第2シリーズ第6話では、アニメ中の「王子はガンで死んでしまいました」というセリフが、再放送時に「ガン」を「壊疽」に差し替えられた(しかも、オリジナルが女性のナレーションだったのに、BBCはその上に男性のナレーションを重ねてしまった)。もっとも有名な検閲は、第3シリーズ第5話の最初のスケッチ、『オール・イングランド プルースト要約選手権』において、「趣味は、動物の首をしめることと、ゴルフと、そして、マスターベーション。」というセリフがあり、ナレーターが「あまりいい趣味ではありませんね。…この辺ではあまりゴルフは人気がありません。」と続けるシーン。BBCは、この「マスターベーション」の部分の音声を消してしまった(そのため視聴者は、「趣味はゴルフ…」でなぜ画面のバックで笑いが起こるのか分からなかった)。また、第3シリーズ第10話では3本のスケッチを丸々カット、他のエピソード用だったスケッチで穴埋めされた。第3シリーズ第12話では、最初のスケッチ『保守党になり代わっての政見放送』を再放送時に丸々カットした(このスケッチは、『40thアニバーサリーBOX』に特典映像として収録されている)。彼らが自ら規制した稀有な例もある。ジョン・クリーズは再放送時、「キリストが電信柱の十字部分に縛り付けられている」というギリアムのアニメをカットした。また、クリーズは第3シリーズ第10話の検閲に賛成するなど保守的なBBC寄りであった。『空飛ぶモンティ・パイソン』はいくつかの短いスケッチ(コント)で構成されることが多い。特徴として、それまでのコメディ番組にあった司会進行役を排し、それらの短いスケッチ(やテリー・ギリアム作のアニメーション)を巧みに繋ぎ合わせ、番組の流れを止めることなくテンポ良く展開していくところにある。しかもリンク(つなぎ)する、という前提で作られていることもあり、一つ一つのスケッチは意図的にパンチライン(オチ)を排した形のものがほとんどである。スケッチの台本制作は大まかには2つのライティング・チームである『クリーズ・チャップマン組』、『ペイリン・ジョーンズ組』、そして『アイドル単独』に分けられ、これにスケッチは書かない『ギリアムのアニメ』が加わりそれらを組み合わせることで一話の構成をなしている。台本の読み合わせ会議では、お互いが台本を読むタイミングや内容などを考慮しあう一種の駆け引きが行われ、お互いが自分のスケッチをよく見せようと攻防を繰り広げていたという。彼らは一見まとまりのないバラバラのスケッチに、アイデアを付け足して統一感をもたせ、それをギリアムのアニメでつないで番組を作り上げていた。ケンブリッジ大卒でもあるクリーズ・チャップマン組はきっちりとした構成の中にバカバカしさを潜ませるものを得意とし、舞台設定としては机やカウンターを挟んで二人の男が会話する、といったものが多い。彼ら自身が軍人や医師といった権威の側に立っている役(しかし彼らの振る舞いがバカバカしく描かれる)として登場するものはほぼ彼らの作と見ていい。彼らの作品は対立構造をはっきりと描いており、登場人物が互いにセリフの応酬をぶつけ合う、言葉重視でロジカルなのが特徴である。それと対照的なのがオックスフォード大卒のペイリン・ジョーンズ組の作りで、はっきりとバカバカしさを土台としたビジュアル重視の作りになっているものが多い。街の風景がパンする映画的な出だしのものや、一般的な家庭が舞台で、彼らがペッパーポットを演じていたりする場合は彼らの作の場合が多い。オックスフォードとケンブリッジ、歴史的にも古いこの二つの大学の対比をOBでもある彼ら自身が醸しているともいえよう。ちなみにこの両校にはそれぞれ「オックスフォード・レビュー」と「ケンブリッジ・フットライツ」という歴史のあるコメディ・サークルが存在し、彼らをはじめとするイギリスを代表するコメディアンのほとんどが学生時代にここで腕を競い合い、後にコメディ業界へと身を投じている。この二組と一線を画しているのがアイドル(ケンブリッジ大卒)の単独作で、自らも作曲をこなすアイドルらしく、意味なくミュージカル仕立てなものは彼の作と考えられる。しかし彼の真骨頂は言葉遊び(Word Play)の込められたスケッチで、演者が早口でまくしたてるものや映像にしにくいものを台詞として表現することで笑いにするものは彼の作と考えられる。とくに「映像にしにくい〜」タイプのものはまくしたてる台詞を見る側の想像力を喚起させる事でその表現の違和感を笑いにするといった、日本の落語でいう所の『頭山』のような不条理さを感じさせながら笑わせる秀逸なものが多い。シチュエーションとしては、ニュースキャスターや本の読み手といった、カメラに向かって語りかけるようなモノローグが多く、内容としてはしゃべっているうちに辻褄が合わなくなるものや、単純にダブル・ミーニングやアナグラム等を使ったワンライナー・ジョーク的なシンプルで短いものが多い。唯一のアメリカ人でもあるギリアムの切り絵のストップモーション・アニメに関しては古い絵画や19世紀末頃の撮影と思われる様々な普通の人物の写っている写真、または自らの描いた絵を利用して、おかしな動きをさせたり、変なキャラクターと組み合わせたりしているものがほとんど。ペイリン・ジョーンズ組のスケッチすら日常の風景に即していながらバカバカしい要素を混ぜ込んでいるスタイルをとっているが、ギリアムのアニメはその日常そのものがなく、最初からバカバカしい不条理さ、異常な光景がさも当たり前のように存在している。また、彼のアニメは主にスケッチとスケッチの間のリンク(つなぎ)を担当しており、スケッチを流れよくまとめる上で重要な役割を果たしている。ギリアムは美術館の絵画や彫刻(著作権がないため使いやすかったという)、BBCにある資料を使い、それに効果音やメンバーの声を入れてアニメを制作していた。予算がないためアシスタントは雇えず、ギリアムは1話分のアニメをたった2週間で一人で作り上げていた。徹夜もしばしばだったという。東京12チャンネル(現:テレビ東京)のほか、関西地域などの放送局でも同時期に放送されていた。以下は、東京12チャンネルでの放送時期。
出典:wikipedia
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