貯蓄銀行(ちょちくぎんこう)とは、個人の貯蓄を引き受けることを主目的とする金融機関である。元来は19世紀に欧米諸国に広まった、庶民に対して倹約を奨励し貯蓄により生活を安定させるための公益的な金融機関であった。社会意識を持った個人により設立される場合と、公的な取り組みで設立される場合とがあり、郵便貯金はもともと後者の一形態であった。各国で独自の消長をたどっており、現状は一概には要約できない。18世紀ヨーロッパに起源がある。New Student's Reference Work(1914年出版)によれば、現在、ヨーロッパの貯蓄銀行は小口の(すなわち個人や中小企業むけの)支払・貯蓄商品・クレジット・保険などを中心業務としつづけている。また広域なネットワークを持つ都市銀行と違い、地域的な業務を行っている。日本の貯蓄銀行は1880年に開業した東京貯蔵銀行を嚆矢とし、1893年に法制化され20世紀初頭に隆盛をみたが、その後は普通銀行への転換・合併が続き1949年に消滅、1981年に法制上廃止された。もともと欧米を参考にしていたものの、実際には営利目的でかなり性格の異なるものであった。生活安定を目的とした公益的な金融機関としては郵便貯金(1875年-2007年)がその役割を果たし、また信用組合がそれに類似した性格を持っていた。東京貯蔵銀行の開業した当時は金融業に対してほとんど規制がなく、維新以前からの伝統的な金融業者に加え、士族による授産事業、大地主や商人による殖産興業、篤志家による社会事業などを目的とした多数の金融業者が生まれていた。明治政府は欧米を参考に貯蓄銀行の導入を検討していたが、郵便貯金が1875年に始まったことを除けば、具体的な施策には結びつかず放任状態であった。その後1883年に大蔵省の実態調査で不健全な経営が目立ったため、それ以後は小口金融に対する規制が試みられるようになった。1890年に銀行條例および貯蓄銀行條例が公布(1893年施行)され、普通銀行と貯蓄銀行の制度が定められる。これにより1口あたり5円(現在の10万円程度)以下の零細な預金をも引き受ける金融業者が貯蓄銀行となった。この条例は制定時には預金者を保護するために金融業者に厳しい運用規制を課すものであった。しかし、間もなく1895年には規制が緩められ、その結果都市部を中心に多くの貯蓄銀行が設立された。その数は1906年に486行に達したが、これらの多くは公益のための金融機関というよりは、零細資金を吸い上げて投機的な貸し付けを行うか、または中小規模の普通銀行へ提供するだけの不健全な営利機関となっていた。こうした状況を改善すべく、1902年には大規模な国立貯蓄銀行の設立が企画されたが実現せず、また営業制限の厳格化を意図した条例改正案もたびたび作成されたが成立しなかった。ちなみにこうした経緯が郵便貯金の拡大につながったと考えられる。1920年に第一次世界大戦後の反動恐慌により多くの貯蓄銀行が破綻すると、ようやく貯蓄銀行法が制定(1922年施行・1981年廃止)され業務内容が厳しく規制された。兼業禁止や独立性の維持が求められ、運用面でも地方公共団体以外への貸出を禁じ、主として株式や債券市場での運用を強要されるなどの厳しい条件であったため、515行にのぼる貯蓄銀行が普通銀行へ転換した。これにより貯蓄銀行の経営は健全化された。1943年に普通銀行の貯蓄銀行業務兼業が認められると普通銀行への吸収合併が進んだ。第二次世界大戦の戦時体制下では大手貯蓄銀行9行が日本貯蓄銀行として合併したが、これも戦後に普通銀行へ転換して協和銀行(現在のりそな銀行)となった。1949年1月に青森貯蓄銀行が普通銀行「青和銀行」へ転換(現在のみちのく銀行)したのを最後に貯蓄銀行はなくなった。この結果、日本の貯蓄金融機関は郵便貯金のみとなった。郵便貯金は世界貯蓄銀行協会(WSBI)にも加盟する世界最大の貯蓄銀行であったが、2007年に行われた郵政民営化によるゆうちょ銀行の発足により消滅した。
出典:wikipedia
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