株式会社太陽神戸銀行(たいようこうべぎんこう、英称:"Taiyo-Kobe Bank Limited.")は、かつて存在した日本の都市銀行。現在の三井住友銀行の前身の一つ。都市銀行の神戸銀行と太陽銀行(日本相互銀行が都市銀行に転換して誕生した銀行)が1973年10月1日に合併して誕生(存続会社は神戸銀行)。統一金融機関コードは神戸銀行を継承して0014。1990年4月1日に三井銀行と合併して太陽神戸三井銀行となった(存続会社は三井銀行。後にさくら銀行と改名。以後、特段の断りがある場合を除き、太陽神戸三井銀行時代を含めて「さくら銀行」と記述する)。兵庫県および神戸市の指定金融機関であり、それは三井住友銀行にも受け継がれている。現在の東京証券取引所に上場していた。本店は神戸市中央区(旧神戸銀行本店。現:三井住友銀行神戸営業部)の旧居留地地区にあったが、実質的な本社機能は「神戸本部」と「東京本部」の2本部制で、旧神戸銀行本店を神戸本部、旧太陽銀行本店を東京本部とした(それぞれ、本店営業部、東京営業部を設置)。東京本部は、発足直後に千代田区九段南の新築高層ビル(1977年竣工の東京堂千代田ビル)に移転し、移転後の旧太陽銀行本店は東京中央支店となった。神戸本部も、1987年に高層ビルに改築(東京本部とは違い、移転はせずに同じ地で改築)された。旧太陽銀行は東京の無尽会社、旧神戸銀行は兵庫県内の銀行をそれぞれ合併した銀行であったため、両行とも規模に比して非常に多くの店舗を持っていた。また合併後も旧太陽・旧神戸の対立が根強く、三井銀行と合併するまで、ついにプロパーの頭取を出せなかった。ちなみに発足当初の陣容は、岡崎忠相談役、河野一之相談役、石野信一会長、塩谷忠男頭取(元日銀政策委員、1941年大蔵入省)、奥村輝之副頭取(元大蔵省国際金融局長、1942年大蔵入省)であった。ただし、三井銀行との合併後の1994年6月には、旧神戸銀行出身の橋本俊作がさくら銀行頭取に就任している。発足時に制定された行章は、赤い丸で太陽を表し、中の白い部分は神戸の“K”をシンボライズするとともに、それを∞(無限大)型にすることで「港町・神戸の無限なる発展」を表現したもので、デザイナーは大橋正である。また一般向けのキャッチフレーズは「ひろげましょう ほほえみの輪を」だった。太陽神戸銀行本店はさくら銀行神戸営業部(関西本部)→三井住友銀行神戸営業部(神戸本部)として現存している一方、東京営業部はさくら銀行本店営業部→三井住友銀行九段営業部を経て三井住友銀行本店(旧三井銀行本店)に統合されて消滅した(当時の建物は、現在あおぞら銀行本店となっている)。三井との合併後、旧太陽銀行系の小規模店舗はあさひ銀行への営業譲渡や統廃合で閉鎖され、兵庫県内の不採算店舗はみなと銀行へ譲渡されている。さらに、住友銀行とさくら銀行の合併後、太陽神戸の東京営業部は前述のように消滅し、旧太陽の本店だった東京中央支店(八重洲一丁目)は、旧住友店である日本橋中央支店(日本橋二丁目)を統合し、同店の跡地に統合後の東京中央支店を設置していた(電話番号は、旧日本橋中央支店の代表番号を継承)が、2009年に同じ日本橋二丁目に所在する別のビルに移転している。現在でも残っている旧太陽神戸の本店クラスの店舗は、神戸本部だった三井住友銀行神戸営業部のみである。みなと銀行を子会社化し、かつ、住友銀行との合併後は近隣の大阪にも本店クラスの店舗(大阪本店営業部。旧住友銀行本店)があるにもかかわらず、今もなお神戸に本店クラスの店舗を維持しているのは、岡崎財閥の時代から年月を経た今でも、神戸には、全国ないし世界に事業展開している(第二地方銀行であるみなと銀行が取引するよりも、全国ならびに世界に店舗を持つメガバンクが取引するのがふさわしい)取引先企業が多いことを意味していると考えられる。また、三井住友銀行となった現在でも兵庫県内における重複店のほとんどが、旧神戸系店舗が店名を維持し旧三井・住友系の近隣店を吸収している。太陽系の店舗においては、都道府県所在地名を店舗に限れば、前身他行が未出店であった、前橋・甲府・長野各支店等である。
出典:wikipedia
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