トラーパニ()は、イタリア共和国のシチリア島西部に位置する都市で、その周辺地域を含む人口約7万人の基礎自治体(コムーネ)。トラーパニ県の県都である。地中海に面した港湾都市であり、沖合のエーガディ諸島や地中海沿岸各地へ向かうフェリーが発着する玄関口である。コムーネ単体の人口はマルサーラに次いで県内2位であるが、エーリチェのカーサ・サンタ地区とも市街地が連続しており、都市圏人口は約10万人である。 は と発音される。日本語文献では「トラーパニ」のほか、「トラパニ」とも表記される。イタリア語以外の言語では以下の名を持つ。歴史上は以下の名で呼ばれた。トラーパニ県北西部のコムーネで、地中海(ティレニア海)に面する。トラーパニの市街は、州都パレルモの西南西約75km、アグリジェントの北西約122km、チュニジアの首都チュニスの北東約247km、サルデーニャ島のカリャリの南東約324kmに位置する。コムーネの面積は 271.72 kmにおよび、マツァーラ・デル・ヴァッロに次いで県内第2位の広さである。市域は、パチェーコを挟んで北と南の2つに分断されており、トラーパニ市街のある北側の「本体」よりも、南側の飛び地の方が大きい。トラーパニ市街のある「本体」と隣接するコムーネは以下の通り。南部の飛び地と隣接するコムーネは以下の通り。エリミ人()が、近隣の都市エリュクスの港として町をつくった。港が鋭くカーブしている姿から、古代ギリシャ人からドレーパノン(、鎌)と名付けられた。紀元前260年にカルタゴが町を掌握してから、重要な海軍港となった。第一次ポエニ戦争中、紀元前249年よりローマ軍がこの都市に対して攻城戦を仕掛けたが(ドレパナの戦い)、ドレパナ沖の海戦でカルタゴ海軍はローマ海軍による海上封鎖を破り、戦況は膠着した。紀元前241年、アエガテス諸島沖の海戦でローマ海軍がカルタゴ海軍に対して勝利を収め、第一次ポエニ戦争は終結。ローマがドレパナを手に入れた。第二次世界大戦中、連合国軍の爆撃で市は壊滅的な被害を受けた。戦後復興し、市街がサン・ジュリアーノ山の麓まで広がった。トラーパニには以下の分離集落(フラツィオーネ)がある。何世紀にも亘って、塩田や製塩産業が栄え、「塩の道」の途上にあることから、独特な文化や経済が生まれている。経済の大部分は今も海に依存している。漁業と、水産品の缶詰製造は重要な地元産業である。地元の猟師たちは、マッタンツァ(Mattanza)と呼ばれる独特の漁法でマグロ漁を行うことが知られている。サンゴは重要な輸出品で、大理石も同様である。トラパニ県は、世界でも有数のワインの産地である。エーリチェ、セジェスタ遺跡、エーガディ諸島に近いため、観光が近年伸びてきている。プロサッカークラブ「トラーパニ・カルチョ」のホームタウンである。トラーパニ・カルチョは、1905年に設立された、シチリアで最も古いサッカークラブのひとつで、2013-2014シーズンはセリエBに所属している。ホームスタジアムは、隣接するエーリチェ市域のスタディオ・ポリスポルティーボ・プロヴィンチアーレ。主要フェリー港であり、エーガディ諸島の他パンテッレリーア島、サルデーニャ島、チュニジアへの便がある。トラーパニ・ビルギ空港は、南のマルサーラとの境界付近に位置する。このほか、市街東方には軍用のトラーパニ・ミロ飛行場、南方にボリッツォ飛行場(トラーパニ・キニザ空港)が所在した。
出典:wikipedia
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