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向ヶ丘遊園駅

向ヶ丘遊園駅(むこうがおかゆうえんえき)は、神奈川県川崎市多摩区登戸にある小田急電鉄小田原線の駅である。駅番号はOH 19。周辺地域は「ゆうえん」の略称で呼称されることもある。現行の駅名である「向ヶ丘遊園」は、最寄駅ともなっており2002年まで存在していた遊園地「向ヶ丘遊園」の知名度を上げるために、それまでの「稲田登戸」から改称された。なお、地元住民からは「向ヶ丘」や「遊園」という通称で呼ばれる。向ヶ丘遊園は閉園となり存在しないが、定着した駅名は変更されずに現在に至るまた、旧駅名である「稲田登戸」(いなだのぼりと)は、この駅が開業当時、稲田村大字登戸に設置されたことによる。なお稲田村(後に稲田町)は1938年に川崎市に編入された。島式ホーム2面4線を有する地上駅で待避が可能である。駅の小田原よりに引き上げ線があり、折り返し列車が存在する。この引き上げ線から直進すると急行線の3番ホーム、引き上げ線から左に分岐すると緩行線の4番ホームである。上り本線からは直進すると引き上げ線から4番ホーム線に向かう線路に合流し、右に分岐すると引き上げ線から3番ホームに向かう線路に合流するという構造である。この構造により、上り列車が3番ホームに進入する際には、分岐器の速度制限を受けるため、当駅に停車しない特急ロマンスカー・快速急行・多摩急行は低速で通過する。駅舎は北口と南口の2つがある。北口駅舎は歴史的建造物に値するギャンブレル屋根の駅舎であり、開業当初の新原町田駅(現・町田駅)、本厚木駅、大秦野駅(現・秦野駅)、新松田駅と同一の型のものである。また、現駅舎の柱や梁には廃材となったレールが多用されている。2009年3月に、東北沢 - 和泉多摩川間複々線工事の関連として隣の登戸駅との間で、輸送力増強のため上り線を2線に線増する3線化を完了した。この3線化は、「上り線においては複々線と同じ効果がある」と広報されている。完成後、上り列車は上述した当駅手前の分岐器で急行線(3番ホーム)と緩行線(4番ホーム)に振り分けられ、一部列車を除いて緩急接続は隣の登戸駅で実施するようになった。これに先立って2007年9月8日から9月9日まで登戸駅 - 当駅間で線路切り替え工事が行われた。これによって下り線ホームの一部位置が変更になり、ホームの形状も改変されたところがある。※下り梅ヶ丘 - 登戸間、上り当駅 - 梅ヶ丘間の急行線・緩行線は原則として以下の通り使い分けられている。 特急ロマンスカー・快速急行・多摩急行・急行・準急が使用する。各駅停車が使用する。2016年3月26日のダイヤ改正まで、東京メトロ千代田線・JR常磐線方面の直通列車は、日中、多摩急行として1時間あたり2本(30分間隔)運転され、当駅を通過し、平日の朝ラッシュ時のみ急行として運転され当駅に停車していた。同日改正より、当列車は日中にも運転され、間隔が1時間あたり3本(20分間隔)に増え、当駅・経堂駅の両駅に停車するようになった。朝ラッシュ時は引き続き経堂駅を通過する。また、平日・土曜休日共に朝ラッシュ時に同方面へ、平日夕ラッシュ時に同方面からの本厚木行きの準急が運転され、当駅に停車するようになった。この他、平日ダイヤの上り本厚木始発準急新宿行き1本は、当駅において始発の準急新宿行き(※経堂駅まで各駅停車、経堂から準急)に接続する。下り線の2線化区間は登戸駅で終端となっているため、下りは1番線が待避ホーム、2番ホームが主本線となっている。一方、当駅 - 登戸駅間の上り線2線化前は4番ホームは待避線であったが、線形を引き上げ線から3番ホーム、上り本線から4番ホームへ直進で入る様に変更され、朝ラッシュ時は3番ホームから各停(主に始発)、4番ホームから急行という形で干渉しないように交互発着を実施する場合も多かった。1番ホーム・4番ホームに8両編成がそれぞれ夜間留置される。2011年9月3日に多摩区内に藤子・F・不二雄ミュージアムが開館するのを記念して、同日からミュージアム最寄駅である当駅と登戸駅の駅自動放送に藤子・F・不二雄原作アニメ作品主題歌のオルゴール調接近メロディを採用した。上りホームは『ドラえもん』主題歌「ドラえもんのうた」、下りホームは『キテレツ大百科』主題歌「はじめてのチュウ」である。これは小田急では『ウルトラマン』『ウルトラセブン』の楽曲を採用した祖師ヶ谷大蔵駅、いきものがかりの楽曲を採用した海老名駅・本厚木駅に次いで3例目となる。2014年度の1日の平均乗降人員は64,411人である。小田急電鉄全70駅中第18位。1日平均乗降人員および乗車人員推移は下表のとおり。川崎市北部地域の行政中心地、新宿から見ると東京都区内を抜けて多摩川を越えた「近郊区間」の西限、そして向ヶ丘遊園の存在から、向ヶ丘遊園(稲田登戸)駅は小田急線の運行で重要な位置を占めてきた。しかし、川崎市内の多摩丘陵地域の開発や多摩ニュータウン建設(小田急多摩線開業)による人口構造の変化に向ヶ丘遊園の閉園が重なり、現在では通常の「急行」を除く各種急行が通過し、特急「さがみ」の停車本数も激減するなど、特に優等列車の利用については利便性の低下が生じている。江戸時代に津久井街道の宿場として発展した登戸地域(旧稲田町)の中心地域であり、現在でも川崎市多摩区の行政中心地として各種公共機関が立地している。JR南武線を挟んで北側に多摩川が流れ、比較的平坦な地形で、かつては梨園(下記参照)などが広がる農村地域だったが、高度経済成長以降は人口が急増し、現在では駅から離れた場所でも住宅地の方が多くなっている。駅の改札口を背にすると、西側(左斜め)に向かって登栄会商店街が延びており、当駅を起点とする小田急バスはこの通りを行き来する。この通りの先、津久井道の旧道(現在は市道)を渡った所に多摩区総合庁舎(区役所)があり、県道世田谷町田線(津久井道)と直交する。世田谷町田線を南西方向に進むと登戸郵便局、多摩警察署、多摩消防署が立地する。世田谷町田線を渡った北側には神道系の新宗教である丸山教の本部がある。丸山教は当駅の設立の際に土地を提供するなどの貢献があったこともあり、当駅の北口にある売店が同教系列で運営されていた。一方、北東側(右斜め)に向かって中央銀座商店街が延びている。同商店街は津久井道の旧道と合流し、登戸駅の東通り商店街につながる。溝06・登14・淵24の3系統は、登栄会商店街から駅前バス停を経由してこの通りを進み最終的には登戸駅にいたる(各系統の詳細は後述)。向ヶ丘遊園駅北口地区では登戸駅西口地域と一体となって1988年から「登戸土地区画整理事業」が行われており、出口右側(北側)に仮設バス乗り場が、左側はタクシー乗り場および、駐輪場と駅西側の踏切へ通じる細い道路がある。かつては出口左手にバス乗り場・タクシー乗り場があり、用地が狭くバスが転回できないため電動のターンテーブルで方向転換していたが、2006年7月に廃止されて出口右手の仮設バス乗り場に移転した。9月ごろには、ターンテーブルを撤去してタクシー専用乗り場として整備された。一方、右手にはマルシェがありコンビニエンスストア・飲食店などが入居していたが、同事業に基づいて撤去され、23階建て高層ビル「アトラスタワー」が建設された。同駅周辺ではこれが最も高い建築物で、仮設バス乗り場は周囲の緑地部分および駅前バス広場の予定地を流用している。同ビルには東急ストアが進出し、北口地域では最大の商業施設となっている。ただし、計画決定が上記の通り1988年、懇談会で土地区画整理方式の採用を決定したのは1981年と既に30年以上が経過しているが、この区画整理事業は依然として難航し、完成の目処は立っていない。川崎市が公表した資料によると、2012年12月31日現在での整理後の土地使用開始率は49.1%で、特に登栄会・中央銀座の両商店街から登戸駅前方面にかけてはほとんど手つかずの状態にある。これは同地域での大規模商業施設進出や交通環境の改善を阻み、集客力で新百合ヶ丘駅周辺地域に劣る悪循環を招いている。また、区画整理事業の完成を前提として計画されている和泉多摩川駅以南の小田急線複々線化事業にも影響を及ぼし、小田急電鉄は和泉多摩川-向ヶ丘遊園間での三線化を実施して特に朝の通勤時間帯における新宿方面への輸送力増強を先行して進めている。駅舎と駅前の間は平坦であり、階段・エレベーター・エスカレーターはない。駅前の停留所に川崎市交通局・神奈川中央交通(相模神奈交バス)・小田急バスの路線が乗り入れる。小田急バスはロータリー内、川崎市バス、神奈中バス登戸方向は中央銀座商店街が乗り場となっているが、神奈中バス淵野辺方向は、登戸方向の停留所の道路の反対側(停留所標識なし)が乗り場となっている。向ヶ丘遊園駅(川崎市交通局は「向丘遊園駅前」)北口と比較すると多摩丘陵の北端が駅の近くまで迫り、特に五反田川の南側では傾斜が急になる。旧稲田町時代から行政中心地だった北側より、比較的新しい時期に住宅開発がなされた地域でもある。駅の南側を県道川崎府中線(府中街道)が通り(小田急線を跨線橋で越え、多摩警察署の前で世田谷町田線と交差)、向ヶ丘遊園駅の南口からはこの川崎府中線へ片側2車線の道路が延び、五反田川を渡った地点で稲生橋交差点となっている。このため自動車でのアクセスは北口より容易である。駅から見て、同交差点を直進すると丘陵地に入り、岡本太郎美術館や日本民家園などがある生田緑地の入口へ向かい、その先は東名高速道路の東京料金所(向ヶ丘バスストップ併設)方面へとつながる。この道路を利用して、2010年から川崎市交通局が溝19系統の試験運行(向ヶ丘遊園駅への乗り入れ)をし、2014年3月より正式に運行を開始した。この道路は五反田川の手前で登戸駅方面からの市道(小田急線の東側を通る道路)と合流し、この道路を通る登戸駅発着のバスはその近く、ダイエー向ヶ丘店前にある「向丘遊園駅入口」バス停からの乗車が可能となっている(下記参照)。駅前道路の中央分離帯上には2000年2月13日まで運転していた小田急向ヶ丘遊園モノレール線の高架線が建設されていたが、廃線後に撤去され現存しない。この道路沿いにダイエーが1971年に向ヶ丘店を開業し、現在でも北口を含めた同駅周辺で最大の商業施設となっている。丘陵地帯には公園や教育・研究機関が設置され、1934年には日本女子大学、1951年には明治大学、1957年には専修大学が進出して向ヶ丘遊園駅周辺に学生街の要素を加えた。明治大学生田キャンパスの敷地の一部は、1939年に開設された大日本帝国陸軍の各種兵器開発・技術研究機関である登戸研究所の跡地を利用している。両大学への路線バスは北口から発着して世田谷町田線を経由しているが、徒歩で通学する場合は南口を利用した方が近い。傾斜地のため開発が比較的遅かったこと、自然が多く残るという環境への人気から、北口と比較すると大規模マンションの建設が目立つ。一方、駅東側の平坦地では北口同様に一戸建てなどの低層住宅が多く、かつては果樹園との混在も多く見られた。2002年3月31日まで、歩いて十数分(上記のモノレールでは所要時間3分)の所にばら苑で知られる向ヶ丘遊園も営業し、小田急の文化観光事業で重要な存在となっていた。遊園の閉鎖後は遊戯施設が撤去されたが、ばら苑は川崎市および地元有志の手により維持され、春と秋の年2回の一定期間内に限り一般公開されている。前述の藤子・F・不二雄ミュージアムは向ヶ丘遊園跡地の一部、府中街道沿いの区画に建設されたが、ミュージアムへのシャトルバスは東口の区画整理事業が完成してバスターミナルが整備された登戸駅からの発着となっている(向ヶ丘遊園駅からもバス(溝06,向01,02)で行くことはできる)。残る森林部分については生田緑地に組み入れられる方向で検討されている。五反田川を越えて徒歩5分の所には稲田登戸病院が開設されていたが、改築問題がまとまらずに2006年3月31日限りで閉院となり(跡地にはマンションが建設)、多摩区地域の総合医療業務は同年2月に開業した川崎市立多摩病院へと事実上継承された。駅舎と駅前歩道の間に階段・スロープがある。駅前ロータリーに川崎市交通局(川崎市バス)・東急バスの路線が乗り入れる。向丘遊園駅南口(川崎市)・向ヶ丘遊園駅南口(東急)溝06、登14系統のうち登戸駅を発車する便には、「向丘遊園駅入口」(ダイエー前、当駅より徒歩3分)から乗車が可能となっている。なお、溝口駅に向かう溝06系統、溝19系統は、同じ5番乗り場から発車するが、途中経路・終点地が異なる。

出典:wikipedia

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