くりぃむしちゅーは、上田晋也と有田哲平の2人からなる日本のお笑いコンビ。ナチュラルエイト所属。コンビ名の由来は有田の好物クリームシチューから。旧コンビ名は「海砂利水魚(かいじゃりすいぎょ)」。略称は「くりぃむ」(海砂利水魚の略称は「海砂利」)。上田晋也(うえだ しんや、1970年5月7日 - 、血液型O型、星座おうし座)有田哲平(ありた てっぺい、1971年2月3日 - 、血液型不明、星座みずがめ座)2人は熊本県立済々黌高等学校の入学式当日に出会い、その後共通の趣味であるプロレスをきっかけに意気投合。そろってラグビー部に入部し親交を深める。2人は非常に仲がよく、ラグビー部ではコンビを組みよく部員を笑わせていたという。顧問の先生や部員におかしなあだ名を付けたり、2人が「事件」と呼ぶ数々の笑える出来事が起こったりした済々黌ラグビー部こそが、くりぃむしちゅーの笑いの原点であったと、後に2人はオールナイトニッポンの中で回想している。当時の上田はいわゆる学校の番長的存在で、有田はその上田に付いていくような感じであった。有田によれば、上田は硬派らしく済々黌で初の童貞番長だったという。有田は高校卒業後、現役で明治大学法学部二部に合格。浪人が決まった上田から「一緒に早稲田に入ろう」と誘われ、有田は大学に入学せず2人別々の予備校に通う。1年後、上田は早稲田大学教育学部国語国文学科に合格するも、有田は早稲田大学に合格することができなかった。有田は自分と同じように上田がまた浪人してくれると思っていたが、上田から「お前は立教がいい」と言われ、上田は早稲田大学に、有田は立教大学に入学した。上田は大学を中退。芸能事務所に履歴書を送る日にたまたま久しぶりに有田哲平に会ったことが縁となり、上田は有田を芸能界に誘う。有田も大学を中退。 1991年にコンビ『海砂利水魚』を結成しコント山口君と竹田君の付き人としてスタートする。1992年から開始したフジテレビ系のバラエティ番組『ボキャブラ天国』シリーズに出演、爆笑問題、ネプチューンら多くの芸人と共に人気を博す。2001年10月にコンビ名を「海砂利水魚」から「くりぃむしちゅー」に改名(詳細は後述)。転機となったのは2003年。上田がテレビ番組『虎の門』の1コーナー「うんちく王決定戦」で優勝、一躍脚光を浴びる。以降上田は「うんちく王」の称号と共に、薀蓄芸と呼ばれる芸風で数々のメディア出演や執筆活動を行う。「たとえツッコミ」も知られるようになった。程なくして有田も同年から『内村プロデュース』にピンで度々出演し、存在感を発揮。また、『ロンドンハーツ』で女性にナンパされる企画で素の面白さが茶の間に伝わり、好評につきスペシャル番組で取り上げられるなどした為、認知度が高まった。その一方で、趣味の格闘技好きを活かしてCSチャンネル「サムライTV」でレギュラー番組を担当し、アントニオ猪木、高田延彦、佐々木健介、長州力らプロレスラー・格闘家のものまねでマニアを喜ばせる。その後徐々にコンビでの番組出演の機会も増加。再度訪れたお笑いブームの波にも乗って、2004年には多数のレギュラー番組を抱える売れっ子となった。2004年10月5日、改名後初の冠番組『くりぃむナントカ』が放送開始。2004年12月14日、上田が同郷の女性と入籍。『踊る踊る踊る!さんま御殿スペシャル』の収録中に発表された。第一子誕生は『おしゃれイズム』で藤木直人の口から、フライング気味に発表された。2005年7月5日、改名後初の冠ラジオ番組『くりぃむしちゅーのオールナイトニッポン』が放送開始。2006年7月13日、ゴールデンタイムでの初の冠番組『くりぃむしちゅーのたりらリでイキます!!』が放送開始。2006年8月26日から8月27日にかけて放送された『24時間テレビ29』のチャリティパーソナリティに初めて抜擢された。2008年12月だけで、ピン出演を含めた11本のレギュラーを合わせると27本もの番組に出演したと報道された。この年以降は自分たちがMCを務める番組が増え、他番組にゲスト出演することは少なくなった。2009年9月、プライムからチーフマネージャー大橋由佳が設立した「ナチュラルエイト」へ移籍。デビュー当初はコント重視の作家志向な芸風であった。後に漫才も行うようになり、コントと漫才を平行した。改名以降はネタ披露の場は減少。単独コントライブも行ってはいたが、ほとんどが海砂利水魚時代の持ちネタであり、2003年にファンクラブ解散と同時に中止する。以降、くりぃむしちゅーのネタは元日放送の『初詣!爆笑ヒットパレード』でしか見ることができない。漫才では2人で「僕たち、くりぃむしちゅー!あちちっ」と言いながら熱いものを触って耳で冷やす仕草を掴みとして用いる。かつての掴みは有田が「○○(海砂利水魚に関係のない雑学やあるあるネタ)でおなじみ海砂利水魚です」と言うものであった。漫才やトークの場では有田の「引いたようなボケ」と上田の「たとえツッコミ」「説明ツッコミ」が特徴的。有田の繰り出すボケは少しぼんやりとしていて、それを上田晋也がやや説明的にツッコんで笑いを取るというパターンが多い。有田のボケは「やや足りないボケ」で、上田のツッコミは「やや過剰なツッコミ」であると言える。デビュー当初は、ボケとツッコミの担当が逆であった。冠番組では企画にも参加している。近年では、有田、上田ともにコンビ仕事と並行してそれぞれがピン活動も行っている。(詳しくは有田哲平、上田晋也のページを参照)改名に至った発端となったのは2000年、『新・ウンナンの気分は上々。』にてさまぁ〜ず(当時バカルディ)との改名対決である。バカルディとは改名対決の前から険悪という設定で、お互い「もう二度と出てくるな」「一緒に出ると好感度が下がる」などさんざん言い合っていた。そこで内村光良により「それならいっそのこと勝負をつけよう、負けたほうには罰を」との提案がなされ、「対決をして負けた方は改名」という対決企画が組まれることになった。最初はバカルディが敗北し『さまぁ~ず』に改名させられる。しかし改名後さまぁ~ずは徐々にブレイクし、期間限定改名だったはずがさまぁ~ずとして定着。再びコンビ名改名をかけたビーチバレー対決が行われるが、今度は海砂利水魚が敗北し、『くりぃむしちゅー』にこちらも期間限定で改名する運びとなった。先輩であるさまぁ~ずが実際に改名してしまったため負ければこちらも改名せざるを得ず、負けないよう必死だったという。名前の由来は有田の好物であるクリームシチューから。上田は好きではなく、二人が好きなものを取る選択肢も出たが、字面で一番面白かったためこれを採用した。さまぁ~ずほど改名は徹底されず、改名後も二つのコンビ名が併用されていた。その半年後上田がコンビ名をあまり気に入っていなかったことや、コンビ名を変える責任の重さを感じ始め、本人たちも元の名前に戻すかどうか迷い始める。ファンを集めた討論会を同番組で行ったものの結局結論は出ず、最終的には内村がビリヤードで落とした球の数字が偶数だったら「くりぃむしちゅー」、奇数だったら「海砂利水魚」というゲームを行い、結果14番が落ちたためそのまま「くりぃむしちゅー」を名乗ることになり現在に至っている。なお、お笑い芸人の看板ともいうべきコンビ名を安易に変えさせてしまった内村はその責任を感じ、その後両コンビ(特にさまぁ~ず)を自身のレギュラー番組などで積極的に起用していった。これが不遇の時期を過ごしていた両コンビに世間の目に触れる機会を与え、のちのブレイクを後押しするかたちとなった。なお、「改名でブレイクした」という世間の認識に対して本人達は日経エンタテインメントのインタビューなどにおいて「改名前から売れ始めていた」と強調し、またさまぁ〜ずは逆に「俺たちは改名してから仕事が増えたけど、くりぃむしちゅーは改名してから仕事が増えるまで1年くらいかかったから苦労したと思う」と指摘している。さまぁ〜ずとは、改名対決終了後はほどなく和解したという設定。無論実際に険悪だったわけはなく、番組の演出またはネタである。2組は『内村プロデュース』『ミドル3』などの番組で仲良く絡んでいる。両コンビが改名に揺れていた2001年8月23日には、『ナインティナインの@llnightnippon.com』にさまぁ〜ず、海砂利水魚が揃ってゲスト出演し、お互いのトークで盛り上がっていた。以下、くりぃむしちゅーとしての出演番組を記載。個別での出演番組は、有田哲平、上田晋也の項目を参照。
出典:wikipedia
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