株式会社南日本放送(みなみにほんほうそう、"Minaminihon Broadcasting Co., Ltd.")は、鹿児島県を放送対象地域とした中波放送(AM放送)事業とテレビジョン放送事業を行っている、特定地上基幹放送事業者である。略称はMBC。ラジオはJRN系列とNRN系列のクロスネット、テレビはJNN系列の単独ネット。1953年10月10日に鹿児島県初の民間放送局として開局。1959年4月に(アナログ)テレビ放送を開始し、2006年12月には地上デジタル放送を開始した。社屋(演奏所、MBC放送会館)は鹿児島市高麗町の甲突川右岸に位置しており、1993年の8.6水害の際には水没の危機に瀕している。主な自社制作番組としてラジオでは1953年の開局から続く『城山スズメ』、テレビでは1976年10月から続く平日18時台(日本標準時、以下同様)の報道番組(現在は『MBCニューズナウ』)や1984年10月から続く情報番組『どーんと鹿児島』などがある。鹿児島県の地方紙、南日本新聞社(こちらの社名の読み方は「みなみにっぽん」)が同率5位の大株主で、1953年の開局時からアナログテレビ放送の開始までは同紙の社屋(鹿児島市易居町、当時)を間借りするかたちで演奏所があった。ただし、南日本新聞との資本関係は鹿児島テレビ放送(KTS)ほど強くなく、毎日新聞ともテレビ開局時から関係を持つ。鹿児島放送(KKB)については『MBC50年の軌跡』において「兄弟会社」と表現しており、同局の開局時には喜田治男(『MBC6時こちら報道』初代キャスター)などの社員が出向しているほか、地上デジタル放送の親局をNHK鹿児島放送局とともに使用するなどの関係がみられる。略称が同じMBCという理由で韓国の文化放送系列局、全州文化放送と姉妹交流を結んでいる。社是・キャッチコピーは『ふるさとたっぷり MBC』。放送局全体のマスコットキャラクターは設定されていないが、過去にはラジオカー『ポニー』の擬人化キャラクター、および2008年の「ウミガメプロジェクト」におけるウミガメのキャラクターがそれぞれ設定されている。親局(送信所)のチャンネル(周波数)はラジオが1107kHz、テレビが40ch(デジタル、リモコンキーID:1ch)。テレビ送信所は鹿児島市紫原(むらさきばる)のKKBの施設からNHK鹿児島放送局とともに送信しており、MBCのFPU基地局も1980年代より紫原に置かれている。アナログ放送は城山からVHF帯の1chで送信していたが、デジタル放送はUHF帯で送信されるため、既存UHF局(KTS・KKB・KYT)が送信所を設けていた紫原へ移転するかたちとなった。城山送信所からはエフエム鹿児島の電波(79.8MHz)も送信されていたが、こちらも2011年8月1日に紫原にあるKKBの施設へ移転した。城山送信所の解体作業は同年9月に開始し、同年12月までに完了した。地上デジタル放送において「大規模」「重要」とされているものを記載する。地上デジタル放送における開局順に並べた。アナログ・デジタルの列はチャンネルを表記。所在地は自治体単位、離島については島名も付記している。中継局名からは中継局記事へリンクしている。現在は薩摩地方に3か所、奄美市に1か所中継局が設置されている。かつて(1962-2003年)は鹿屋中継局(1062kHz、100W)が存在した。2015年1月1日にFM補完中継局が開局した。鹿児島本局は開局当初、鹿児島市吉野町にあったが、1986年に霧島市隼人町に移転した。鹿児島本局阿久根局川内局大口局名瀬局MBC鹿児島FMMBC阿久根FM(紫尾山)MBC鹿屋FMMBC枕崎FM(蔵多山)ほかにも鹿屋、枕崎、阿久根にも中継所を設けている。これにより、鹿屋市、曽於市、志布志市、枕崎市、南さつま市、南九州市、阿久根市、薩摩川内市、伊佐市および出水市など本土一帯に放送エリアが広まった。AM(中波)では、カーラジオなどでは昼間は宮崎県南西部(都城市、えびの市、串間市など)および熊本県南部(芦北町、水俣市など)まで聴取できる。この地域の一部では日常的にラジオ番組宛てへメールやはがきを投稿する常連リスナーが古くからいた。冬季のみ福岡県など九州北部でも受信できる事がトラックドライバーなどからラジオ番組宛てに報告された事がある。沖縄本島北部の海岸線でもカーラジオなどで昼間に聴取出来たとのメール投稿も以前あった。ちなみに昼間の中波受信の最長距離記録は、和歌山県すさみ町でラジオ無線関係の雑誌『ラジオマニア 2008』(三才ブックス)での屋外受信の実験企画において2008年春に成功している。2011年10月3日からはradikoを通じてインターネット配信を実施している。おおすみFMネットワークやあまみエフエム、FMきりしま(おおすみFMネットワーク・FMきりしまは独自、あまみエフエムはSimulRadio)とは異なり、エリア判定により鹿児島県と見做される環境下(通常版。有料会員制「radikoプレミアム」に加入している場合は、県外でも受信可能)でのみで聴取できる。無線放送ではAMステレオ放送を実施していないが、radikoにおいては一部の番組・CMがステレオ音声で配信される。企業・団体は当時の名称。出典:第二次世界大戦後日本でも民間放送局が相次いで開局したが、開局の形態としては「地元新聞社のラジオ事業進出」または「地元自治体の共同出資」が多かった。鹿児島県の場合は当時の南日本新聞社社長畠中季隆が「3kWで鹿児島県全域と宮崎・熊本県の南部、南西諸島全域をカバーするラジオ局」の設立構想を打ち出した。当初は鹿児島県知事は「ラジオ局はNHKで十分」とし、鹿児島銀行の頭取も「鹿児島では商業放送は成り立たない」と否定的であったが、1952年12月12日に南日本新聞紙面上で設立構想を掲載してからは、鹿児島県全体で協力体制が出来上がり、最終的には(当時日本復帰前の大島郡を除く)県内全市町村が出資した。1952年12月10日に南日本新聞本社3階に創立事務所を設置。1953年1月31日に発起人総会が開かれ、送信所が鹿児島市吉野町に、演奏所は南日本新聞本社3階に第3スタジオまで設置することが報告された。2月11日に郵政省にラジオ局の開設申請を提出し、6月13日にラジオ南日本の創立総会が開催された。このときまでに略称がMBCと決定され、英称は現在と同じ"Minaminihon Broadcasting Co.,Ltd."であった。送信所の出力は当時500Wまたは1kWが主流であり、3kWでの開局構想は異例のものであった。郵政省は異例の高出力と金沢の放送局(現在の北陸放送)との混信問題を懸念し、「アンテナ2基による指向性アンテナ」を条件に3kWでの送信を認められた。指向性アンテナは当時日本唯一のもので、指向性は南西諸島に向けられた。MBCは宮崎にも中継局を設置する予定であったが、こちらはラジオ宮崎(現在の宮崎放送)の設立をもって阻止された(詳細は宮崎放送#沿革を参照)。創立総会の時点では開局日は1953年11月1日の予定であったが、番組改編期に合わせる営業上の都合から、同年10月10日に前倒しされた。このため電波監理局の検査合格(本免許交付)と同時に開局しなければならなかった(実際は本放送開始2日前に免許交付)。なお、実際に本免許交付と同日に開局した事例はかのやコミュニティ放送ときもつきコミュニティ放送(2006年8月4日)がある。1953年10月10日に開局。同日には現在も続く番組『城山スズメ』『希望のリボン』『歌のない歌謡曲』が開始されている。ニュースは共同通信社と南日本新聞社からの提供であった。10月20日にMBCタレントの源流となるMBC放送劇団(南日本放送劇団)を創立。11月3日にはMBC開局祭が鹿児島市中央公民館で開催され、社歌となる「ラジオ南日本の歌」(現在は南日本放送の歌に改称)が発表された。「ラジオ南日本の歌」は2012年末まで一日のテレビ放送開始・終了時にインストゥルメンタルとして流されていた。開局した1953年は東京でテレビ放送が開始された年でもあった。MBCがテレビ開局準備局を設けたのは1956年1月のことであり、1957年10月22日に仮免許が交付された。テレビの送信所は1958年6月から1959年1月にかけて城山に、演奏所は1958年11月から翌年1月にかけて鹿児島市高麗町に建設された。演奏所は4期に分けて建設され(MBCニューズナウなどで使用される第1スタジオは第1期、ラジオ兼用の第2スタジオは第2期)、最終的には1960年に完成した。1階は甲突川の氾濫対策で高床設計であり、これが1993年の8.6水害で水没の危機に瀕した社屋を救うこととなる。1959年4月1日の午前8時45分にテストパターンを流して(アナログ)テレビ放送を開始。同年8月にはJNNに加盟した(TBS東京放送とは1967年10月13日に編成・報道・営業の3協定を締結している)が、MBCは「ニュースはJNN、番組はフリーネット」の姿勢であった。番組編成はKTS・KKB・KYTが開局する(1969年4月・1982年10月・1994年4月)毎に大幅に変更され、現在では番組もおおむねTBS系列のネットとなっている。1961年10月に「ラ・テ兼営となった実態に即すため」として、社名をラジオ南日本から南日本放送へ変更した。1961年7月3日にローカルニュース番組の制作を開始。ラジオでも1967年10月からニュースの自主編集が開始された。1976年10月には夕方の30分ワイド番組『MBC6時こちら報道』が開始された(現在はMBCニューズナウとして放送)。取材拠点は1968年の鹿屋を始めに、1970年代にかけて県本土の各所と奄美大島に設置された。テレビ中継局の整備は1960年の鹿屋中継局に始まる。ただし、鹿屋中継局は「宮崎放送の鰐塚山送信所からのスピルオーバーによる視聴者流出」への対策の意が強く、他の主要中継局は1963年から順次設置されていった。離島の中継局は1970年代に整備された。奄美大島へは1977年に放送を開始し、与論島にも1980年3月に中継局が設置された。同時に難視聴地域を対象とした微小局・ミニサテライト局の設置も進められた。1982年のKKB開局の際には社員出向や中継局の共同使用などの協力を実施。MBCとKKBの関係はさながら「兄弟会社」のようなものであった。現在もMBCはKKBに出資しており、関係は現在でも続いている。1993年8月6日の「8.6水害」では鹿児島市が甚大な被害を受けた。MBCの社屋も水没の危機に瀕し、社内に残ったスタッフ・社員関係者一丸となって土嚢を積みバケツモップによる必死の排水作業を続けかろうじてテレビマスター室の防衛に成功したが、所有するラジオカー「ポニー号」3台が水没その他社用車の大多数を水没させた。テレビ中継車及び衛星中継車 ステージカーは、伊集院町(現在の日置市)でのゴルフ大会収録に出動していたため水没を免れた。この日は細川内閣成立に関する報道特番がJNNでは編成されていたが、MBCではMBCニューズナウの終了後引き続いて8.6水害に関する報道を随時挿入し、21時台のドラマ『イエローカード』を途中打ち切り後は翌朝まで報道を続けた。この報道姿勢は高く評価され『20世紀放送史』(日本放送協会・編、2001年)にも掲載されるほどであったが、MBCとしては「自ら気象情報を提供することはできたのか?」という課題が残された。これに対する答えが1995年の気象予報業務許可であった。各番組でMBC独自の予報を提供し、1998年からはフィラーとして天気予報を放送している。2002年からは現在のキャッチフレーズ「ふるさとたっぷりMBC」を使用(テレビのみ2004・2005年は「かごしまlife」)。同時期に開局50周年を迎えたことから、過去のドキュメンタリー番組を『アーカイブス50』として放送した。2006年12月に地上デジタル放送とワンセグの本放送を開始。2008年の開局55周年記念事業「MBCウミガメプロジェクト」においてはウミガメ(男の子と女の子)のマスコットキャラクター「ユウ(遊海)」「ミウ(美海)」が設定された。名前は一般公募により選定された。2011年7月24日にはアナログテレビ放送が終了し、同年11月までに城山送信所が解体された。2013年に開局60周年を迎えたことから、MBCではテーマ曲『見つめあうだけで』および「60」をあしらったムービングロゴを同年1月1日に制定した。『見つめあうだけで』は韓国のデュオ「HUE」が歌唱し、テレビで一日の放送開始・終了時などに同年末まで放送されていた。なお、2009年4月から1年間「MBCテレビ50 あの頃のふるさと」(平日23:55、)、2012年度にも1年間MBCニューズナウ内にて過去の鹿児島のニュース映像を振り返るコーナーを放送しており、2015年7月6日から「MBCアーカイブス 昭和のふるさと」(水曜日以外の平日18:55)を放送するなど地域密着型の編成を行っている。2014年10月からは同局では14年半ぶりとなる夕方ワイド番組、かごしま4がスタートした。本社は3つの建物に分かれており、此処では説明上「本館」「北別館」「南別館」とする。 過去の番組※全国ネットの番組は除く。テレビ東京(TX)系列ほか民教協加盟局共同制作番組その他日本テレビ系ほかフジテレビ系ほかテレビ朝日系ほかKKB開局まで放送されていたテレビ朝日系の番組KYT開局まで放送されていた日本テレビ系の番組KYT開局まで放送されていたフジテレビ系の番組TBS系の遅れネットそのほかの自主制作番組やネット番組は番組表を参照。2007年2月12日の15時から55分間、MBCラジオ・県域FM局のエフエム鹿児島 (μFM) ・コミュニティFM局の鹿児島シティエフエム(フレンズFM)と「鹿児島の民放ラジオ3局」として初めて合同で番組を編成した。2008年、2009年も同時期に実施。タイトルは「3WAVEパワーステーション ラジオだぜ! 男3人トークバトル」。MBCラジオからは野口たくおが、μFMからはDJ POCKYが、フレンズFMからは柳田弘志が出演。スタジオはμFMを使用し、メールアドレスのドメイン名もμFMのものだったが、公式サイトはMBCのサーバーに置かれてあった。12日の放送時には各パーソナリティが自己の担当する番組の企画を持ち込み(野口は「城山スズメ」、DJ POCKYは"MUSIC POWER STATION feel the μzic DA!!"、柳田は「いいよね本舗」)、各放送局のジングル(フレンズFMのみ「いいよね本舗」のジングル)もそれぞれ放送された。また、これに先駆けて2月5日から9日までの12:12 - 12:17に情報番組を3局同時に放送した。なお、MBCラジオとフレンズFMは2003年8月6日にNHKラジオ第1放送(鹿児島局)と同時編成を行ったことがある。また、NHKは公共放送であり、鹿児島県に残り3つある(当時)コミュニティFM局(FMかのや、FMきもつき、FM志布志)はNPO団体(非営利団体)であるため、民放ではない。独自にポイント気象予報を出す認可を受けており、MBCのアナウンサー・ニュースキャスター・気象予報士・タレント・ポニーメイツは「MBCパーソナリティ」と総称されている。○はフリー。異動移籍男性女性異動退社ウェザーキャスターとして活躍ウェザーキャスター以外の分野で活躍退社一部の人物は県内他局の番組にも出演。元MBCアナウンサー元ポニーメイツそれ以外過去には女性もいた。局名告知(オープニング・クロージング)のこと。2009年ごろまでは放送開始・終了時(完全終夜放送時は不定期に生じるメンテナンス時に限る)ともに同一曲を使用しているが、それぞれ独自の編曲が施されている(なお、終了時のバージョンは、1980年代後半にはテレビのクロージングでも使用されていた)。これは1981年に開局30周年記念として作られたもの(この曲は歌入りで、下成佐登子が歌っていた。)であり、ラジオでは30年近く、テレビでも15年近く使用された。現在は簡素なものに変更され、かつ放送休止中はフィラー音楽を流している。放送開始・終了時共通(アナウンスは各々違う)。鹿児島市内の空撮、おはら祭、武者行列および奄美の環境映像を使用。BGMはニール・ダイアモンドの「スイート・キャロライン」(同局開局以来かつ在鹿局では初めて洋楽を使用)。天気予報は内包しておらず、本編終了後直ちにお天気フィラーとなる。開局60周年テーマ曲「見つめあうだけで」を使用している(公式サイトで公開されている映像(開局当時の鹿児島市内、学生運動、おはら祭、鹿児島中央駅(集団就職列車(当時の西鹿児島駅)、九州新幹線出発セレモニー(2004年3月13日)、800系新幹線)のようす、ロケット基地、縄文杉、皆既日食、ナベヅルほか)の最後に本社社屋空撮をバックに、コールサインとアナウンサーによる読み上げ(JOCF-DTV、MBCテレビジョンです。)が追加されたもの)。尚、クロージングで『おやすみなさい』という表現を行ったのは開局以来初めてである。天気予報は内包していないが本編終了後直ちにお天気フィラーとなる。日によってはオープニング・クロージング共にカットされ、直接お天気フィラーに入る場合もあった。なお、この映像の放映は2013年12月30日の深夜(クロージング)および12月31日早朝(オープニング)に終了した。県内各地の春夏秋冬を収め、最後に2枚の静止画で挨拶する映像を使用していた。(アナウンスなし)社名は基本表示しない(アナログの場合、「JOCF-TV 南日本放送」と表示)。BGMは社歌のインストゥルメンタル(器楽曲)となっている。アナログのものから新たに作り直されており、アナウンサーによるコールサイン読み上げがないことなどの細部に及ぶ変更点がある。ちなみに2006年11月5日のサービス放送開始時は、2枚の静止画で挨拶するのみであった。クロージングは九州南部地方(熊本県南部の天草市や水俣市などを含む)の天気予報を内包しており、一番組として扱われ、電子番組表(EPG)では「天気予報放送終了前」と表記されていた。ともに2011年の停波までの数年間に変化はみられなかった。県内他局とは異なり、鹿児島本社送信所の周波数・出力の案内が特に行われていなかったのが特徴。2000年頃~前述のとおり、1998年ごろよりフィラーとして鹿児島県内(熊本県南部(天草市・水俣市周辺)および宮崎県南・西部(えびの市・都城市など)を含む)の天気情報やお天気カメラを流しており、行楽や運動会シーズンに重宝されている。また、KTS・KKBも現在、天気フィラーを流しており、KYTは日テレNEWS24をサイマル放送している。設備点検による休止(同局では大規模工事を行わない限り滅多にない。)を除いて在鹿全民放局で終夜放送が実施されている。以前は、2段式カラーバー(無音もしくは1kHz信号音付き)か砂嵐だったが、台風が来そうなときや豪雨発生時には予報図やレーダー観測図を出して情報を提供していた(かつては同局オリジナルのフォーマットを使用していたが、現在はTBS系列共通のものを使用)。開始当時は放送終了後および放送開始前5~15分程度はカラーバーを流していたが、2000年ごろからは放送終了後直ちにお天気フィラーを放映し、放送開始時刻ぎりぎりまで放映するようになった。したがって同局でカラーバーを使用することは皆無となった。
出典:wikipedia
LINEスタンプ制作に興味がある場合は、
下記よりスタンプファクトリーのホームページをご覧ください。