大野郡(おおのぐん)は、大分県(豊後国)にあった郡。明治11年(1878年)に行政区画として発足した当時の郡域は、下記の区域にあたる。天平12年(740年)頃までに成立したとされる『豊後国風土記』において、豊後国の8つの郡のひとつとして大野郡が挙げられている。同書の大野郡の条によれば、大野郡の名は、大部分が原野であったことから名付けられたとされる。範囲は、概ね、現在の豊後大野市全域、臼杵市の一部(旧野津町)、佐伯市の一部(旧宇目町)にあたる。また、承平年間(931年 - 938年)に成立した『和名類聚抄』には、この郡に、田口、大野、緒方、三重の4郷があったと記されている。幕府から公認された臼杵藩の御朱印村全279か村のうち、大野郡分は143か村である。『旧高旧領取調帳』では、本村を分割したり、枝村のいくつかを村扱にして村高を割り付けているため、数字が158か村に増えている。臼杵藩では、この御朱印村を数箇村ごとに一まとめにして「村組」という行政上の単位を設けて管理しており、臼杵城下にあたる海部郡町屋鋪村を除いた278か村は、いずれもこの村組に属していた。村組は各地域の事情によりたびたび組替えが実施されたため、組数・所属も時期によってまちまちだが、文政6年(1823年)の時点ではほぼ最終的な村組が確定していたと見られている。※は枝村『旧高旧領取調帳』に記載されている明治初年時点での支配は以下の通りだが、大野郡については幕末から明治初年時点の実態とずれが生じている箇所が多く、注意を要する。(1町461村)
出典:wikipedia
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